3-4.白を赤に染める手が

 隣国オズボーンからの使者が謁見を求めている――それを無視すれば、再び戦争の原因になり兼ねない。


 さすがのエリヤも親書のように無視できず、しかたなく謁見の間へ続く長い回廊を歩いていた。



 周囲を固めるのは、軍の中でもエリートに分類される親衛隊の12名だ。


 途中で中庭を通る。初夏の今、庭は薔薇が一面を飾り咲き誇っていた。


 見惚れて足を止めたエリヤが薔薇へ手を伸ばそうとするのを、一歩控えて立つウィリアムが遮る。


「白でよろしいですか?」


 柔らかく問いかけ、頷いた主に微笑んで一輪手折る。護身用のナイフで棘を落とし、そっと手渡した瞬間だった。



「何者だっ?!」


 背後に感じた気配に振り返ったウィリアムの脇腹に、灼熱の痛みが走る。


 叫んだエリヤの声が遠くに聞こえ、剣に貫かれた状態で全力を振り絞ってエリヤを突き飛ばした。


 よろけた体を親衛隊の1人が受け止めるのを確認して、ウィリアムは手にしていたナイフを剣の持ち主に振り翳す。角度が変わった刃がウィリアムの腹部を抉った。


 吐き気がする激痛に殺し切れない呻き声が零れる。狙い過たず、すぐ後ろに居た男の首を切り裂いたナイフを放り出し、腹から生えた剣を掴んで引き抜いた。


 がくりと膝をついた体を支えられず、咲き誇る薔薇の中に崩れる。




 目の前が真っ赤に染まった。


 庭園の白い薔薇を染め替える血の色は鮮やかで、そして……青空に映える美しさで目を奪う。


「ウィルッ!!」


 叫んだエリヤの手は、届かない。


 渡されたばかりの白薔薇が滑り落ち、誰かに踏まれて散った。


 普段、人前で呼ばない愛称が響く。



 ーー彼は動かない。



 親衛隊によって遮られた視界の向こうで、倒れた男を求めて声を嗄らし叫ぶ。


「ウィル! 貴様ら、そこをどけ!! ウィリアムが…っ」


 しかしウィリアム自身が選抜した優秀な親衛隊のメンバー達は従わない。


 国王エリヤの命令であれ、彼の身を危険に晒す可能性がある以上、優先される順位は国王の無事だった。




 ゆっくり血が流れる。



 ぽたりと音を立てて前髪から落ちた赤に目を細め、呻いて腕に力を込める。重いガラクタのような体を動かすたび、軋んで錆びた鉄のような悲鳴を上げた。


「……ウィリアム様」


 気遣う親衛隊員の声に顔を上げ、人影に隠された最愛のエリヤの様子に安心する。


「何を……て……いる…ッ、陛下を……」


 安全な場所へお連れして守れ! 


 強く命じる眼差しに、敬礼した親衛隊が玉体ぎょくたいを囲んで室内へと誘導する。


 嫌がって暴れるエリヤの声が悲痛に響き、しかし歴然とした体格の差で押し切られた。


「……ぐっ…」


 吐き気に身を丸めて口元を押さえれば、咳と共に血が手を濡らす。


 ぺろりと舌で唇の赤を舐め取ったウィリアムの身を、薔薇の棘が容赦なく傷つけた。


 薔薇の中に倒れていたことに思い至り、ようやく這うようにして回廊の柱まで移動して寄りかかる。


 ふぅ……吐き出した息まで、血腥い気がした。だが噎せ返るほど満開の薔薇が、華やかで芳醇な香りで感覚を塗り替えていく。




「大丈夫ですか? すぐに手当てを……」


 エリヤの安全を確保したからだろう。


 普段からエリヤの護衛を担当す精鋭の親衛隊員のうち、半数に近い6人が駆け寄ってきた。


「……犯人、は?」


 額を濡らした血が目に入り、視界が悪い。


 土や泥に汚れた手で拭うわけにもいかず、ウィリアムは目を伏せたまま問い質した。


 数人が離れていく気配がして、すぐに返答が戻る。


「絶命しております」



「………はぁ…」


 思いっきり溜め息をつく。


 死んでいることくらい、とっくに承知していた。そうでなければ、男は再び剣を振り翳していた筈で、ここで死体になっているのはウィリアムの方だ。自分が生きている以上、犯人が死んでいるのは当然だった。


 聞きたいのは、男を雇った犯人に繋がる手がかりなのだ。


 しかし説明する気力が足りず、ただ柱に寄りかかって天を仰いだ。




 ずきんと痛んだ腕に、ウィリアムは薄く目を開く。


 肌に触れた手が、丁寧に触診して止血をしていくのを感じた。


 その手際のよさに視線を向けたウィリアムの目に飛び込んだのは、前髪の長い青年だった。緑瞳は印象的だが、薄いブラウンの髪が顔の半分近くを覆っている。


「…名は?」


「ラユダだ」


 敬語ではないが、それが逆に彼の好感度を高めた。


「この傷ではしばらく動けないが、筋肉や神経は切断していないようだ」


 確認するように動かされ、右腕の痛みに呻いてしまう。


「そっか……」


 つられる様に言葉遣いをぞんざいに崩したウィリアムが、口元に笑みを浮かべた。それが不思議なのか、ラユダは眉を顰める。


「陛下、の元へ……向かう。……介添えを頼む」


 呼吸を整えて告げるウィリアムが起き上がろうとするのを、左側から支えたラユダが苦言を呈する。


「しかし…この姿では失礼に当たるだろう」


 いくら執政と言えど、国王に謁見するにはひどい格好だ。側近としての地位を失いかねないと忠告するラユダに首を横に振った。


「……ああ、それでも行く必要があるんだ」


 エリヤは泣いているだろう。誰にも涙を見せず、心の中で――だから今でなくてはならない。



 生きているのだと、教えてやらなくては…。

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