3-3.闇は後ろから忍び寄る

「お前が隠すから……」


 責める口調になるのはしょうがない。


 唇を尖らせて抗議する幼い恋人に、ウィリアムは小さく溜め息をついた。


 無意識の媚態で誘うのはエリヤの十八番だが、誘われても手出しできないこちらの立場も考えて欲しかった。



 周囲は勘違いしているが、ウィリアムはエリヤに手を出していない。


 もちろん逆も有り得ない。


 幼い体への負担を考えると、手出しを躊躇してしまうのだ。啼かせてみたいが、泣かせるのは嫌だった。


 この蒼く澄んだ瞳を濁らせる原因になるかも知れない。そう思えば、醜い欲望を内部に押し込める痛みなど、どれほどのものだろう。



「……誘ってるの?」


 唇を耳に寄せて囁いたウィリアムの低い声に、子供は身を震わせる。しかし誤魔化されはしなかった。


「どうして……」

 なぜ隠すのか。それほど頼りにならないと思われているのだろうか。


 確かにまだ15歳だが、ウィリアムに庇護されるだけの子供ではなかった。


「ゴメン」


 悔しさと無力感に歪んだ蒼瞳が潤むのを見て、さすがに両手を上げて降参を示した。


 エリヤの肩を抱いていた手を離し、椅子に座る子供に合わせて膝をつき跪く。



 差し出された右手の甲に唇を押し当てる。それは宣誓の代わり……神を信じないウィリアムが、嘘をついたり誤魔化さないとエリヤへ誓う行為だった。


「嘘偽りなく、すべてを答えるよ」


「右肩を庇っているだろう」


 疑問系ではなく、確証に満ちた断定だ。


 エリヤの声に隠蔽を断罪され、下から見上げるウィリアムの青紫の瞳が揺れる。だが逸らすことはしなかった。


「……ああ」


「何があった?」


 言い淀む所作で唇を引き結んだウィリアムだったが、結局目の前の主に逆らう術はない。


 躊躇いながらケガの経緯を吐き出した。


「不意打ちの剣を避け損ねた」


「相手は?」


「すぐに護衛兵が捕らえたよ」


 少しだけ意味をはぐらかす。しかし強い眼差しに見据えられると、苦笑して続けた。


「リアン伯爵家の縁者だ。最初に女性に話しかけさせ、オレの右手を握らせたところを襲う計画だったらしい。さすがに淑女の手を振り払うのは躊躇するし……な」


 それで避ける所作が遅れた。


 左胸を背後から貫く筈だった剣は、しかし辛くも身を躱したウィリアムの右肩を傷つけて壁に刺さったのだ。



 最後まで状況を包み隠さず語り、一息つく。


 唇を噛んだエリヤに気づき、「傷になる」と解かせたウィリアムが僅かに目を逸らした。


 エリヤは失う恐怖を知っている。


 両親を奪われ、己の命を狙われ続ける日々の中で、誰よりも喪失の恐怖に怯えてきた。だからこそ、側に居る自分への心配を拭い去りたくてケガを隠したのだ。


 バレたら逆にエリヤを傷つけることになると、覚悟の上で……。


「……殺せっ! 犯人の男だけでなく、共犯の女も……っ」


「エリヤ!」


 不敬にも主である国王の言葉を遮り、ウィリアムは伸ばした手で感情の幼い子供を抱き寄せる。


 腕の中で温もりに包まれ、椅子から落ちるようにして背に手を回したエリヤが嗚咽を漏らした。


 背を軽く叩いて宥めながら、ウィリアムは言い聞かせた。


「そんな命令はオレが下すから、ずっと白い手でいてくれ。エリヤを守るのがオレの存在意義なんだ。傷つく必要なんてない、後悔するような命令を口にしないで欲しい」


 迷いながら視線を合わせるが、エリヤは頷かない。


「……でも」


「頼むから」


 ウィリアムに全てを負わせて、自分だけ知らん顔をするほど大人になれなかった。


 愛する人だからこそ、ウィリアムがエリヤを守ろうとするのと同じ感情をエリヤも抱く。


 それでも……温かいウィリアムの腕に守られているのは心地よくて、国王でない子供でいても良いのだと許してくれる場所が嬉しくて、最後に小さく頷いた。




 泣き疲れて眠ったエリヤの頬に残る、涙の痕を指で拭う。


 幼い国王をベッドに運び、傍らに膝を着いたウィリアムが覆い被さって接吻けた。


 こうなることが分かっていたから隠していたのに……隠すなと命じられたら逆らえない。



 溜め息を噛み殺して立ち上がったウィリアムの背で、長い三つ編みが揺れた。目元を隠す前髪の下で、唇が三日月に歪む。



 ――許す気はなかった。



 この身を傷つけたことは断罪しないが、エリヤを泣かせた罪は万死に値する。


『罪』と呼ぶに相応しい行為には、誰もが顔を顰めるような厳罰を……。


 青紫の瞳が煌き、物騒な色を刷いた口元の笑みが深まった。






 密談は薄暗い部屋で……誰が決めたことなのか。


 いつでも物騒な密談は、蝋燭ロウソクや月明かりの仄かな揺らめきの中で行われる。そして例に漏れず、この部屋もカーテン越しの月光以外の明かりがなく、潜めた声の主の顔を見分けることは不可能だった。


「それでは……」


「ああ、崩御ほうぎょしていただくしかあるまい」


「誰を……?」


 くすっと笑う声が空気を震わせた。


「もちろん、邪魔なアヤツになすり付ける」


 崩御する相手を問うたのではない。


 犯人役を誰に宛がうか、下手人として罪を擦り付けて殺す相手の相談だった。



 崩御させるターゲットは、この国に1人しかいないのだから……。

 


「楽しみなことだ」


「まったく……」


 笑いあった彼らの物騒な企みを知るのは――夜を司る三日月。





 ナイフのような鋭さを見せていた三日月が、ついに細く線のように消えかかる。新月を明日に控えた夜、不吉な予感にエリヤが溜め息をついた。


 窓から見上げる空は暗く、星もほとんどが雲に隠れている。それなのに、鋭い針に似た月が冷たく心に突き刺さった。


「エリヤ?」


 背後から声をかけ、振り返った恋人へカップを渡す。ウィリアムの背で揺れる髪は、すでに三つ編みを解いていた。2人しかいない寝室のベッドに、どさりと乱暴な仕草でウィリアムが腰掛ける。


 受け取ったココアは湯気を立てて、甘い香りでエリヤを誘う。温かなココアを口に含んだエリヤが頬を緩めた。


 好みを知り尽くしたウィリアムが用意するココアも紅茶も、すべてが味を調えられている。


 甘党のエリヤに合わせた味は、どこか擽ったい気がした。


 こうやって無言で当たり前のように与えられる愛情に、ウィリアムの優しさを見つけて嬉しくなる。


「何を溜め息ついてたんだ?」


 隣国オズの親書も片付けたし、国内に大きな問題はない。にもかかわらず、国王たるエリヤが物憂げな溜め息をつく理由がわからなくて、執政は小首を傾げて尋ねた。


「いや……」


「言いたくない?」


 さっきから質問攻めだが、こう聞かれたらさすがにエリヤも答えざるを得ない。


「嫌な予感がする」



 ユリシュアン王家には、時折エリヤのような存在が生まれた。


 生来、直感が優れているというのだろうか。予知や霊感、超能力とは違う『カン』としか呼びようのない不思議な能力を持っているのだ。


「そっか……じゃあ、警備を増強しておくかな」


 王家の血を引かないウィリアムに、エリヤの言葉を疑う理由はない。


 杞憂で何も起きなかったとしても、別に構わなかった。エリヤの不安が、少しでも払拭できるなら価値がある。


 こくんと頷いたエリヤも、予感に根拠はなかった。



 しかし予感は……確かに当たっていたのだ。それを2人が知るのは、翌日のことだった。

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