【完結】少年王が望むは…

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)

第1章 少年王が望むは…

1-1.望んだものは小さくて

 誰よりも優れた統治者に従う国民は、楽でいい。


 皮肉気なことを考えながら、ウィリアムはトレードマークの三つ編みを直し始めた。


 目の前の資料に素早く目を通し、重要度を判断して振り分けていく。簡単そうで難しい作業を、まだ20代前半の青年は無造作に行っていた。


 だが彼の判断に間違いはない。


 少なくとも、見た目より真面目な青年が取り返しのつかないミスをした事はなかった。




 シュミレ国――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国だ。


 自ら戦を仕掛けることはないが、常に『大陸一の大国』として周囲の国々の上に君臨し続けてきた。


 穏やかな気候と豊富な資源ゆえに狙われやすい国でもある。




 編み終えた三つ編みを括り、最後に蒼いリボンを結ぶ。沢山あるリボンの色の中でひときわ鮮やかな蒼は、主である少年から与えられたものだった。


「さて、じゃあ報告に行きますか」


 軽い口調で立ち上がり、3つに仕分けた書類の1束を手にする。


 一番量の多い束は、主たる王の決裁が必要な重要書類だ。


 王族というのも楽ではない、遊んで優雅に暮らせればいいのだろうが、仕事は山済み……いっそ姫君に生まれたなら違うのだろうけれど。


「シャーリアス卿、どちらへ?」


「王の下へ」


 貴族の問いかけを鬱陶しく思いながら、端的に答える。


 以前は出生すら隠されて教会で育てられたウィリアムだが、その能力を王に引き立てられて、今では執政にまで上り詰めていた。


 その敏腕さはもちろん、彼に取り入ることで王に近づこうと考える輩も増える。


 執政は王が自らの意思で自由に選べる側近なのだ。


 本人が望むと望まざるとに関わらず、政治や駆け引きのステージに引っ張りだされるのが常だった。


「うちの娘が、先日あなたをお見かけしまして……是非一度ゆっくりとお会いしたいと」


「大変光栄ですが、ご辞退させていただきます」


 相手の言葉を遮り、一言で切り捨てる。王に娘を献上できない中流貴族だろう。


 たしか子爵だったか? この男……。一度覚えると忘れられない不自由な記憶能力を手繰り、ウィリアムはにっこりと慇懃無礼に吐き捨てた。


「私では身分が違いすぎます。子爵令嬢に失礼でしょうから」


 それ以上不愉快な言葉を聞く前に、ウィリアムは踵を返した。その口元は先ほどの笑みと違い、自嘲じみた形に歪められている。


 身分や権力だけで、見も知らぬ男へ嫁がされる令嬢も大変だ。こうなると、姫に生まれるのも考えものかもな……。


 社交辞令や嘘と偽りに塗れた言動に慣れてしまった自分を嘲笑する。もっとも縁遠い世界だと思っていたが……意外にもウィリアムは妬みや恨みを適当に交わして、魑魅魍魎ちみもうりょうの棲む王宮を泳いでいた。




 王の執務室の前で立ち止まり、警護の兵が目礼するのを受ける。


 静かにノックしたドアから誰何すいかがあり、ウィリアムは静かに名を告げた。


「入れ」


 凛々しいと表現するのがぴったりの声に促され、ウィリアムはドアの中へ身を進める。


 王宮内でもシンプルで無駄な装飾を省いた室内は、煌びやかな廊下より落ち着く。


「国王陛下、本日の決裁書類です」


 差し出した書類に溜め息をつくのは、目の前の少年。彼が王位を継いだのは12歳だ。


 実力をつけ15歳で王国の頂点に君臨し、父王より優れた政治力と統治能力を示したエリヤは、ウィリアムが置いた書類をぱらぱらと捲った。


「こんなにあるのか…」


 嫌そうな表情に、ウィリアムは肩を竦める。


「仕方ありませんね、あなた様の国なのですから…」


「……面倒な敬語はいらん」


 いつも通りにしろと続けられた言葉に、三つ編みを揺らす青年は笑う。


 行儀悪く主の机の端に腰かけ、首を傾げて少年の顔を覗き込んだ。


「なに? 疲れちゃったんなら、今日は止めるか?」


 通常なら不敬罪に問われる言動にも、王たる少年は気にした様子がない。


 甘えるように手を差し伸べるから、その手に軽く接吻けて笑顔を向けた。


 エリヤが自分の笑顔を気に入ってるのは、知っているから…。


「ウィル」


 呼んでいるくせに、絶対に目を合わせない。


 不機嫌な様子から、何か嫌なことでも聞いたのだろうと判断したウィリアムは、エリヤの小柄な体を椅子から抱き上げて、自分の膝に乗せた。


 後ろから抱き竦めて、すっぽりと腕の中に納まるエリヤの髪を梳いてやる。


「どうしたんだ、エリヤ」


 俯いている主人に気づかれないよう、笑みを深める。獲物を捕らえた猫みたいに眇めた目と、満足そうな口元――エリヤが不機嫌になる理由は分かっていた。


 王位継承権第一位という立場で育てられたエリヤには、手に入らない物はない。物が者であろうと、望めばすべて手に入るのだ。それが心を伴わなかったとしても…。


 いつしか諦めて願うことさえ忘れてしまったエリヤ、彼が心底望んだ存在こそウィリアムだった。




 王家の姫を娶りながら、公爵が他の女に産ませた子供――禁忌とされ、存在すら抹消されていたウィリアムは、教会で育った。殺すには忍びないと判断したのか、それとも単に惚れた女の遺言に逆らえなかったのか。


 産褥で死んだ母親の顔も、父親の存在も知らぬまま育ったウィリアムの出生の秘密を知るのは、今ではエリヤのみだ。


 偶然古い資料から知ったエリヤが興味を持ち、教会にウィリアムを訪ねなければ、彼らは一緒にいなかっただろう。ウィリアムは神職者となり、そのまま教会を守る日を送った筈だ。


 しかし、彼らは出会ってしまった。


 自分と同じ魂の形をもつ存在に…それは身分や立場より大切で、それ故に彼ら2人のアキレス腱でもある。兄と弟のように、常に互いを補い合って生きてきたのだ。

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