第12話 黒い影との逃走劇

 店を飛び出してすぐに僕は電話を掛けた。相手は言うまでもない。


『もしもし、誠也くん? どうしたの、かな』

「キミは、今、何処にいるんだ!?」


 僕の唐突かつ慌てていた質問に、葉月は困惑した様子だった。


『え、えっと、映画同好会の作業を終えて、大学を出たところかな』

「学校を出てから、どれくらいだ!? キミは今、何処にいるんだ?」

『そんなに離れてないよ。大学前の信号を渡って、今は、青いコンビニのところでカフェラテを買ったんだけど』


 大学前の信号、青いコンビニ。その光景が、すぐに脳裏に浮かんだ。

 おそらく大学の最寄り駅に向かう途中だ。良かった、それなら追いつける!


『な、なんか、切羽詰まってるみたいだけど。どうかしたの、かな』

「聞いてくれ。僕は今から夕闇倶楽部のみんなと一緒にキミのところに向かう」

『えっ、なんで?』

「僕の偽物が!! あの怪異が!! キミのことを狙っているんだ!!」

『ほ、本当なの、それ!?』


 不幸中の幸いか、葉月は一度僕の偽物と会っている。普段は素っ頓狂にしか聞こえない発言も受け入れてくれる土壌はできていた。

 案の定、そうした前提を吹っ飛ばして僕の話を聞いてくれそうな反応みたいだ。


「可能性は高いはずだ。だから、一度キミに会いたいんだ」

『う、うん。わかった、けど。……あれ、あそこに人がいる?』

「えっ、人か?」

『だけど、私に近寄ってきて――えっ、嘘、誠也くんが、なんで……?』


 ……突き刺すような悪寒が、僕に襲い掛かってきた。

 電話の向こうで何が起きているのか、容易に想像できる。遅かった!?


「す、すぐに向かうから!! 電話は切らないでくれよ!!」

『ひぃ、わ、わかった! は、早く来て、助けて、誠也くん……!!』


 電話を切らずに振り下げると、僕を心配そうに見つめていた3人の姿が。


「その様子、かなりマズいみたいね!」

「ああ、もう葉月のところにアイツが迫っている! 何とかしないと!」


 こうして僕たちは、葉月を助けるために全速力で走り始めた。

 信号を、横断歩道を、歩道橋を、夕方となって人通りが増え始めた道を。

 都内の歩道を走る人なんて、ほとんど存在しない。僕たちは奇異の眼で見られてるだろうけど、気にしない。気にする余裕はなかった。

 

「はぁ……はぁ……。はぁ……はぁ……」

「やっと着いた。この辺にいるんだよね……?」


 あれから、どれくらい時間が経過したか。大学の近所までやって来た。

 彼女がいた正門前、青いコンビニが見える場所に来たけど……葉月がいない。


「電話だと、この辺りだけど……。何処にいるんだ!?」

「……あそこから見たら、わかるんじゃない?」


 息が上がる体に鞭を打ち、大学前の歩道橋を駆け上り、辺りを見渡した。

 何処にいる、何処にいるんだ、葉月。教えてくれと電話に耳を当てても、何もは帰ってこない。なんとか見つけようと手当たり次第に動こうとして。


「あっ、あれ、見てっ!!」


 そんな時、雫が大きな声を上げて。地上の場所を指で示した。


 その先には――葉月に、僕の偽物が迫っている光景があった。

 じりじりと足を進めるアイツに、怯えて動けないような様子の葉月。

 心臓の鼓動が強烈に高鳴ったと同時に、何かしなければと衝き動かされた!?

 

「はづ――」

「――とりゃ!!」


 そして、僕が声を出すより前に――遠乃が変なものを投げ落とした。

 球状みたいなソレはアイツの後頭部目がけて飛ばされて……直撃した!?

 僕の偽物の体がよろめき、陶器が壊れるような音が辺りに轟いた。

 この大きな音で葉月も動かるようになった、良かった。助かった、けども?


「な、何を投げたんだ、それ?」

「知らないわよ。あのお店で使えそうなものを取ってきただけだから」

「お、おい! 流石にお店の商品を拝借するのは!?」

「今回は会計してないだけで、お金は置いて来たわよ! それより葉月を助けるんでしょ!! 早く行きましょうよ!」


 腑に落ちない、けど。そんなことを考えている余裕はなかった。

 衝き動かされるように階段を駆け下りて、彼女のところに駆け寄ることに。


「葉月っ!!」


 振り向いた葉月の眼には涙と怯え。体は震え、今にも倒れそうな様子だった。


「あっ、あっ、せ、誠也、くん? ほんとに?」

「ああ、本物の僕だよ。約束通り、夕闇倶楽部のみんなと来ただろ?」

「う、うん。ありがとう、やっぱり誠也くんは、私を助けにきてくれるんだね」

「葉月、無事かしら。ケガはない?」

「う、うん。だけど、逃げないと――えっ、あれ、ひぃっ!?」


 葉月の小さな悲鳴が聞こえて……異様な身の危険を感じた。

 咄嗟に葉月ごと体を右にかわすと。陶器の破片が元いた場所に飛んできた。


 あ、危なかった!? 少しでも遅れてたら僕や葉月は串刺しに……コイツは!?


『ああ、またキミたチか。なんデこウモ僕の邪魔ヲシようトスルんだ』


 僕の偽物はニタニタ、と。本性を隠す余裕もないのか笑っていた。


 黒煙みたいな粕が散らされ、人型の輪郭が揺れ動いている。

 黒い影、文字の羅列。答え合わせをしてくれたかのような特徴の数々。

 もはや覆い隠そうとすることもしないのか、できないのか。僕の癖や仕草は捨てて、異様な表情と話し声に妙なノイズが混ざっていた。

 だけど、その姿自体は僕そのもの。奇妙な錯覚で、なおさら不快感が襲った。

 

「遠乃。雫と千夏を連れて、別のところに逃げてくれ」

「ちょ、ちょっと!? アンタ、大丈夫でしょうね!?」

「僕は大丈夫だ。襲われないのは今までのアイツの行動でわかってるだろ?」


 みんな、ここまで来てくれた。後は僕が何とかする義務があるんだ。

 それに遠乃なら何とかしてくれるはず。そう思わせる何かがアイツにはある。

 これ以上、巻き込まないためにも……葉月を助けるのは僕1人でやってやるさ。


「わかったわ。だけど、無茶したら承知しないわよ!」


 話が早い遠乃は2人を連れて、歩道橋の向こうに逃げ去った。

 案の定、3人が逃げた事には目もくれない。彼の狙いはやはり葉月だった。


「――逃げるぞ、葉月!!」

「う、うん!!」


 遠乃の攻撃が尾を引いているのか、アイツの初動は

 あれなら逃げられる。距離を離せるはずだ。今のところは。


「ど、どうするの、誠也くん。やっぱり駅の方に逃げなきゃ――」

「いや、ここは大学に戻るべきだ!」


 東京都内、特に僕たちが通う大学の周辺の道路は直線のところが多い。

 葉月が向かった大学の最寄り駅への道のりは、それこそ大通りの一直線。アイツの身体能力は知らないけど……逃げ切れる自信はない。

 だけど、あの大学なら。地の利があり、複雑な構造をしている大学構内なら。

 現在時刻は夕方と夜の境目。5時限目が終わってから幾分か時間が経過している。誰かを巻き込むことはないはずだ。

 

「こっちだ! こっちに逃げるぞ!」

「う、うん。わかったよ!!」


 大学構内に侵入し、なるべく距離の離れた8号棟の物陰に逃げ込んだ。

 この辺りは道が入り組んでいて、慣れないと迷ってしまう空間となっている。


『どこだ。どこだどこだどこだ、どこだどこだどこだどこだどこだ?』


 案の定、アイツは僕たちを見つけられなかった。側を走り去ったらしい。

 

「次は、こっちに」


 足音が離れたことを確認して、僕たちは息を潜めて行動を再開した。

 

 逃げる場所に大学を選んだ理由は、建物が密接に連なることもあった。

 例えば、3号棟の裏は高層の2号棟と8号棟で隠されて死角だった。他にもここは、敷き詰められるように棟が建てられているのだ。

 僕たちが隠れたココも。実習棟の辺りは他の棟で囲まれているだけでなく、薬学部が保有する庭や建築学部の道具を入れる倉庫も壁となっていた。

 建築系の学科の生徒以外は入れず、肝心の実習棟の中には逃げ込めないものの。姿を消すには十分すぎるほどの立地といえる。


『クソっ!! 何処に行ったんだ!!? アイツらぁぁぁ!!!』


 3号棟越しに、アイツの絶叫が聞こえてくる。よし、僕の思惑通りだな!

 あの場所からだと直線距離なら数歩でも、現実で向かうなら建物を丸ごと迂回して来ないといけない。時間稼ぎになるし、この際に休めるな。


「……は、葉月、大丈夫だったか?」

「う、うん。なんとか。誠也くんも来てくれたし」


 互いに座り込むと、一気に力が抜けたように崩れ落ちた。

 僕も体力がないけど、葉月はそれ以上みたいだ。無理をさせたな。


「ど、どうして、こんなことになったのかな」

「桐野さんだ。キミの血が必要になったから殺そうとしたんだ」

「なんで、あの子が。私なんかの血を?」

「血を奪うことで僕の偽物はキミの技術を得られる。桐野さんの願いを叶えるために、絵を描けるようにしたかったみたいだ」

「そんなことで私は殺されたくない。あんな奴、死んじゃえば良いのに」


 吐き捨てるような、彼女の悪態に。ちょっと僕は驚いていた。


「き、気持ちは痛いほどわかるけど。そこまで言うか」

「それだけじゃないよ。あの人、誠也くんの偽物を使ってるでしょ。あんなにふざけてるのに、誠也くんを。それが、ちょっと」

「そ、それが、どうしたんだ?」

「……なんでもないよ。それより私は大丈夫だから、ここから逃げないと」


 まあ、そうだよな。回復したことだし、気を取り直そうか。

 アイツの現在位置はわからないけど。きっと、あの大通りを抜けて裏門のところにまで入り込んだはず。この内に、ここから脱出を――


『人に死んじゃえばいいとか言っちゃうなんて、キミはひどい人だなぁ』


 ――ぞくり、と。背中に冷や汗が沸き上がった。

 油の切れたブリキのように。動かない首を向けると。……アイツがいた。


「ウソ、だろ!?」

『ホントだよ。ほら、ここにいるだろ?』


 粘り気がある笑みを浮かべながら、フラフラと足が進んだ。

 何故、アイツに見つかったのか。この際どうでも良かった。どうすれば良い?


『だけド、見つけルのニ苦労しタヨ。こコ、バカみタいに広イじゃネェカ』

「そうだろう。この大学、やけに入り組んでいるからね。新入生、一般教養の授業が多い学部は大変みたいだよ。棟ごとの移動が多いし」

『そんナこと、どウデも良いダロ。フざけテイルノか?』

「キミのハニーとやらも苦労してたみたいだからね。彼女の苦しみを知るのも彼氏の役目じゃないか? そういうこと、大切だぞ」

『オイ、オ前。ナニを考エテイル? 下らナイハナシヲしテ!?』


 僕と僕が会話する。奇妙な光景に嫌悪感を抱きつつ、それを続けていた。

 目的は、ただひとつだ。葉月を逃がすタイミングを図るため。さっきから葉月の手を突いて、それとない合図を送っていた。

 少しずつ下がる足に、対する彼女の反応。僕の意思が伝わったよう――


『って、逃ガすカヨぉォぉォォッ!!!』

「きゃあぁっ!?」


 だけど、彼女が駆けだす前に――僕の偽物が影と化し、彼女に迫った。


「い、いや、いやぁ……」

『ツベコべ言わズ、コうサセりャヨかッタんダ。コレデ、終ワリ――』


 あまりにも瞬間的なことで。僕も、葉月も、どうすることもできず。

 そして、無残にも、残酷にも。彼の赤黒い凶刃が彼女を刺そうとして――


「――ちぃっ!! あの女、まったく役に立たないじゃないか!!」


 謎な悪態を吐き、僕の偽物は、あの黒い影は消え失せた。

 何だったんだ、何が起きたんだ。僕たちの疑問は解消されないまま。


 葉月と座り込んだまま。状況が呑み込めず、しばらく呆然としていた。

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