第5章 炎失峠と幸福世界

プロローグ 燃え上がる夢の中で

 気づいた時には、僕は知らない場所に立っていた。

 周りを見渡すと、あらゆるものが荒々しい炎と煙で包まれている光景。

 燃やされていたのは、黒ずんだ木々、僅かな灰、元々は生命があった大地。

 ……ここで山火事でも起きたのだろうか? 状況が飲み込めず、すっきりとしない頭を働かせながら、ひとまずはこの謎の世界を探索することにした。

 灰色で汚れた濃煙が空気中に漂っていたが、吸った僕に息苦しさはなかった。


「…………」


 どれくらいか道を歩いていると、輪になった人の大軍を見つけた。

 彼らの服装は、男女共に質素なもの。昔の人が着てるような服装だ。

 この火事から逃げているのだろうかと様子を窺ってみると……どうやら、そうではなかった。こんな状況下で、何やら怪しげな集会をしていた。


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


 輪の中心には酷く痩せこけた老人。大きく息を吸って、何かを発した。

 それに続くようにして周りの人たちが、一斉にぶつぶつと呟き始める。

 まるで念仏のようだと感じた。というのも、まったく聞き取れなかったからだ。

 唯一日本語ということは分かったが……早口なのと、存在しない単語同士が組み合わさっているように聞こえたため、何を意味しているのかは理解不能だった。


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


「――――、――――、――――、――――、――――、――――」


 それが繰り返し、ひたすらに唱えられている。

 数えるのが苦痛になるほどの回数を重ねて、やっと終わりを告げた。


「これでだいじょうぶだ。おれたちは、しあわせだ」

「しあわせ、しあわせ、みんな……しあわせ」


 終えた人たちの表情は楽しそうだった。しかし、異常だった。

 まるで憑き物の上に、更に憑き物を被せたような表情をしていたから。

 そもそも、辺り一面が燃え盛っている状況で、逃げ出さないこと自体がおかしいのだ。一体、彼らはここで何をしているんだ……?


「わぁい。おにくだぁ」


 咄嗟に声が聞こえてきた。その方向を見ると、年端も行かない男の子が駆け回っていた。僕のすぐ近くまで来た彼は道端の鼠を掴むと……頭から齧った。

 何事もなかったように、くちゃくちゃと音をたてる。その手では上半身を失くした生き物だった何かが何度か体を痙攣させて、絶命したというのに。

 男の子は骨を吐き捨て、血で汚れた口を拭うと、僕のことを見つけて――


「ここに、しんせんなにくがあるぞ! おいしそうだ……!」


 その刹那の隙に、あの男の子の頭は巨大な斧で壊された。

 犯人は彼の後ろの若い男性だった。人を殺めた罪悪感なんて微塵もないと言わんばかりに――床に崩れ落ちた男の子の体を、ちぎって、口に運ぶ。

 咎める者はいない。むしろ砂糖に群がる蟻のように、他の人もやって来る。


「みそしるだ、みそしるだ。ああ、しあわせだ、しあわせだ」


 後ろの方では、老人が地面に滴る泥水を美味しそうに啜っていた。

 よく見ると1人ではなかった。多くの人々が同じような行動をしている。

 ……何だ? ここで、何が起きているんだ? まったく理解できなかった。

 想像だにしない恐怖で半歩後ろに下がった。その僕の足が地面に着いた時だった。彼らの側にあった燃え盛る木々が一斉に倒れた。

 撓る轟音を立てながら、それは彼らを下敷きにする形で振りかざされた。


「あ、ああ……ああ……しあわせ。なんでも、しあわせ」


 だが、彼らは体が潰されても、燃やされても……意に介してない。

 死ぬ寸前まで、あの幸福そうな表情を絶やしていない。絶対に苦しいのに。


「こんなの、おかしい……」

「おかしいの? きもちわるいの? いみがわからないの?」


 心中を見透かした、鈴鳴りの可憐な声に心臓が止まりそうになった。

 オイル切れのブリキ人形のように動かなかった首を何とか振り向かせる。

 その先には、おかっぱ頭の少女が幼気の残した笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「しあわせじゃないの? みんな、しあわせなのに」


 無垢なる問いかけ。状況が状況でなければ違和感なんてないのに。

 硬直しかける顔を動かしながら、僕は首を振った。それしかできなかった。


「こんな、何が幸せだと……?」

「おにいさん、おもしろい! あははっ、あはははっ、あははははっ」


 必死な反応が面白かったのか、大げさなくらい笑っている。

 笑って、笑って、笑い続けて。頬の筋肉が限界に達するくらいに笑って。

 ……その瞬間。少女の顔にあるはずの皮膚が剥がれ落ち始めた。

 べりべり、べりべりと。元々接着剤で付けられていたのかと錯覚するほど簡単に、次々と彼女というものを構成していたはずの肌が地面に落ちる。

 皮膚の下、生々しい血管や筋肉が浮き彫りになっても崩壊は止まらない。

 なのに、彼女は嬉しそうだった。気味の悪い笑顔はそのまま張り付いていた。


「でもねぇ、わたしたち。とぉぅてもぉ、しあわせなのぉ」


 そして、少女の顔と体のすべてが骨と化した時。僕に襲いかかって――




 目を開けると、僕は見慣れた部屋で見慣れたベッドで寝ていた。


「ゆ、夢か」


 寝起きが良くない僕でも、あんなものを見せられた後だと完全に目が覚める。

 ……もっとも、気分は優れないけれど。気味の悪い夢。何だったんだ?

 布団の横に置いていたスマホの電源を点けると、youtubeのとある動画を開く。


『今日もあなたにちょっとのミステリアスを! どうも、占い系Vtuberの卜部夢実です! 今日は1日、新たな月の始まりです。九星気学占い、やっていきましょう!』


 神秘的なローブを被った、いかにも占い師といった風貌の二次元美少女が画面に映る。可憐ながらも落ち着いていて、聞いた人々を癒すこの声が耳に良い。

 ……そういえば、今日は3月1日だったか。忘れていたな。

 彼女(?)は卜部夢実。動画界隈では、それなりの知名度がある人物だ。

 毎朝8時に十二星座占い、今日のような月初めでは九星気学の動画を投稿していて、学校や仕事で出かける人たちに優しいスタイルとなっている。

 また週1で投稿される彼女の解説動画では古代、中世、現代における占術の歴史。それに関係するオカルトの知識。更に有名な心霊スポットの探索も行っている。

 友人の宏に進められた時にはアニメのような彼女の姿と声に抵抗があったが、見ていく内にそれも慣れて、今ではすっかり彼女の動画のファンになっていた。


『一白水星のあなたは――』


 僕の本命星が呼ばれると、紫の水晶がゆっくりと輝きを放っていく。

 その画面を見ながら、多少の期待を込めつつ、その結果を待った。


『今月は災難に見舞われることが多いかもしれません――』


 ……まあ、だろうな。心の中で、そうツッコミを入れて1日が始まった。

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