第3話 黒羽団地
「そもそも君たち、黒羽団地の名前を知っているか?」
「知ってるわけないでしょ。どこよそれ」
「……敬語を使えたまえ。三年だぞ」
「年齢なんて、今の日本じゃ馬鹿でも取れるステータスでしょ」
ばちばちと、遠乃と伊能さんの間で火花が散った。
「すみません。話を戻してくれませんか?」
「はぁ……。黒羽団地はこの大学から電車で数駅のところにある昔の団地だ」
伊能さんが、タブレット端末に表示された地図で場所を示す。
場所は都内の端。地名は聞いたこともないし、その辺に行ったこともない。
元々僕は神奈川県、横浜に住んでいる人間だから東京に関しては詳しくない。
遠乃は小学5年生までは僕と同じ地域で、その後は親の都合で各地方を転々としていたらしいし、雫は地方から上京して1年とちょっとだけ。
東京のことなら……唯一の地元住民の千夏が知っていそうだが。
「その辺りは田舎の方ですかね」
「それって、この前の廃寺で行ったあそこくらい……?」
「それほどではないです。都心部から離れていて交通が不便な程度ですね」
なるほど。でも田舎でも東京基準みたいだけど。
田が一面に広がってるような、文字通り田舎という場所ではなさそうだ。
「要するに人の寄り付かない辺境の地だ。その地域格差からか長い間、改装工事が行われてない。だから居住者も集まらないボロ団地に成り果ててしまった」
「んで、怪異はどうなのよ? お化けが、とかならお腹いっぱいなんだけど」
「もちろん心霊現象も目撃されてるし、神隠しの噂も確認できた」
「ふぅん、ベターな話ね」
「だけど、この黒羽団地を取り巻く最も奇妙なポイントはそれではないんだ」
ちっちっちっ、と伊能さんが指を振る。
今どきそんなあからさまな仕草をする人っているんだな。
「この黒羽団地には4号棟がない。1から3、5と6号棟はあるにも関わらず、だ」
「ただの設計ミスではないんですか?」
「れっきとした公営住宅なのにかい? それに公的な記録にも存在しないらしい」
確かに、住宅を建てるのに初歩的なミスをするのだろうか。
これだけで怪異だと断定はできないが、個人的に変だとは思った。
「それに、ここからが奇妙な話になるんだが……」
「待ってました!」
「なんと、存在しない4号棟のことを覚えている人がいるらしい」
「えっ、覚えてるってどういうこと?」
「言葉通りの意味だよ。4号棟は存在したと」
……無いはずの4号棟を、知っている?
「それでそれで?」
「もちろん他の団地の人には否定された。証拠がなかったからな」
「そりゃそうでしょうね」
「おまけに主張した人たちも“存在していた”としか言わなかった。その場所には何があっただとか、誰が住んでいただとか、詳細な情報は聞き出せなかったらしい。そして、不思議なことに4号棟で“住んでいた”と言い出す人は現れなかったんだ」
「なーんか、見えないところが多すぎる怪異ね」
「そうだ。だからこそ調査の対象としてはベストなんだよね」
ここが本題だ、そう言いたげな自信満々の様子で伊能さんが身を乗り出す。
「この噂は、黒羽団地の住民の間で秘匿にされてきた」
「何でよ?」
「君たちみたいな興味本位で騒ぐだけの野次馬にばれないためさ」
「……喧嘩、売ってるのかしら?」
「事実を言ったまでだよ。とにかく要は黒羽団地で調査を行い、科学で説明できない現象が起きたなら君たちの勝ち。そうでないなら怪異を暴き出すなんて戯言を抜かすサークルから千夏を辞めさせる」
実にシンプルだろう、と伊能さんが付け加える。
確かに単純だとは思う。大衆向けの、テレビの娯楽にありそうだ。
でも、今まで伝えることができなかったが、彼は大切なことを忘れている。
「これで説明は終わりだ。さぁコントラクトを――」
「コントラクトって契約って意味でしょ。結ぶわけないじゃない」
「……えっ?」
勝ち誇っていた伊能さんの顔が、みるみる変化していった。
僕も、遠乃も、千夏も、その顔をおかしなものを見るような目で見ていた。
「こんな馬鹿みたいな約束、猿でも乗らないわよ!」
……遠乃が言うと説得力があるな。
「そもそも、こういう話は本人が決める話でしょうに」
「ちなみに私はやめる気ありませんからね。新聞部は辞めたくなりましたけど」
「え、えっ?」
「ああ、情報提供は感謝してるわ! それだけ、だけどね」
そりゃそうだ。
サークル活動なんて個人の自由によるものなのだから。
何があろうと、彼にも僕たちにも千夏の決定を侵すことはできない。
契約だとか取引だとか以前に、話の前提がおかしかったのだ。
「そういうわけです。騙したようで申し訳ありませんが」
「え、えっ、えっ?」
戸惑う伊能さんを尻目に、うんしょと遠乃が立ち上がった。
それに続いて僕たちも支度をする。もちろん外出のための、だ。
興味深い怪異の情報を手に入れた僕たちが次にすることは決まっている。
「んじゃ、行きましょうか! こっから近いみたいだし!」
「……うぅ。私、あの人ニガテだなぁ」
「さっきから距離をとって、黙ったままでしたからね。同情します」
「え、えっ、えっ、えっ?」
「……すみませんね、先輩たち」
「誠也ってば、こんな奴らに謝る必要なんてないわよ」
扉の近くに立っていた彼らの側を抜け、部室を出る。
物が盗まれる心配は……ないかな。
そんなことをする人たちとは思えないし、何より盗まれそうなものがない。
「あらら。義彦くん、騙されちゃったみたいね」
「そんなぁー!!」
僕らが立ち去った部室に、色々な意味で情けない男の叫びが響いた。
そして、話は現在へと戻る。
あれから電車に乗って意気揚々と黒羽団地へと向かい。
駅から10分くらい歩いて辿り着いた場所で、調査をしていたのだが……。
「やっぱり存在しないんじゃない?」
特筆することがないくらいに何も起きない。
寂れた団地の懐かしさや物悲しさを感じることはあれど、本当にそれだけ。
時折吹く風も、どこか虚しさを感じさせるように微かなものだった。
「ねぇ千夏。あれの情報収集能力って信用できるの?」
「普通は信用出来ないんですけど、変な情報の嗅覚はあるんですよね」
「ああ、そういうタイプっぽいよね」
遠乃の言う通りで、あの人は変な方向に実力を発揮しそうだ。
そういった意味で伊能さんは、奇妙な才能がある不思議な人かもしれない。
「ま、とりあえず今は調査を続けましょ」
「分かったよ」
「もう何かちょっとでも気になるものないかしら?」
「それなら……あ、あの仏さまは?」
雫がおずおずと声を上げた。
その視線の先には古びた祠が佇んでいた。
どこにでもあるような、僕の膝ほどの高さの小さなものだった。
「ねぇお祈りしていかない?」
「どうしてよ」
「だって1人だけで可哀想だもん」
「優しいわね。シズのそういうところ、大好きよ!」
感激した遠乃が、雫を連れて勝手に祠の元に向かった。
僕や千夏もそれに続き、四人はそれの前に並ぶような形になる。
「でも、これって仏様なんでしょうか?」
「これは道祖神だな」
「どうぞしん? 譲るのが得意そうな神様ね」
「……どうそしん、だ。その地域の守り神で、旅や交通安全の神でもある」
「ふぅん。知らなかったわ。まあお祈りしましょ?」
取り敢えず、無言で目を閉じて四人で手を合わせてみることにした。
願い事はどうしよう。みんな無事に帰れますように、でいいかな。
「「「「…………」」」」
しばしの沈黙が場を支配する。
こうして人の枠組みを超えた何かに祈るなんて、いつ以来だろうか。
現代社会で生きていると、こういう何気ないことを忘れてしまう。
偶には道行く場所の小さな祠や神社にも敬意を表すのも悪くないな。
「あら、夕闇倶楽部の皆さんは信心深いのね」
突然、聞こえた声の方向には僕たちを見守るように眺めていた女性。
「あ、佳世子先輩」
「千夏ちゃん。元気にやってるかしら?」
「はい、おかげさまで」
中岡佳世子さんだった。
あれからというもの、新聞部の二人は僕たちの後を追ってきたのだ。
伊能さんは諦めてないようで。当然ながら、中岡さんも付いてくる。
彼女の、したたかで怪しく感じるような笑みには無意識に警戒してしまう。
「中岡さん、でしたよね」
「ええ、そうよ」
「あの、伊能さんはどうしたんですか?」
「迷子になっちゃったみたい。そういうところも可愛いわよねぇ」
「……あー、またですか」
「えっ、えっ? 迷子になっちゃったの? 年齢的にもう成人なのに?」
「そもそも“子”なのかなぁ」
中岡さんと千夏の反応を見る限り、これは日常茶飯事らしい。
ここまで来ると、ビジネス以前に普通の生活を送れているか心配になってくる。
「そんな野郎がビジネスねぇ。面白い話ね」
「おっちょこちょいなのよ。この前もFXで数十万をうっかり溶かしてたし♪」
「先日は仮想通貨で大損こいてましたよね。うっかり」
それは“うっかり”で済むような話なのだろうか。
「見つかったら携帯で教えてね?」
「は、はぁ。でも良いんですか? 僕たちとは敵対しているみたいですが」
「私はその気じゃないのよねぇ。義彦くんが勝手にやり始めたことだから」
「ああ、やっぱりですか。……あの馬鹿で間抜けの無能先輩め」
「そう言わないであげて。彼だって惨めでクズらしく、必死に生きてるのだから」
言葉のまま受け取ったら悪口に聞こえるが、悪意は感じられなかった。
当の中岡さんが、両手を頬に当て、陶酔したように空を眺めていたから。
……やっぱり、この人と伊能さんの関係性がよく分からない。
「それじゃ私は義彦くんを探すから、また後でね」
「わかりました~。頑張ってくださいね」
「……遠乃先輩って敬語使えたんですね」
「使えるわよ! というか、麻耶先輩には敬語だったじゃない!」
「そういえば、そうでしたね」
二人の会話を小耳に挟みつつ、ふと気になったので道祖神を再び見た。
「…………」
向こう側には、あらゆる光が遮断されるほど密度が高い雑木林。
普段は気にすることないそれも、今の僕には違和感があるように思えた
団地に、こんなに大きな雑木林があるものなのか?
かなりの大きさだ。それこそ切り倒せばもう1棟建てられるくらいには。
それに太い縄で立ち入ることができないように遮られていた。まるで――
「せーや! 何やってんのよ、先行くわよ」
そうこう考えていると、遠乃が面倒臭そうに声をかけてきた。
「悪い。すぐ行くよ」
釈然としない気持ちを抱えながら、この場を立ち去ることに。
後ろから、先ほどの道祖神が僕たちを見守っているような視線を感じた。
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