第2話 バニティなビジネスリーダー

「む、無能先輩……?」


 千夏の口から度々出ていた無能先輩という単語。

 おそらく、この男性を指し示しているのだろう。

 推測が確信に変わったのは、それを聞いた途端にこの人が顔をしかめた時。


「はぁ……。君はまだ自分のことを無能扱いするのかい?」

「事実ですからね、そりゃ」


 いつもの何倍にも増して、千夏が毒舌だ。

 話を聞く限り、何か因縁があるんだろうけど……。

 とりあえず険悪そうな雰囲気を払拭するべく無能先輩(仮)に話しかける。


「あの、みなさん。何のご用件でしょうか?」

「はぁ……」


 用件を聞いたら、何故か呆れたような態度で溜息を吐かれてしまった。


「さっきも言っただろう。コンセンサスを取りに来たって」

「こ、コンセンサス?」

「君たちは知らないかもしれないが、ここにいる千夏くんは優秀な仲間なんだよ。我が新聞サークルにとっての重要なステークホルダーとなってるんだ」

「す、ステーキホルダー?」


 コンセンサス、合意形成。ステークホルダー、利害関係者。

 日本語で言ったほうが分かりやすいのに。後者はともかく前者は。

 現に、雫は分からずに狼狽えているみたいだし。


「ねぇ千夏。このルー○柴の出来損ないみたいな奴、誰なの?」

「誰がルー○柴だ! というより、そこの可愛いお嬢さん」

「え、えっと、私?」

「コンセンサス、ステークホルダー。こんな言葉の意味も知らないのかい?」

「あ、ごめんなさい……」


 何だろう、この人。かなり面倒臭い。


「これくらい知っておくべきだと思うけどね? ビジネスの世界じゃ基本だよ?」

「ここは大学なんだけど? 馬鹿みたいなことであたしのシズを虐めないでよ!」

「ご、ごめんなさい。無能さん」

「だから無能じゃない!! とにかく君は自己研鑽をして社会に目を――」

「あー! 面倒くさいわね!! というより、本当にこいつは誰よ」

「この方は無能先輩こと伊能義彦さんです。恥ずかしながら新聞部の部長です」


 心底嫌そうな顔で、千夏が指差しで紹介する。

 ……本当に嫌いなんだな。ちょっと分かる気もするけど。


「無能ではないが、伊能義彦いのうよしひこだ。そして僕は部長ではなくエグゼクティブチーフだ」

「三日前の天気予報くらいどうでもいいわ」

「趣味はSNSツールを使用した人脈開拓とビジネス本による自己研鑽。将来はこれまで積み重ねてきた豊富なスキルを生かして起業し、もちろん成功し、混濁しているグローバル社会に革新的イノベーションを起こして社会発展を行なうと同時に、社会的リーダーの義務としてCSR活動の推進を行い、世界を発展させていく予定だ」

「ちなみにこの人の10割は価値ないゴミですので軽く聞き流してやってください」

「全てじゃないか! ……あと、僕は三年だぞ! 君たちは二年だろう?」

「さ、三年生の人なんだ。そうは見えなかったなぁ」

「脳みそは夢見がちな中学生で成長止めちゃってますからね」

「はぁ……」


 伊能さんがまたもや呆れたような溜息を吐く。

 何というか溜息が多い人だな。人生が楽しくないのだろうか。


「その反抗的態度がなければ、非の打ち所がない優秀な仲間なんだが……」

「優秀だからこそ、あなたが馬鹿らしく思えるんですよ」

「いやいや、それは君が旧時代的な視野しか持っていないから――」

「――はいはい、ここでおしまい」


 掌を打ち合わせて響く音が、会話を止めた。

 それは、しばらく沈黙を守っていたもう1人の女性によるものだった。

 おそらく彼女も新聞部の関係者なんだろう。

 二人が即座に黙ったことから、新聞部のパワーバランスも伺えた。


「義彦くん、駄目じゃない。喧嘩腰になっちゃったら」

「あ、ああ、すまない」

「まあ、そういう駄目でゴミで生きてる価値の無い義彦くんも大好きだけど」


 しっかり者、僕が評価する前に見せた物騒な発言にうっとりとした顔。

 ……前言撤回。彼女もまた、ちょっと変わり者のようだ。


「自己紹介をしてなかったわね。私は中岡佳世子なかおかかよこ。彼と同じ三年生よ」

「新聞部の副部長でストッパーです 。この人がないと三回は余裕で滅んでます」

「いや、だからサブ・エグゼクティブ――」

「夕闇倶楽部の皆さんよろしくね。それじゃ本題に入りましょうか?」

「え、ああ、そうだな。サジェスチョンはメインから。ビジネスの基本だな」

「ビジネスマン気取る学生とかアニメの主人公気取る小学生と変わらないわね」

「うるさいよ! ま、まあ、とにかく」


 こほん、と大袈裟な咳払いの振りをして、伊能さんは口を開いた。


「小山千夏を、この何やら倶楽部から辞めさせて貰いたい」


 しん、と静まり返ってしまった部室。

 何故かは明確。困惑によるもの。

 いきなり何でそんなこと言われなければいけないんだ?

 僕がそうやって思考を延々としている時、立ち上がったのは遠乃だった。


「何で? 今まで千夏はちゃんと両立できていたじゃない」

「私たちの新聞部はね、誰かさんのおかげで質も量も不足しているのよ~」

「だから千夏くんがこんな生産性のないサークルに拘束されてるのがもったいない」


 吐き捨てるという言葉がぴったりな様子で伊能さんが言い放つ。

 ……つまり、人手不足だから夕闇倶楽部を辞めろと。

 おいおい、いくら何でも横暴すぎやしないか。

 かといって、正論をぶつけて帰ってくれる気配はない。特に彼。

 だから、とりあえず今は上手く話を受け流して丁重にお断りを――


「それに、だ。怪異とかオカルトとか、そんなの滑稽の極みだろうに」

「はああああぁぁぁぁぁっっっ!!!?」


 しようと試みて、諦めることにした。

 この人は誰かの逆鱗に触れるのが得意な方のようだ。


「ど・こ・が! 滑稽なのよ、生産性がないのよ、無能野郎め!」

「誰が無能だ! あと合理的に考えれば、目に見えないものを盲信するなど――」

「なら重力や引力だって目に見えないでしょうが!! 物理学者は馬鹿なの!!?」

「……はぁ!?」


 おいおい物理学専攻。

 自分が勉強している専門を引き合いに出すのはどうかと思うぞ。


「それに自身が認識できないだけもの否定するのは、愚の骨頂よ!!」

「そ、それは当たり前の話じゃ……」

「ニュートンが重力を見つけるまでは、林檎が木から落ちるのも怪異なのよ!!」

「……へっ?」

「合理と怪異の境界線なんて簡単にひっくり返るのよ!」


 あれ、意外と言い負かしている。

 ……吹けば、一瞬で飛んでいくようなトンデモ論理だけど。

 でも伊能さんは反論できない様子。ビジネス本による自己研鑽はどうした。

 まぁでも、このまま黙ってくれるならありがたい限りだから良いけど。


「ていうか誠也も反論しなさいよ! あたしたちが馬鹿にされてるのよ!」


 と、思ってたら話を振られた。でもなぁ……。


「オカルトどうこうの話は個人の嗜好だし、どうでもいいよ」


 本当に、僕はこの件に言うことがない。

 怪異は存在しない、それを調査しようとするなんて無駄の極み。

 その方が一般的には合理的かつ素晴らしい考えなのは自明の理だろう。


「ほ、ほう。君はよく立場を弁えているじゃ――」


 だけど。

 それだけの正論で、今までの僕たちの正誤を判断されるのは癪だった。

 あと、ここまで上から目線で話し続けられると流石に僕も思うところはある。


「でも、千夏を辞めさせることはあなたに決められないはずです」


 だから、堂々と言い放ってやった。

 僕が普段見せないような、毅然とした態度で。

 もちろん伊能さんも睨み返してきたが、僕も負けずに強めた。


「それに、生産性のない滑稽なサークルでも夕闇倶楽部に存在価値はあります」

「……誠也」

「あと、一番大事なのは――」

「わかったわかった。君たちがディスアグリーなのはよく分かった」


 肝心なことを言おうとしたが、話を強引に切られた。

 人の話を聞かないような人間がビジネスをできるのだろうか。疑問だ。


「君たちのような人種が群がりそうな、興味深い情報を持ってきたんだ」


 高級そうな鞄から、謎のクリアファイルが取り出される。

 乱雑に纏められたそれには多数の写真や記事などが挟まっていた。


「とある怪異とやらの情報を調査して、千夏の損得を決めるのはどうだい?」

「へぇ。話だけは聞いてあげましょうか」

「まったく、いちいち君の態度は大きいな」

「あんたの言うビジネスの世界とやらには鏡は無いの?」


 伊能さんの言動が僕の鼻につく理由、その1つがわかった。

 自分のことを客観視できていないんだ。それで人を小馬鹿にしてくる。

 遠乃や宏とは別ベクトルで、強烈に厄介な人物である。


「ま、とにかくその情報をよこしなさいよ」

「……はぁ。それは『黒羽団地』。その場所で消えた四号棟の話だ」


 ――黒羽団地。

 聞きなれない場所の名前から話は始まった。

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