第5話 襲って迫りくる怪異

「何よ、これ」


 部室内の異様な光景を目撃して、呆然としている遠乃。

 そんな様子の彼女に僕は見ているだけしか、出来ないでいた。


「…………」

「えっと、こんな時は……まずは保健室よ! そ、それから――」


 やっと口を開いた遠乃が僕に指示を出そうと右往左往する。

 しかし、焦っているのか、落ち着かない様子で言葉も纏まってない。

 とりあえず僕も何か行動を起こそうと動き始めた時。


「お困りのようだね!」


 誰かが、脳天気な声と同時に遠乃の後ろから出てきた。

 それは、うんざりするほど特徴的で――個性が服を着ているような。

 僕が昨日の昼に見た、あの女性。狂花月夜がいた。


「……あんた、誰よ」

「そんなこと言っている場合なのかな~? 二人とも危ないんじゃない~?」


 部室、そして僕たちの雰囲気を察することなく、へらへらと笑う女性。

 そんな態度に思わず腹が立つ。しかし、言っている事自体は間違っていない。


「そうね、この際だから誰でも良いわ! 手伝って、お願い!!」

「はいは~い♪ 任されましたよっと」


 状況が飲み込めていないのか、故意でやっているのか。

 この場の深刻さなんて微塵も感じていない態度で。

 床に倒れていた雫の体を、軽々と持ち上げた。

 ……ものすごい力持ちだ。少なくとも僕よりはある。華奢な体なのに何故。

 遠乃も疑問に思っていたようだが、抱えてる雫の体を見たら吹き飛んでいた。


「任せたわ! あたしは先に行って、保健室の先生と話をつけてくる!」

「分かった。千夏の方は任せてくれ!」


 遠乃が、廊下を猛スピードで走っていった。

 いつもは咎めるそれも、今の僕は黙って見守っていた。


「じゃ、行こうか♪」

「……ああ」


 彼女の掴みどころがない性格に辟易しながらも、千夏を背負う。

 ……やっぱり重い。中学生程度の体つきをしていない千夏でさえこの重さ。

 何故、この女性は雫を軽々と持ち上げられたんだ? 




 僕たちが二人を保健室に運んだ後。一旦部室へ戻った。

 色々とあっただけに、僕も整理が追いついていないので落ち着きたかった。

 ちなみに保健室の先生は、これはただの体調不良で、休めばすぐ治るとのこと。

 しかし、そんな普通なだけの回答で、僕たちが安心できるわけがなかった。


「…………」


 流石の遠乃もしおらしくなっている。

 いつもは目の前を真っ直ぐ見据える瞳も、今は下の床を見ているだけだった。


「ね、ねぇ。大丈夫よね。あたしたちは幾度となく呪われてきた――」

「…………」

「ゆ、夕闇倶楽部だもの……。ね、誠也」


 不安と恐怖が入り交じった声で言われても、説得力がない。

 それにこの期に及んで、そんな馬鹿げたことを言える神経に脱帽だった。

 そもそもの話。元を辿れば、この箱を持ってきたのは紛れもない遠乃だ。

 強引にでも止めなかった僕にも責任があるとはいえ、こいつの行動は目に余る。


「……これからどうしようかしら?」

「知らないよ」


 ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、本当にどうしようもない。

 念のため、あの箱は元の状態に戻して、完全に初期の状態にした。

 しかしそれで元通りなんて、都合の良い話が起きるのは有り得ない話だ。

 何か行動を起こさなければ。今の僕の心の中には深い焦りが侵食していた。


「……よし」


 えっと、あれはどこにあったかな。……ああ、これだ。

 魔除けの効果があるという麻の布。麻耶先輩が買ってくれたんだっけ。

 遠乃の訝しげな視線を傍目に、布であの箱を包み込んでいく。


「ちょ、ちょっと! 何やってるの!!」

「決まってるだろう。この箱を元の場所に返してくるんだ」


 二人がこうなった原因として考えられるのは、この箱だ。

 それならば、元の場所に戻してしまうというのが道理だろう。

 この場所から行くと時間はかかってしまうが、背に腹は代えられない。

 麻の布で箱を厳重に囲んで密封する。それを持ち出そうとする。


「待ちなさい!!」


 いきなり遠乃が大きく叫んで、僕の動きを止めた。

 何の用だと睨みつけると、彼女は僕の手に何かを握らせた。

 それを見ると、どこかの地図らしきものが大雑把に記載されている。


「何だよ、これ」

「大学近辺にあるオカルトショップ。ここからだと……15分で着くはず」

「何を言っているんだ?」

「あたしが日頃から行ってる場所で、そこにいる"あの人"なら箱の謎もわかるかも」

「ふざけているのか? 馬鹿なことをしている暇があったら――」

「ふざけてんのはあんた。冷静に考えて」

「何を――」

「仮に元の場所に戻して、解決する保証はあるの?」

「……っ!」

「それにもう一度、あの廃寺に行ける? 雑草しかない原っぱになってたのに?」


 ……遠乃の言葉は確かに正論だ。焦りだけの行動で、正しい保証なんてない。

 でも僕は納得できなかった。そんな僕に遠乃が畳み掛けるように言葉を続けた。


「色々行ったけど、まずはここに行って」

「本当に、信用できるんだろうな」

「あたしが保証するわ。だからお願い」


 柄にもなく懇願してくる遠乃に、僕は冷ややかな目を向けていた。

 でも藁だろうが悪魔の手だろうが、微かな可能性でも縋りたいのは同じ。

 悔しいが、こいつの話に乗るしかない。

 今回の責任の有無とは別に考えること。そう自分に言い聞かせる。


「……あたしはシズと千夏と一緒にいるわ。それに」


 遠乃が視線を動かす先には、僕たちの喧嘩を笑いながら見ていた女性がいた。


「……どうやらあの娘、あたしたちに用があるみたいだし。対応しておく」

「わかったよ。僕一人でやってくる」


 むしろ現状を考えると、一人で行った方が何百倍も楽だ。

 そう考えた僕は、彼女の提案に反論することなく黙って部屋を出ていく。


「~~~~♪」


 その時に通りすがった狂花さんは、嘲笑を浮かべながら僕を眺めていた。




 行き場のない自責と怒りの念。

 複雑に絡み合う感情を抱きながら僕は大学の構内を歩いていた。

 今の僕の顔は、まともに見れたものじゃないほど沈んでいるだろうな。

 そんなこと思った時だった。偶然にも誰かの会話が耳に入ってきた。


「ねぇあなたはもう会った!?」

「うんうん! 素晴らしい人だったよねー!!」


 話の断片から察するに、どうやら女性、狂花月夜の話をしているようだ。

 ……そんなに有名なのか? 今まで見たことも聞いたこともない人だったのに?


「あんなにすごい人、生まれて初めて会ったよ!」

「それに美人で可愛いのよ! あれでノーメイクなんだって!」

「天は二物を与えずっていうけど、あの方に限っては間違いね」

「私サインもらっちゃった~。一生の宝にしようっと!!」


 どんなに歩を進めても、狂花月夜に関係する噂話は途切れることはなかった。

 ――どこに行っても、この大学の誰かが、彼女の話をしているからだ。

 それも全て、鏡に写したかのように同じ内容だった。

 可愛いとか、優しいとか、素晴らしいとか。

 抽象的な美辞麗句で褒め称えるものばかり。

 流石にここまで信奉者が多いと、変なものに対する恐怖を感じてしまう。

 もはや人気者という枠組みを超えて、新興宗教の教祖のようにも見えた。


「いや、何を考えているんだ。僕は……」


 振り払うように呟く。僕はそんなことより大事なことを考えるべきだ。

 鞄に詰められた箱。これをどうにかしなければ雫も千夏も危険だ。

 僕は、あいつから受け取った地図から店を探すことに専念する。

 その他の雑念は、今は耳に入れないことにした。

 そうしなければ――未知なる何かに飲まれていくような気がするからだった。

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