第10話 生きとし生ける怪異譚
あの廃寺探索から、次の日。
僕はいつもと同じように夕闇倶楽部の部室へ向かっていた。
しかし、昨日の過剰な運動のせいで全身の筋肉痛が辛い。
あんなに重いものを動かしたり、全力疾走したりしたのはいつ以来だろうか。
ちょっとは運動しないと。自身に戒めるように思い、部室に到着する。
「誠也~。おはよ~。……さくさく」
「おはよう」
扉を開けると、呑気にオカルト雑誌を読んでいる遠乃がいた。
……本を読みながらポテチを食うな。食いこぼしが隙間に入るぞ。
「あれ、あんただけ?」
「今のところはな。後から来るんじゃないか?」
「じゃあ。はい」
「何だよ、その手は」
「今回の調査書に決まっているでしょ! あたしは気になってるのっ!!」
ああ、それか。
結局、あの後は僕も先輩も語らずじまいだったな。
鞄を机におろして、クリップで閉じた紙の束を取り出す。
「どれどれ~」
待ちきれないのか、僕の手元から強引に奪って目を通していく遠乃。
最初は期待に満ちた様子だった。しかし、次第に顔色がみるみる変わっていく。
ここまで予想はしていた。そしてこいつが次に行う行動は――
「はぁっ!? なにこれ!? つまり私たちとは遊びだったってこと!!?」
怒りと驚きでレポートを強く握りしめる、だろう。当たったな。
流石にこんな発言を叫んでくることまでは予想してなかったが。
「声が大きい。あと内容を考えろ! 変な噂が立ったらどうする!」
「どうでも良いわよ、そんなの! そ・れ・で!! これって本当なの!?」
「そうだ。僕たちに悪戯を仕掛けてきただけ、というのが怪奇現象の正体だ」
「えー、そもそも、あそこって怨念がいるんだって!」
「噂ではな。でもそうだとしたら僕たちはもっとひどい目に遭っていたはずだ」
遠乃の疑問は道理にかなっている。
背景から考察しても、廃寺にいる怨霊だという解釈は普通のもの。
しかし、今回の怪異の現象から考えると、怨恨によるものではなかった。
「長い年月が経つ内に恨むのをやめたんだろう。他の子どもと一緒に遊び初めた」
ならば、抱えていた恨みそのものが消したと考えたら辻褄が合う。
最初は多くの子供たちが捨てられたことを恨み、悲しみ、苦しんだはず。
しかし、何十年も、何百年もひたすら恨み続けるのは辛いことだ。
怨念なんて捨てて、共にいる仲間と無邪気に遊べばいい。
あの空間は単なる怨念だけでなく、そんな想いがあって創られていたのだろう。
「つまり傷の舐め合いで恨みが消えたってこと?」
「随分と大きい舐め合いだな。だが、まとめるとそんな感じだ」
「なーんか、拍子抜けねぇ。怪異っぽくなーい!!」
「……そもそも幽霊がいた時点で立派な怪異だぞ」
「あ、そっか。そういえば、そうよねー」
夕闇倶楽部にいるせいで感覚が麻痺していないか、こいつ。
ちなみに調査書は作成したが、外部にこのことを公表する気はない。
あの空間は親や村に捨てられた彼らが創り出した”楽園”なのだ。
それを潰してしまうのは、怪異に関わる者として喜ばしいことではない。
山のおばあさんが言ったように「そっとしておくべき」なのだろう。
余談だが、僕たちが下山したときにはおばあさんはいなくなっていた。
それどころか、あの小屋自体が影も形もなくなっていた。
あの人は何だったのか、今の僕たちにはわからない。
「でも、どうも納得出来ないのよね―」
そう言いながら、遠乃は不満げな顔で再び雑誌を読み始めた。
だが、本人が納得しないかどうかに関係なく、今回の僕の仕事は終了だ。
やることがなくなった結果……『あること』が僕の頭に浮かんだ。
そもそも僕にとって、そんな調査書なんて二の次だったのだ。
僕の関心の殆どは調査終了後のあることに寄せられていた。
それは方向が一緒だったため、僕と先輩が電車に乗っていた時のこと。
だいぶ会ってなかったので積もる話もあり、先輩との会話は盛り上がっていた。
いろいろと話していると、突然、先輩が神妙な顔つきで話しかけてきた。
「ねぇ誠也くん。ちょっと重大な話があるのだけど、聞いてくれる?」
「何ですか、藪から棒に」
「怪異に対する抵抗性についてよ」
……怪異に対する抵抗性? そんな話は初耳だった。
ウィルスみたいに怪異の抵抗が体の中にあるというのだろうか?
「怪異に飲まれるとか取り憑かれるとか、そういう現象が起きやすい、影響を受けやすいかの度合いのこと。霊感が強いとかよく胡散臭い人が言ってるでしょ」
「は、はぁ……。それで僕たちはどうなんですか?」
「例えば、雫ちゃんは低い方に入るわね」
……言われてみれば、雫に怪異の影響が色濃く出ていたことが多い。
遠乃が冗談で「シズには怪異を呼ぶ力があるのかしら!」というくらいに。
「次に千夏ちゃんはおそらく普通。私もそれと同等がちょっと上くらい」
千夏が普通なのはいいとして先輩もそんなに変わらないのか。
むしろ強い部類に入ると思っていたので、驚いた。
しかし、そんな驚きも、次の一言ですっかりと消えてしまった。
「その中で……誠也くんと遠乃ちゃんのことなんだけど。あなたたちは揃いも揃って高いの。それも異常なほど。もはやそれが――怪異に思えるくらいに」
まるで時が止まったような錯覚に陥った。
その数秒後、急に電車が大きく揺れて、何とか意識を戻す。
「そ、それは……。いつから思ってたんですか」
「前々から思ってたわ。でも言おうと思ったのは呪いのゲームの話を聞いた時ね」
呪いのゲームの事件では僕たち全員が呪いの影響を受けている。
雫は半狂乱に成り、千夏は生と死の境界が薄くなっていた。
しかし、僕たちは呪われていたものの、ちゃんと自我を保っていたのだ。
……いや、むしろあの事件は受けている影響が大きかった。
いつも、怪異に遭遇しても、僕と遠乃は平然としていることが多い。
「あなたたち、幼い頃は二人で探検してたって言ってたわよね」
「……はい」
「その時に何か会ったかもしれない。心当たりとかはない?」
本音を言ってしまえば……あるには、ある。
でもそれが事実かどうかという確証は持てない。
僕の中でも整理がついていない、曖昧な事件なのだ。
そういったことで変な誤解を招くことは避けたかった。
「そんなことは、ないですよ」
「……そう。ごめんなさいね、変な質問をして」
「いえ……」
「あ、話題を変えましょう。近所に美味しいケーキ屋さんが出て――」
その後は数分前と同じように、何の変哲もない世間話が駅に着くまで続いた。
しかしその間も、その後も、あの言葉が脳から離れなかったのだ。
回想終了。
先ほどのことは、今でも悩みの種だった。
先輩にはちゃんと言うべきか、迷惑をかけないように言わないべきか。
その二つの選択肢が、無意味にぐるぐると頭の中で回っていた。
こうなったらまともな判断をとれないことはわかっている。
しかし理性ではわかっていても、思考を止めることができなかった。
「……どうしたの、誠也? 考え事?」
「おおっ!?」
唐突に話しかけられて、変な声を出してしまった。
遠乃が心配そうに僕の顔を覗き込んできている。
「何を考えていたっていいだろ。お前には関係ない話だ」
焦りが入り混じったためか、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。
しかし心配を裏切るようで悪いが、このことは知られないようにしたい。
もし知られようものなら、面倒になることは目に見えている。
「何よ、そこまで強く言うことないでしょ」
「……すまん」
「ま、いいけど」
どこか不機嫌な顔をして、遠乃はそう呟く。
それからは、僕たち二人の間には沈黙が支配していた。……気まずい。
「みんな、おはよ~」
「おはようございます」
そんな時、雫と千夏が部室にやってきてくれた。
「おはよう! シズ、千夏! これでみんな来たわね!」
「……あんなにスタンプ爆撃されたら行かざるを得ないですよ」
「奇遇だな、千夏。僕もだ」
「そ、そうなんだ。私は来なかったけど……」
「そりゃ、みんなに見せたいものがあるからね!!」
……み、見せたいもの? 初耳なんだが。
遠乃が自信満々に掲げたのは――古びた小箱だった。
それは何だ。そう疑問を投げかける前に意気揚々と語りだした。
「ふっふ~ん! 何を隠そう、どっかの馬鹿が転んだ時に見つけたの」
「それってあの廃寺にあったもの、という解釈でいいか?」
「あれ。麻耶先輩が異界の物は拾うなって言ってましたけど」
「いいの。今の部長はあたし! あたしが大丈夫だって言ったから問題ないわ」
そういう話ではないだろう。
あんな場所にあるものなぞ、どんな危険性があるかわからない。
「それに物を取ってきたらお金持ちになったーってお話もあるでしょ?」
「……もしかして、マヨヒガの話か?」
「名前は知らないけど、多分それね」
「それなら川から流れ届けてきてくるのを待った方がいいぞ」
「待っているなんて、あたしのポリシーには反するわ!!」
……だろうな。こいつに待て、なんて崇高な真似ができるわけがない。
ちなみにマヨヒガは、生活感がある立派な家屋だとされている。
あんな寺が該当するとは思えないし、物を盗るべきではないのは確かだ。
「本当に大丈夫なんだろうな」
「疑い深いわねー。そんなに言うのなら、あんたが返しに行きなさいよ」
なお咎めている僕に、遠乃は面倒くさい感じでそう言った。
「特に何も起きてないし、いいでしょ。わかってないことだってあるし!」
「わかっていないことって?」
「物に流れる時間がーとか言ってたでしょ。それにポルターガイストとか!」
「あ、あああの。が、骸骨とか!!」
「そういえば、それはわかっていなかったな」
確かにこれは同意せざるを得ない。
あの廃寺ことには未だ不明なところがあるのは事実だ。
しかし、それはもう探求しないということを調査書に書いたはずなのだが。
そこまで読んでいなかったのだろうな。この馬鹿は。
「もしかしたら、これを解き明かせば何か出てくるかも」
「板が動くようになっているんだね~。あれ、開かない……」
「肝心はそれなのよねー。ま、そのうち開くでしょ!」
気がつくと、僕たちを覗いた三人があの箱のからくりに挑んでいた。
改めて大丈夫なんだろうかと不安に思う、その時。
遠乃にくしゃくしゃにされた調査書が目に飛び込んでくる。
「……はぁ」
自分が書いたものを粗末にされると、やはり悲しいな。
拾い上げて、紙のしわを伸ばした。ちょっとだけマシになった気がする。
どうやら、あいつは前半部分しか読んでいないようだな。
僕的に重要なのは後半なのだが……仕方がない。僕だけでも読むことにしよう。
――怪異は生きている。
だからこそ理解もできる。僕たちと同じ、生者のように。
しかし、それは怪異の全てを知ることができない、ということでもある。
物事を理解すること、知識を全て得ることは別物だ。
怪異は既知であるか未知であるか関係なく、あらゆるものが混在している。
そして、それを全て知ろうというのは不可能。でも、自分なりの理解はできる。
何を意味しているのか、どんな想いが含まれているのか、何を伝えたいのか。
怪異を探求する上で必要なのは、知ろうとすることなのである――
自分で書いておいて、随分と都合がいい考え方だとは思う。
しかし、わからないものはわからない。それでいいのではないか。
全ての知識から客観的理解をするのは、我々人間にとっては大それたことだ。
それに物事は時の流れと共に変化する。日は進むし、月は歩く。
恨みを持った怨霊だって数百年もすれば、忘れて暮らすようになる。
生きとし生ける怪異を探求するなら、それは頭に入れる必要があると僕は思う。
「ぐぅぅぅぅっ!! あ~か~な~い!!!」
「とおのん! 無理やりしても開かないよ! 中のものまで壊れちゃう!!」
「まったく、動物園にいる猿だって頭を使いますよ……」
……なのだが、あの遠乃に届くことはないだろう。
箱の中身が気になるのはわかるが、落ち着きというものを知らないのか。
そんな部長様の姿に呆れつつ、今回の怪異は一先ずの終わりを迎えたのだった。
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