第9話 廃寺からの脱出

 地下の道を、必死に走る。

 後ろからは子どもの形をした、廃寺に住み着く怨霊が迫っていた。

 逃げていると分かれ道に差し掛かる。……よし、ここは左に曲がるのが正しい。

 本堂に戻るよりも境内に向かった方が早くここから脱出できるはず。

 左の道に視線を動かして――


「……嘘だろ!?」


 その先には目が無い子ども霊が多数、待ち構えていた。

 ……くそっ! これではあの道を使えないじゃないか!!

 それなら右だ。こっちは好都合なことに誰もいない。

 本堂を抜けるとなると回り道にはなるが、それしか方法はないだろう。


「こっちだ!!」

「え、そっちって……」

「左にはあれがいる!」

「わかったわ!!」


 急ぎつつも、転ばないように、壁を伝って進んでいく。

 刹那の間、後ろを見ると四人ともちゃんとついてきていた。良かった。


「あ、出口だ!!」


 そうこうしている内に、あの無機質な階段が姿を見せた。

 警戒心はあったが、体は言うことを聞かず、一気に駆け上がる。

 とりあえず地下からは脱出できた。ひとまずの安堵と達成感。

 ――そこで僕は安心しきってしまったのだろう。


『ばぁ』


 そんな僕を嗤笑するように、目と鼻の先に現れたモノ。

 突然の恐怖から生じた足の竦みと、理解不能な状況から生じる思考停止と、もう駄目かもしれないという諦め、それらが入り混じったものが一斉に僕を襲った。

 ――ふらっと、体を支えていた力が崩れ落ちていく。


「え、ちょっと待って――」


 子どもの霊たちに襲われている状況にもかかわらず。

 僕は後ろのみんなと巻き込むように、倒れ転んでしまった。


「きゃあ!!」


 建物内に轟音が響き渡り、後ろから悲痛な声が聞こえてくる。


「な、何やってんのよ!! バカ誠也!!」

「すまん! 悪かった!!」


 後ろから飛んでくる、遠乃の鬼気迫った怒鳴り声。

 床に強く打ちつけてしまったせいで、体の節々が痛む。

 しかし、何とか首を動かして状況を確認――


「…………」


 しようとした僕の眼を、射殺すように見てくるビー玉のような目。

 よく見ると足がない。ということは、あの時に影から僕を覗いていた奴か。

 そんな、端から見るとどうでもいいような分析を行う。

 もう、どうでもいいやと、自身の意識を放棄しようとして。


「何をやっているの、誠也くん!! 早く立ち上がりなさい!!」


 空間内に響き渡る麻耶先輩の声で、現実へと戻される。

 子どもの霊を払い除けるように立ち上がり、そのまま距離を取った。

 そんな僕の態度に対して臆することなく、子どもはまたしても笑う。

 それが無性に気がかりに残るもので、腹立たしくも感じるものに思えた。


「ここは危険よ。早くここから逃げましょう!!」


 しかし、そんな感情ごときに心を動かしている場合ではない。

 今の騒音を聞いた霊たちが集まってくる可能性が高いからだ。

 ここを包囲されれば終わりだ。先輩の言う通り、早く逃げなければ!!


「あれ、なにこれ。ざらざらして、硬いような……?」


 そんな時に、立ち上がった雫が何かを発見したらしく、小さく呟いた。

 懐中電灯の微かな光に照らされて、浮かび上がってきたのは。


「ひっ!!」


 それは、気味の悪いほど白く濁った色の。

 ――人間の、白骨死体だった。

 しばらくそれに呆然と目を向けていると、陽気に笑うように、頭蓋骨が歯をぶつけ始めた。

 ……もう、なんなんだよ。これ!


「……う、うえぇぇ?」

「ポルターガイスト現象かしら。当たったら危なそうね」


 気がつくと、あらゆるものが宙に浮いていた。

 ふわふわ、ふわふわと。ここはさながら、宇宙空間。

 そんな光景に、遠乃は驚愕して、麻耶先輩は場違いな冷静な分析を下していた。

 どちらも方向を違えているとはいえ、パニックになっていることが疑える。

 いや、二人だけではない。僕も雫も千夏も――言葉を失っていた。

 しかし、眼の前の怪異は僕たちを待ってくれるなんてことはしない。


『きゃははは』


 子どもの霊が笑い声を上げるとともに、物体が一斉に飛んできた。

 あるものは見当違いの方向に飛び交い、あるものは僕たちの頬をかすめ、そしてあるものは体にぶつかった。物が当たった感触と痛みが皮膚に伝わってくる。

 それを引き金にして、僕たちは何かこみ上げた感情のまま、駆け出した。


「いやあぁぁぁぁぁぁっっっ!!! 出口はどこぉ!!?」

「早く、早く、早く逃げないと!! どこなんですか、先輩!!」

「落ち着け、みんな!!」

「こっちよ!! 大丈夫、大丈夫だからね!!」


 狂乱する二人を宥めながら、僕と先輩、それと遠乃が先導をする。

 幸運なことに、この建物の構造はそれほど難しくない。

 迫る霊や飛んでくる物を避けながら、出口にやってこれた。


「ひ、光。あ、あ、あそこが……?」

「そう、出口よ!!」


 微かな光が見えた。ここの出入り口は、すでに空いていた。

 ……あれ、おかしいな。僕はここに来る時に閉めたはず。

 まあ何かの記憶違いだろう。とりあえず今は出ることを考えよう。

 そう勢い良く外に出た、僕たちを待っていたのは――


「……ははっ」


 一、二、三、四……数えるのが馬鹿らしい。ざっと数十人くらい。

 子どもの霊が、至るところに立ち佇んでいた。


「う、嘘。あの時はまったくいなかったよ! それなのに!?」


 もはや、こんなところから僕たちは逃げ出せるのだろうか?

 しかし考えていても、仕方がないので体を動かす。

 本堂から山門までは距離があるが、走れない距離ではない。


「ねぇ、何かないの!? 誠也!!」

「あるわけないだろう!!」


 そんな便利屋みたいな扱いを受けても、困ってしまう。

 手持ちを確認しても、ポケットを確認してみても何もない。

 ……あれ、待てよ。それって可怪しくないか?


『お疲れ様。はい、ご褒美』

『あめちゃんよ。甘くて美味しいわよ』


 そうだ。僕は先輩から飴をもらっていた。

 もちろん食べていないのだから、無くなるわけがない。

 ……もしかして、あの転んだ時に落としたとか? 

 いや、それは考えにくい。飴玉を入れた時点でポケットは詰まっていた。

 だから、転んだ時の衝撃で落ちるとは思えない。

 かと言って、あの時以外に心当たりはなかった。

 そうだとしたら、飴が無くなったのは何が原因なのだろうか?


「わかっているわよ! 駄目元で……ってどしたの、誠也」


 確かに今の話だけなら、ただの偶然で済ませてしまっただろう。

 しかし、現に不可解な現象が幾多も起きているのであれば、話は別になる。

 あの霊が僕たちを追いかけるには、それ相応の理由があるのは確か。

 有り得るのは、何の断りもなく霊域を犯した不届き者を殺すというもの。


「…………」

「……せ、誠、くん?」


 ただ、そのことがどうも引っかかってしまう。

 本気で捕まえる、殺すのが目的なら、いくらでもチャンスはあったのだ。

 しかし、そんな行動はしなかった。殺意すら向けてこなかった。

 それに来る前に調べた噂と、実際の子どもたちが違っているのも気になる。

 この異界を創り出す恨みを募っている怨霊には、どうしても思えないのだ。

 むしろ、あの霊たちは、まるで子どものように――


「……ねぇ、誠也くん? 何かわかったの? はぁ……はぁ……」


 冷静な思考ができてる僕に、自分でも驚きを隠せない。

 異常現象が続くと、人間もそれに適応できるようになるのだろうか。

 人間とつくづく欠点だらけなようで、優秀な生物であると身をもって味わった。


 よし。ならば、この怪異が秘める謎を考えていこう。

 走りながらというのはは体力的にも精神的にも辛いが、やれるはずだ。

 あと、もう少し。何かひらめきがあれば解明できる!

 先入観を捨て、ここで見てきた、絶対に揺るぎない真なる事実に目を向ける。

 ――楽しそうな子供の霊、竹とんぼ、あやとり、消えた飴玉。

 これらを繋げて、ありのままの情報を見て、それから導き出す。

 そうして見つけた、今回における怪異の正体とは――


「…………っ!!」


 僕が達したと思われる結論は、おそらく正解のはず。

 今までの怪奇現象にも、本気で襲ってこないことにも説明がつく。

 しかし、だ。拍子抜けというか、言われても理解しがたいというか。


「はっはっはっ……! もう、限界……」


 それに説明しようにも、先ほどからの全力疾走で皆は限界を迎えていた。

 現に僕も体が悲鳴を上げている。息だってきつい。

 でも、もう少しだ。もう少しで、ここを出ることができる。

 あの特徴的な山門も見えてきた。あの先が、『僕たち』の世界だ。

 今はこれに集中しよう。距離は徐々に短くなっていって、そして、ついに。


「きゃ、あ、あれって!」

「……嘘でしょ?」


 僕たちが向かっていた山門の前には、何十人もの霊が並んでいた。

 おそらくは僕たちを待ち構えていているのだろう。

 そりゃそうだ。それさえ塞げば、ここから逃げることは不可能なのだから。

 そんなの、子どもだって知っているだろう。

 霊たちのけらけらとした笑い声に釣られて、僕も自然と笑みが浮かんでいた。


「…………」


 ああ、僕たちはこれからどうすればいい?

 実を言うと、僕の辿り着いた結論が正しければ――大丈夫なはずだ。

 しかし、それが正しい保証は誰もしてくれない。確信だって持てなかった。

 だが、この状況なら方法はこれしか無いのも事実。……イチか、バチか、だ。


「麻耶先輩!!」

「な、何かしら?」

「飴です! 飴を全部、子どもたちにあげてみてください!!」

「はぁ!!? 誠也、何言ってんの!? ついに頭がおかしくなったの!?」


 先輩の回答を待たずして、遠乃が素っ頓狂な声を上げる。

 その反応は予想していた。こんなこと、気が狂っても言わないだろう。

 しかし、僕は大真面目だ。本気で勝負に出ようとしている。


「……ああ、なるほど。そういうことね」


 そんな僕の思いが伝わったのか、先輩は頷いてくれた。

 もしくは、すでに先輩の中では分かっていたのかも知れないけど。


「そういうことって、どういう意味……」

「話は後よ。はい、子どものみんな、おやつの時間よ」


 優しげな声で、先輩が飴玉を辺りにばら撒いた。

 色とりどりの塗装に包まれた飴玉が、灰色の地面に落ちていく。

 それを見た子どもの霊たちは突然の行動に首を傾げていた。

 しかし、投げられたものが飴と認識した瞬間に、無我夢中で飴を拾い始めた。


「……え、あ、その……。な、なに?」


 さっきとは別の異様な光景を見て、戸惑いを隠せない三人。

 そして、僕は自分が思い描いていた通りの行動に安心していた。


「今のうちに帰るわよ」

「……あ。は、はい」


 こうなったら、僕たちを構ってはこないだろう。

 集団の脇を通って、山門をくぐり抜け――異界を脱出した。

 現世に帰った僕たちを出迎えたのは、老朽しきった階段。

 その後は、階段を最初は急ぎ足、すぐにゆっくりと降りていった。

 ふと気になって後ろを振り返る。あの子どもたちの姿は見当たらなかった。


「……はぁ」


 さっきまでの緊張感が抜け、麻痺してた疲れが出てくる。

 それは皆も同じようで、比較的汚れてない部分にみんなは座り込んでいた。


「ど、何処に行くんですか?」

「ちょっと確認したいの」


 そんな時、先輩は疲れた顔を見せながらも階段を再び上る。

 不思議に思った僕は、足の痛みを抑えてそれに付いていった。


「――ああ、やっぱりね」


 先輩が、納得したような声を上げる。

 その階段の上には、原型を見えないくらい老朽化した山門と。

 雑草が生い茂るだけで他には何もない平坦な空間が、ただ広がっていた。

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