使者往来

 二月にオステン公への贈り物は完成した。宝箱の装飾に金ではなく青銅を使ったため、オーランドの出費はノーデンが消費する麦一年分ほどで済んだ。

 壮麗そうれいな絵を描いた荷馬車に、蓄音機ちくおんきとレコードを詰めた見かけ倒しの箱が積み込まれていく。オステン領主は美しい音楽でありさえすれば、楽器の出どころなど気にしないはずだ。

 玄関の車寄せの屋根の下で、オーランドがぼんやりと旅立ちの準備を眺めていると、後ろから肩をたたかれた。


「よう。ノーデン次期領主。オステンに贈り物とは、妙な気まぐれだな」


 ルーシだった。オステンへの使者として彼を派遣することになっていた。彼は王女降嫁こうかに伴う儀式群を経験しているため、ノーデンで一番貴族同士の儀礼に慣れている。たまには女絡みの出来事も役に立つものだ、とオーランドは思う。


「気まぐれじゃない。ノーデンの為だ。燃える水をノーデンの燃料にできれば、この厳しい冬の犠牲になる民を、少しでも減らせる」


「へい。崇高すうこうな使命を貰ったもんだなあ。かわいい盛りの息子と娘から少なくとも2か月は引き離される父親の気持ちも、多少は考えて欲しかったもんだがね。まあ、俺の嫁はしっかりしてる。おふくろもいる。俺不在でも、何も変わらずハロシェテは回るさ」


「そうか」


 女の話が出て、オーランドは顏をしかめた。ルーシは一瞬やっちまった、という表情をした後、早口でしゃべりだした。


「ああ、つまり、領地は問題ないってことだ。オーランドは改良型紡績機ぼうせききと蒸気機関に集中すればいい。アフェクとアセルではもう稼働しているんだろ?」


「そうだ。気を使わせたな」


「それじゃ、またな。いい知らせを待ってろよ!」


 ルーシは軽い足取りで自分の馬車に乗り込んだ。オステンへ旅立つルーシを見送る間、オーランドは年が明けてからの事を考えていた。


 年が明けてすぐに、蒸気機関を利用した工場はできていた。アフェクの紡績工場は特殊な設備が付け加えられていた。

 簡単に水を手に入れるため、川沿いや地下水が出てくる場所に配置され、隣に人間の宿舎があるのは共通だが、アフェクは工場の横に羊小屋がある。そして、暖房用の装置がついていた。

 アフェクの蒸気機関の周りには、水を通した銅の管が蔦のように巻きついている。銅の管を流れる水は熱せられ、羊小屋に繋がる陶器のパイプに流れ込む。熱湯が流れる陶器のパイプは、保温と火傷防止のための煉瓦に包まれ、羊小屋へ続く回廊の地下に潜る。湯は保温されてそのまま羊小屋の床下に到達し、床暖房としての役割を果たすのだ。その後、適温に冷めた湯は人間の宿舎へまわり、水だけで動く水槌ポンプのみの力で二階へ到達し、暖房としての最後の役割を果たす。居住区を回りきり、冷えた水は再び蒸気機関にまきついた銅の管に戻る。 

 この温水暖房装置は炭坑出身者の発案だそうだ。日が暮れ、蒸気機関を止める夜も使えるよう、暖炉がある個所も銅管で作られ、夜は蒸気機関に巻きつけた銅管から冷めることの無いよう、保温用のキルトまで設計されていた。


『すごい……ヒートパイプだ。とっても効率がいいから、アセルでも絶対採用した方がいいよ』


 カーラは断言した。カーラがそういうなら、とオーランドはすぐにその装置を取り付けさせた。工事に反対する職工を説得し、極寒の中で作業にあたらせた。凍傷とうしょうになって足の指を切り落とした者はいたが、死人は出なかった。気の毒だ、とオーランドは思ったが、吹雪の中床暖房の工事をしたことは後悔していなかった。

 昔なら、職工の体を気遣って、極寒の一月半ばに工事を強行しなかった。ふとオーランドは思った。気づけば、彼はカーラを世界で最も信頼していた。カーラには自分しかいないし、夜に悪夢を見るという秘密も共有している。

 カーラの言うことは、ノーデンの為になることばかりだ。自分も、多くのノーデンの民の為に、ノーデンの民の盗賊団を制圧して殺傷した事など、一度や二度ではない。それ以外にも、殺人罪を犯したノーデンの民に、死刑を下したことも数回ある。ノーデンの為に直接間接を問わず――人を殺した今までの経験に比べれば、極寒の中の作業を拒む職人を説き伏せて足指を失わせたことなど、些細ささいなことだ。しかし、何かが違う。オーランドは言葉にできない違和感があった。


「次期領主様、アフェクより文が届いています」


 ニールに声をかけられ、オーランドは物思いを止めた。すぐに次期領主としての思考回路が戻ってくる。


「ああ、誰からだ?」


「アフェク伯オリヴィエ様と、連名でブリュンヒルド様と書かれています。件名は、アフェクから領都に正式使節を送る、とのことです」


「部屋で読もう。紅茶を入れてくれ」


 オーランドは車寄せから城内へ戻った。かじかんだ手を紅茶のカップで暖めつつ手紙を読むと、大体こんなことが書いてあった。


 ――蒸気機関で布を織る絡繰りがアフェクで発明された。領内の恵みはまず領主に捧げるべき、という慣例に従ってその絡繰からくりと技術者を正式に贈呈したい。本来なら絡繰からくりの開発部門長のブリュンヒルドが行くべきだが、責務の重さと女であることを踏まえ、使者としてアフェク騎士団の団長を送る――


 あとは、使者が泊まる部屋は騎士身分の為の部屋ではなく、ブリュンヒルドと騎士の使うべき部屋の格の中間の、領主の親族が泊まる部屋を用意して欲しい、といった事務手続きの細かい打ち合わせだった。


『本当に、炭坑夫たんこうふが思いついたんだろうか? 炭坑夫たんこうふって、男で一番身分が低いから、文字の読み書きもできないはずなんでしょ? 炭坑夫たんこうふにならないと生きていけないような、旧世界の知識を得てしまった人がいたなら納得がいくんだけど……』


「彼らは生まれたときから炭坑にいたらしい。その可能性はないだろう」


『文字を読めないなら本があっても読めるはずがないからなあ。アフェクでは、何があったんだろう?』


「確かに、な」


 カーラにわからないなら、自分がその謎を解けるはずもない。オーランドは返信を書くため、ペンをとった。


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