思い出の肉じゃが
ご飯屋“宵”。開店と同時に常連客が足を運ぶ。
そんな10月下旬の土曜の今日。
おススメメニューと書かれた黒板ボードには
“肉じゃが”と書かれていた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
店主宵がドアを開けた客に微笑む。
いつもはサラリーマンとOLが多い中で土曜が休みなサラリーマンが私服で席に着いた。
「宵ちゃん、今日肉じゃがかい!それ一つ!」
「あ、じゃあ僕もそれで!」
週に何度か通ってくれる2人のサラリーマンが親しげに店主に声をかける。
「はい、お待ちください。」
火のついた浅い鍋にオタマを入れてすくう。
鍋から上がる優しい匂いにお客は思わず目を瞑って嗅いだ。
「なんだってまあそんなに美味しく出来るかい?」
お冷を持って聞くサラリーマンに宵は笑った。
「普通に作ってるだけなんですけどね。」
もう1人のサラリーマンも不思議そうに聞く。
「じゃあ、コツとかは?僕一人暮らしなもんで気になります。」
少し考えた宵はお皿に持った肉じゃがとご飯と味噌汁をお客の前に置いて答えた。
「そうですね、芋をなるべく大きく切って染み込ませて少し崩すとまたトロッとしますよ。まあ、母のを見て真似てるだけなのでコツはあんまりわかんないんですけど…」
関心したお客は芋を口に入れてホクホクさせる。
お客が美味しそうに食べてホッとする顔に店主も思わず顔を綻ばせた。
「ありがとうございました。」
食べ終え満足したお客2人が出て行き客足が途絶えた11時頃。妻である和歌が降りてきた。
「おはよう、和歌。」
「おはよ、宵。」
和歌はすぐに肉じゃがの入った鍋の元へ行き、
スンスンと匂いを嗅いで喜ぶ。
「これ、好き。」
「美味しくできたよ。」
「ん、懐かしい。」
「そうだね。」
2人は顔を見合わせて笑った。
2人が出会ったのは数年前だった。
まだ18歳の頃でとある児童施設に宵が立ち寄った時だった。授業の一貫でそこの児童施設で社会科見学をする予定だった宵の班で唯一ジャンケンに負けた宵が下見役だったのだ。
「すいませんー…◯◯高校の見学下見に来たのですが…」
遠慮がちに宵が児童施設のドアを開けた時に真っ先に迎えたのが和歌だった。
「村上様ですね、どうぞ。」
無表情で髪の長く、後ろに束ねた少女が宵の苗字を訪ねて施設内へ案内した。
パタパタと宵のスリッパの音だけが響いて無言の少女に不審感を抱いた宵だった。
「生憎、園長は不在でして、下見の代役を頼まれたので私が行います。えっと…楠、です。」
「よ、よろしくお願いします。」
お辞儀をした和歌に宵も慌てて頭を下げた。
2人は並んで施設内を回った。
「ここが児童全員で歌ったり遊んだりする広場です。私が最年長で、児童は0歳から18歳までです。それからー…」
淡々と説明する和歌は宵と同じか下に宵には見えた。何故ここの説明を詳しくするのかは宵も感づいていた。
「ここの児童は殆どが孤児です。理由があって家族と暮らせないので見学の際は余り家族の事には触れないであげてください。」
宵を真っ直ぐ見て話し続けた。
宵はとっさに何も考えずに話しかけた。
「あの、えっと楠さんは、その、ここで育ったんですか?」
「ええ、幼い時親が育てられないとここに捨てて行ったので。」
「そう、ですか。すいませんなんか変な事聞いてしまって…」
わかっていた事なのに質問して早々に後悔する宵に和歌は言った。
「家族と言うものがわからないので寂しくは無いですよ。それにここにいるのが私の家族ですから。」
「そっか。楠さんは何歳ですか?」
「18です。さっき最年長だと説明したんですが…」
少し困ったように言った和歌に宵はハッとして笑った。
「あ、ごめんなさい!え、同じ年!じゃあ敬語やめましょう?」
頬を恥ずかしげにかく宵を見て和歌は少しだけ微笑んで答えた。
「うん、わかった。」
宵は和歌の笑顔をもっと見たいと思った。
「ここ、門限とかあるの?」
「ううん、18になったからないよ。」
「じゃあさ、その迷惑で無ければ僕の家に来ない?晩御飯、母さん作ってるから、その…」
年頃の宵は慌てて言い直してまた赤くなった。
和歌は少し考えた後に宵が気を使ってくれていると思い頷いた。
「うん、行く。」
説明が終わって和歌が園長に連絡した後に宵と共にマンションへ向かった。
しばらく他愛ない話で盛り上がり、宵の家族の事も話した。和歌は宵の家族を羨ましいと言い、宵も和歌に自分を知ってもらいたくてたくさん話した。
家に着くと父以外の母と姉が家にいた。
「ただいま。」
「お、お邪魔、します。」
緊張気味の和歌に宵が笑うと母と姉は歓迎してくれた。宵がメールで事前に母に連絡をしていたのでそれとなく自然だった。
「和歌ちゃんいらっしゃい。」
キッチンから顔を出す母の顔を見て宵を見た和歌はあまりのそっくりさに驚いた。
元々女性らしい顔つきの宵は姉にも似ていて驚くほど美人だと和歌は褒めた。
「はい、たくさん食べてね。」
テーブルに出されたご飯とお味噌汁はいつも児童施設で食べていたが肉じゃがは和歌にとって馴染みがなかった。
「美味しい…」
じゃがいもを口に頬張る和歌を見て母と姉は寂しそうに笑った。
「ねぇ、和歌ちゃん、いつでも遊びに来てね?」
「妹、欲しかったの!今度遊ぼう!」
2人は和歌の素直な反応を可愛く思った。
4人で少し話した後にタッパに肉じゃがを詰めてもらい、宵が児童施設まで送るといった。
「楽しかった?」
宵が少し気まずそうに聞くと和歌はポロポロと涙を流してタッパの入った袋を抱きしめた。
「うん。いいなって思った。施設嫌いじゃないけどなんか、すごくさみしい。」
宵は思わず和歌の髪を撫でた。ハッとして宵は和歌から手を離すと和歌は笑っていた。
「また、行ってもいい?」
宵も顔を真っ赤にして笑った。
「うん、もちろん。」
2人の出会いはそんなふわふわしたところから始まっていた。
宵は和歌と食器を洗いながら1人で初めて会った日のことを思い出して顔を赤くした。
それに気がついた和歌は笑った。
「懐かしいね。」
「ほんと。恥ずかしい。」
苦笑いを浮かべる店主の肩に和歌がくっつく。
「嬉しかったんだよ私。」
「余計な事したんじゃないかって後から僕凄く後悔したんだけどな。」
「そうなんだ。」
クスクス笑う和歌を見て店主は和歌の髪を撫でる。
「長いのも可愛かったのに。」
「伸ばそうかな…」
即答する和歌にまた店主は笑った。
「和歌、僕ね、和歌の笑顔が一番好き。」
「私も。宵の肉じゃが大好き。」
「え、それは違くない?」
「ん?そう?宵のお母さんにまた会いたいな。」
少しずれてはぐらかす和歌に宵は肩を落とす。
そんなご飯屋“宵”は今日も仲の良い夫婦2人が温かなご飯と共にお待ちしております。
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