秋の天ぷら
外は秋。風も冷たくなってなぜか食欲を唆る季節になり、ご飯屋”宵”は10時から混雑していた。
寒い中ドアを開ければあったかい空気が安心を誘い
ほっとはせずにいられない。
そしてキッチンに立つ店主宵と妻の和歌は汗をかいていた。
「エビ天セットお待たせしましたー。」
カウンターに置かれたエビの天ぷらはカラッと仰け反ってかぶり付かれるのを今か今かと待っていた。
溶き卵をたっぷりつけて小麦粉をまぶす。
2度揚げした衣たっぷりのエビ天は身もプリプリしていて尻尾まで食べれるほど絶品だった。
「野菜天ぷらセットお待たせしましたー。」
一方の野菜の天ぷらは野菜にさっと味をつけて同じように天ぷらにする。ナスと椎茸は噛むと旨味エキスがじゅわっと溢れでてブロッコリーと大葉はサクッと音が鳴る噛み心地。レンコンはコリコリとした食感で食欲を刺激する。
「ここに来るとあったかいね〜。」
サラリーマンのおじさんはパタパタと服の襟を掴んであおぎながら店主と和歌に言う。
「ありがとうございます。」
店主はニコリと笑い汗を拭う。
違うお客が不思議に思い店主に話しかけた。
「けど不思議だね、揚げ物だからてっきり逆だと思ってたよ。カレーの時は逆だったからね。」
逆、と言うのは2人の立場の方でメインに調理をするのが逆だとお客は言う。
すると思わず店主も苦笑いで答えた。
「ええまあ、担当があるので。得意不得意で。」
「そうなのかあ。お嬢さん火傷には気をつけなよ?
嫁に来れたとは言え、女性にとっては…」
「はは…あの、僕男なんです…」
少しだけ目を逸らして気まずそうに答えた店主に店の中にいたほとんどのお客が箸を止め、電話を止めて店主を見た。普段物静かな和歌でさえも少し驚いて店主を見る。
「本当にかい?!いや、それは失礼した!」
慌てたお客は店主に必死に謝った。
店主は苦笑いをしながら答えた。
「髪と割と高い声のせいかよく言われるんです。」
「だけど気を悪くさせたなあ。」
「良いんですよ、美人ってことは褒め言葉だって
僕は嬉しいんですから。」
「そ、それなら良いんだけどね。」
「はい、またいらしてください。」
食べ終わったサラリーマンは申し訳なさそうに立ち上がってお金を払いまた来るよと言い残して店を出て行った。
最後のお客が帰った頃に店主はガスコンロの火を止めて汗を拭った。
「今日は暑かったね。」
「そうだね、お客さんは寒いからあったまったけど揚げ物ってどうしても汗かくからね。」
お皿を洗う和歌からお皿を受け取り拭く店主。
2人は人のいなくなった店内を見て笑った。
「お客さん驚いてたね、和歌。」
「うん、騙してるつもりじゃないけど噂広まっていくのかな。」
「大丈夫、広まっても。ここに来てくれる人は皆いい人だと僕は思うよ。」
「うん。私も。」
拭き終わったお皿を棚にしまう店主に笑いかけた和歌は少し考えてから言った。
「お店の開店祝いでお姉さんからもらったお蕎麦あるから茹でて食べよう、お昼。」
「いいね、涼しそう。」
油の代わりに鍋にお湯を入れて沸かす店主を見て和歌はぽそりと呟いた。
「髪、伸ばそうかな。」
「和歌の?」
「変、かな。」
「ううん、絶対可愛い。」
「嘘。」
「本当。」
自信満々に言い切る店主に赤面した和歌はバシッと叩いて笑った。
「イメチェンに行こっか?僕も切るよ?」
少し考えてから和歌は首を横に振った。
「やっぱりいい。私達は私達のペースで。宵、前に髪切るの乗り気じゃなかったし。」
「そう?可愛いと思うけど。」
「そうじゃない。」
同じところをバシッと叩いた和歌に店主は頭を撫でて笑った。
「蕎麦、入れて?」
「うん。」
パスタのように入れた和歌に店主は面白そうに質問した。
「女の子なんだから火傷、気をつけてね。」
「わかった。」
「何て、受け売りだけど。」
「やっぱり。」
「嘘嘘、本当に気をつけて。」
頷いた和歌はさっと鍋から避けると店主が蕎麦をぐるぐるかき混ぜる。
ご飯屋"宵”を経営するか夫婦2人が秋の風を感じるのはまだもう少し先、なのかもしれない。
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