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 あの夜から数週間、ユウはその日の夜を迎える度、何だかんだと理由を付けてはあのショット・バーに足繁く通っていた。場末の、それこそ非合法スレスレを超低空飛行しているようなグレーゾーンのバーだと分かっていても、それでもユウはある程度のリスクを承知であのバーに通い詰めてしまっていた。

 その理由わけは、たったひとつしかない。何故だかあの日出逢った少女のことが――リン・メイファのことが、不思議と気になっていたからだ。

 だから、ユウは一度きりと決めていたはずの、この街外れにあるショット・バーへ毎晩のように通い詰めていた。当然、リンが毎晩訪れるとは限らないし、例え訪れたとしても、偶然出くわす確率はそう高いワケじゃない。

 当然、逢えない夜もあった。孤独に過ごす夜も多かった。しかしそれでも彼女は、割と頻繁にこのバーに足を運んでいるようで、遭遇する機会も決して少なくはなかった。

 そんな日は決まって、ユウが彼女に気付くと、彼女の方もまた同じようにユウの存在に気付いてくれて。その度に、リンは自分の相手をしてくれていた。話す内容は当たり触りないというか、取り留めのないことばかりだったが。しかし彼女と話しているときだけ、ユウは何故だか胸の渇き……というのだろうか。それが薄れていくような、胸にぽっかりと空いた風穴が埋まってしまったかのような。そんな、不思議な感覚を抱いていた。

 リン・メイファは、本当に不思議な少女だった。ミステリアスというのだろうか。掴みどころがどうにも見当たらず、それでいて自分の芯をしっかりと持っている。彼女のようなタイプに、ユウは男女問わず出逢ったことがない。故にかもしれない、他人に無関心なことばかりなユウが、これほどまでに彼女を気に掛けてしまっているのは。

 それに……何というか、似ているのだ。誰でもない、ユウ・ガーランドという自分自身に。リンは何となく、本当に何となくでしかないのだが、似ているような。そんな思いもまた、ユウは彼女に対して抱いていた。こんな空っぽでしかない自分と同一視してしまうのは、きっと彼女にとって失礼なのかも知れないけれど。

「ねえユウ、今のこの国について、貴方はどう思う?」

 彼女がそんな問いをユウに投げ掛けてきたのは、初めて出逢ってから数えて二桁以上の機会を重ねた折のことだった。

「質問の意図が読めないが」

 普段通りにバーボンの水割り、琥珀色の液体が注がれたガラスを傾けてユウが小さく首を傾げると、リンは「言葉通り、そのままだよ」と柔らかな笑みで返してくれる。

「今のこの国の在り方。『ユグドラシル』に……機械に全部が管理されて、自由なんてない今の社会について」

「システムとしては、これ以上ないほどに完璧だな」

 ぶっきらぼうにユウが答えると、リンは小さく顔をしかめる。ユウも今度はそれを見逃さなかった。

 だから、ユウはその後に「……だが」と続く言葉を小さく付け加える。現体制を無条件に肯定していると、リンに勘違いされたくなくて。

「自由がない、という点では否定できない。職も住処も、結婚相手も子供の将来も。自分の生き方でさえもが全て『ユグドラシル』任せな……任せにせざるを得ない今の社会には、確かに自由なんて概念そのものが存在し得ないのは事実だ」

 要は、ディストピアだな。二〇世紀の古いSF小説にあったような――――。

「フィリップ・K・ディックみたいな?」

「或いは、ジョージ・オーウェル」

 グラスを傾けながら、ユウが小さく最後に付け加えた言葉にリンが訊き返してくれたから、ユウは意趣返しめいた言葉を彼女に返す。まさか言葉の意味を彼女が理解してくれるとは思いも寄らなかったから、少しだけ嬉しかったのかもしれない。

「君が想像しているのは、多分アレだろう。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。古い映画の原作にもなった奴だ。確か映画の方のタイトルは……」

「『ブレードランナー』?」

「そうそう、それだ。ハリソン・フォードが主役を張ってた奴。それにしてもリン、よく知ってたな」

「あの映画は前に観たからね」とリン。「ユウの言ってた方は、ひょっとして『1984年』?」

 カクテルのショート・グラスにちびちびと口を付けながらなリンの問いかけに、ユウは小さく頷いて肯定を返した。彼女の小さく瑞々しい唇が触れるカクテルの名は、XYZ。ラムをベースとしたちょっと辛口のカクテル。その意味は最後の、極上の。或いは少し不吉で――もう後がない。

「正解だ。ビッグ・ブラザー・イズ・ウォッチング・ユゥ。まさに今の俺たちと『ユグドラシル』との関係性に近いかもな」

「あははっ。なら『1984年』じゃなくて『2145年』って小説、改めて出さなきゃいけないかもねっ?」

「……よしてくれ、縁起でもないし洒落にもなってない」

 おかしそうに笑うリンの言葉が、どうにも冗談に聞こえづらくて。ユウはただただ、隣り合う彼女に対しわざとらしく肩を竦めてみせることしか出来なかった。

「博識なんだね、ユウって」

「そういう君の方も、随分と古い小説を知っているんだな。今の時代には珍しい趣味だ。まあ、俺もヒトのことは言えないが……」

「まあね。ゲットーには古い本も結構あるから、暇潰しによく読んでたんだ」

「ゲットー……」

 その単語を耳にして、ユウは少しだけ顔をしかめた。

 ――――ゲットー。

 古くは別の意味を持つ言葉だったが、しかし今の時代では別の意味を持っている。ゲットーというのはユウたちが今外れの方に立っている、この新東京市。即ち『ユグドラシル』が設置され、最優先で戦後復興と発展が為された、幾百もの天を貫く摩天楼がそびえ立つ未来都市の外側にある、未だ瓦礫と廃墟の山と化した旧市街。それが、少なくとも今の日本で通じるゲットーの意味合いだった。

 ……第四次世界大戦の凄惨な激戦を潜り抜け、異様な速度での戦後復興と発展を成し遂げた日本だったが。しかし戦後四四年、未だ国土全域の復興には至っていないのだ。

 現状、新東京市を含む五大都市圏――名古屋、京都、大坂、神戸にのみ、今ユウたちが外れに立つような巨大な未来都市が築かれている。だがそれ以外の場所に関しては……地方の方はさておき、少なくとも新東京市の周りに於いては手付かずの廃墟のままか、それに近しいような規模での復興しか為されていないのが現状だ。それもこれも『ユグドラシル』の取った都市圏一極集中の政策と、そして何よりも抵抗組織、レジスタンスの散発的なゲリラ戦が原因だった。

 そういう事情があったからこそ、ユウはリンの口からゲットー地区の名が出てきたときに微妙な顔をしてしまったのだ。彼女が明らかに外国人かそれに近しい名をしていたから、ある程度想像できていたことではあったが。しかし本人の口から直に聞かされると、やはりクるものがある。

「私、ゲットーの出身だからさ。ユウだから言うけれど、ホントはちゃんとした国籍も持ってないの」

 と、自嘲めいた笑みを浮かべながらでリンが言った。それにユウは「……薄々、分かってはいたよ」と、彼女と眼は合わせないまま返した。

「今のご時世、この国で外国人が籍を得ることは難しい。例え、半分の血が確かに流れていたとしても」

「でも、ユウは持ってるんでしょ?」

「俺はラッキーだった、ただそれだけのことさ」

「ラッキー、か……」

 ショット・グラスを片手にボソリとひとりごちるリンの仕草は、横顔は、何処か哀しげなようだった。

「ユウはさ、今のこの国の在り方に、疑問や不満が確かにあるんだよね?」

「疑問なら、ないと答えれば嘘になる」

「だったらさ、ユウ。これから私と一緒に――――」

 と、リンがそう何かを言い掛けた時だった。唐突にバーの戸が外から乱暴に蹴破られ――重苦しい制服に身を包んだ公安の治安維持部隊が、同伴の保安ドローンとともにけたたましく乗り込んできたのは。

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