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二一世紀、それは希望に満ち溢れた未来の記号だった。旧世紀の人間たちにとって、待ち受けていたはずの未来は確かな理想郷だったはずなのだ。自由と平等の支配する、平和で満ち足りた時代が確かにそこに待ち受けていたのかもしれない。
しかし、現実に訪れたのはそんな希望の未来などではなく、地球全土を巻き込む終わりなき戦乱の時代だった。
――――二〇三六年、第三次世界大戦勃発。その後二〇四〇年に一度の終結は見るが、しかし半世紀が過ぎ二〇九九年。この年、第四次世界大戦が勃発する。世界は二〇世紀に足を洗ったはずの世界大戦を、二一世紀に二度、経験してしまった。
歴史は繰り返す、ヒトの過ちもまた同じ。第三次大戦後には東アジアで、旧中華人民共和国を初めとした統一中華連邦が。そして東南アジアでは東アジア共同体――イースト・アジア・コミュニティ。通称EACが発足し、ヨーロッパ圏でも同様に新欧州連合が産声を上げた。確かに世界は再びの平和の時代を歩みかけていたのだが、しかし結果としてこの結束は無駄に終わってしまった。
二一世紀末、迎えた第四次世界大戦。統一中華連邦と合衆国を初めとした旧西側陣営との間で争われた戦いの、その主な主戦場は、他でもない日本列島だった。一世紀半以上の
激化する日本戦線の最中、合衆国軍は二一〇〇年に漸く戦線を中国大陸へと押し返すことに成功する。その翌年の二一〇一年には大戦も終結したが、しかしこの記念すべきミレニアム・イヤーを迎えるまでに、日本という国も国土も疲弊しきってしまっていた。希望の二二世紀を、この国は争いの真っ只中で迎えたのだ。
戦後、次第に日本は国そのものの統治をヒトの手から手放すことを決意し始める。都市圏のみが最優先での復興を進める中、同時に政府は国家管理そのものを高度知性体コンピュータ・システム『ユグドラシル』に委託することを決断した。ヒトの脳を模したバイオ・コンピュータに生死の全てを預けることを、この国は善しとしてしまったのだ。無機質な機械風情に、自らの命運そのものを握られてしまうことすらをも。
極めつけの結果が二一一四年、新東京市への『ユグドラシル』設置と稼働開始。そして三年後から始まる完全な鎖国政策と、『ユグドラシル』による国民の完全な管理統制だ。自ら世界から孤立した立場を取ったこの国は、全てが機械の手による神託のもと、加速度的に新秩序を形成し始める。
確かに、『ユグドラシル』の徹底して効率的な管理統制により、尋常ならざる速度で復興したこの国は元の勢い、いやそれ以上のものを得た。国そのものの指針が人間の手から離れたことの意味が、なかったとは言い難い。再び戦火に焼かれた日本が異様な速さで返り咲いたのも、全ては『ユグドラシル』の功績と言っても過言ではないだろう。
――――だが、弊害もあった。無機質な思考による国民の完全な管理統制。そこに必然的に現れるのはディストピアと化した社会。それこそ、二〇世紀のSF小説で手垢にまみれるほど説かれてきた、人間の自由と尊厳の一切が奪われた社会。そんな絵空事めいた閉塞的な社会が、現実としてこの国に生まれてしまったのだ。世界との関わりを自ら断った、日本列島という大いなる箱庭、閉鎖空間の中で。
思想も、理想も、職業も、契る相手も子の未来も、そして己が生き方すらも。その全てが機械の手で、『ユグドラシル』の手で一方的に決められ押し付けられる今のこの国は、とうに限界を迎えているのだ。国家としてでなく、そこに生きる人間たちがもう、限界を迎えてしまっているのだ。
だからこそ、抵抗の意志を示す者たちも居る。レジスタンスとして『ユグドラシル』の支配体制に反抗する者たちも少なくない。だが……それでも決定打には至らず、EACと争った極東アジア紛争とその勝利を経た日本は、鎖国開始からおよそ三〇年。未だどうしようもない閉塞感のどん詰まりの中に居た。
そして現在、西暦二一四五年。革命の日は、夜明けの日は。この国に生きる者たちにとって、未だ遠すぎるものだった――――。
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