第42話

◇◆◇

――百年前、四大魔王国首脳会議――


「お久しぶりね。皆さん」


 西の魔王リリスが開口する。ここは西の魔王国の来賓館。巨大な円卓の四方に別れ、東西南北それぞれの魔王が座している。

 互いの情報を晒し合い、世界の均衡を保つのがこの首脳会議の役割である。開催場所は西の魔王国で行われることが通例であった。本来ならば持ち回りで開催国を務めるべきであるが……、いたしかたない理由があった。


 まず、北の魔王国、ここは粗暴な牛魔王が治めている。牛魔王は会議の開催を拒むことはないが、他の魔王が北の魔王国に入ることをよしとしなかった。狡猾な牛魔王が戦闘に有利な自国で他魔王を襲うことが十二分に考えられるからである。したがって、北の魔王国で開催されることはない。


 次に東の魔王国だが、ここは竜王アトルが治めている。彼は他所者が自国に入ることを拒む性分だった。よって東の魔王国でも開催されることはない。


 最後に南の魔王国だが、この国は多部族で構成され、それぞれの部族の代表が話し合い、魔王が選出される仕組みになっている。一見、民主主義のようだが、部族間の権力争いが絶えることがないため、治安が悪い。よって、開催地の候補にもあがらないのが実情であった。そこで消去法で西の魔王国がいつも開催国となっていた。


「五十年ぶりの開催か……。皆、変わりはないようだな。……先代西の魔王が崩御してもうそんなに経ったのだな」

「ええ、早いものだわ」


 龍王アトルの言葉にリリスが呼応する。首脳会議は必要に応じて行われるが、前回の会議では、西の新魔王リリスの就任に伴い、開催された。新魔王の顔見せをするという意味合いが強い会議であった。そして、それは今回も同じだ。


「さっさと終わらせるぞ。こんな茶番のような会議は時間の無駄だ。ワシは忙しいんだ」


 北の牛魔王が議長であるリリスを急かす。


「そんなに苛々することないじゃない。牛さんなのに、牛乳が足りないのかしら。もっとカルシウムを取った方が良いんじゃないの?」

「なんだとぉ!?」

「声を荒げるな牛魔王……。リリス、貴様も焚きつけるな。たしか、もう二五〇歳を迎えるのであろう? もう少し落ち着いた対応を……」


 龍王が牛魔王とリリスの言い争いを仲裁する。


「聞こえない! 聞こえないわよ! 私が二五〇歳だなんて聞こえないわよ!」


 両耳を塞ぐリリスの姿を見て龍王はため息を吐く。


「わかった。もう年齢の話はせん。だから会議を進行しろ」

「……今日緊急で集まってもらったのは見ての通りよ」


 リリスは南の魔王が座する席に視線を向ける。そこには幼いダークエルフががつがつと卓上に用意されたお菓子を食べていた。


「ア、アロワ様、一旦お食事をおやめください」


 南の魔王の側近と思われる狼型の獣人が南の魔王を制止する。


「やだ!」


 この、お菓子を食べることをやめないわがままな子供こそ、南の新魔王「アロワ」であった。


「ということで、このちびっこの魔王就任に際して今回の会議は開催されたわけよ」

「ふん、このガキが南の新魔王とはな。南の魔王国はよほど人材不足と見える」

「……南の魔王国では各部族が話し合いで魔王を決めております。話し合いの結果、ダークエルフの一族が担うことになったのですが、前族長が若くしてお亡くなりになっていため、アロワ様が魔王に就くことになったのです……」


 アロワの側近、狼型獣人のドグが牛魔王に説明を行う。


「ふん、幼い魔王を立てれば、他部族も意見を通しやすくなる、などといった思惑があるのだろう。南の魔王国の不安定ぶりが伺えるわ」


 牛魔王が鼻息を出しながら、自論を持ちだす。そして、牛魔王は何かを思いついたようににやりと口角を上げてアロワに向かって喋り始めた。


「ダークエルフの小娘よ。たしか、貴様の父上は人間に殺されたのであったな?」

「そうだ! 父上は人間にだまされ、ころされたんだ。父上は人間と仲良くなろうとしたのに……」

「人間ごときにやられるとは、貴様の父上はよほどの弱虫だったようだな。よわい、よわい。蟻よりもよわい男だったのだな。貴様もそんなよわい男のこどもだ。きっとよわい、よわい、なんだろうなぁ」


 牛魔王は不敵な笑みを浮かべながら、こどもでも言わない幼稚な悪口をアロワに浴びせる。


「牛魔王、あなたこども相手に何を言ってるのよ。バカじゃないの!?」とリリスが叫ぶ。しかし、牛魔王はにやけた顔をやめない。


「父上を馬鹿にするなぁ!」


 アロワは食べかけていたケーキを皿ごと牛魔王に投げてしまう。リリスは心中で「しまった。止めるべきは牛魔王の口ではなく、南の魔王の方だった」と後悔する。アロワは感情に任せて牛魔王に向かって怒りの言葉を叫び続けていたが、部下たちに抑えられる。


「……わしに手を上げるとは……、これは宣戦布告ということでよろしいかな? 南の魔王の代理人殿……」


 牛魔王はケーキで汚れた鎧をナプキンで拭きながらドグに問いかける。


「も、申し訳ございません! 北の魔王様!」とドグは慌てふためきながら牛魔王に向かって頭を下げる。

「アロワ様、牛魔王様に謝罪の言葉を……!」

「なぜだ!? あいつは父上を馬鹿にしたのだぞ!? なぜ、アタイが謝らなくちゃいけないんだ!?」


 ドグはアロワに謝罪を促すが、アロワが従うことはなかった。幼いアロワには便宜上だけでも謝るという行為を理解することは難しかったのだ。このままでは牛魔王の思う壺だ。ドグは牛魔王に向かって再度頭を下げる。


「申し訳ありません。アロワ様に代わり謝罪をさせていただきます」

「ふん、代理人の謝罪ごときで許されると思うか?」

「思っておりません。ここはこの私、ドグの命でご勘弁頂けませんでしょうか」


 ドグは忍ばせていた短刀を自らの首元に当てる。


「代理人の命を持って償う、か。よかろう。それならば南の魔王の非礼を許そう」

「ありがとうございます……」


 ドグが自分の首を切ろうとしたその時だった。パアンという乾いた音が来賓館に響き渡る。


「な、なんで?」


 アロワが涙目になって赤く腫れた頬を押さえていた。アロワの視線の先には西の魔王リリスの姿があった。乾いた音の正体はリリスがアロワの頬を引っぱたいた打撃音だった。


「謝りなさい」


 リリスは重く冷たい言葉をアロワに告げる。


「な、なんで!? あいつが父上の悪口を言ったのに……! なんでアタイが謝らないといけないの!?」

「たしかにあいつの方が性根が腐ってるわ。でも、あいつの方が悪くても謝らなければならないときもあるの。あなたは王なのよ。王ならば国のことを考えなければならない。今あなたがやるべきは自分の感情を抑えて、国のために謝ること。それが王の務めよ」

「なんで……」

「謝りなさい!」


 リリスは眉間にシワを寄せてアロワに強い口調で謝罪を迫る。怖くなったアロワは泣きだす。アロワはなぜ自分が謝らないといけないのか最後まで理解できなかったが、困惑しながらも謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい……」

「聞こえたわよね。牛魔王。南の魔王は謝罪したわ。これでも許さないというのなら、私があなたを殴るわ」


 リリスはアロワを守るように牛魔王の前に立ち、睨みつける。牛魔王は分が悪いと見て身を引いた。


「ふん、余計なことをしてくれたな。西の魔王……。……助かったな、南の魔王国の連中よ」

「ふむう」と事の顛末を聞き届けた龍王アトルが目を瞑ったまま鼻の穴からため息を漏らす。

「さ、新南の魔王の顔見せは済んだわ。今回の首脳会議はこれで終わり。解散よ」


 リリスの合図で各国の関係者たちは散り散りになる。その後、ドグはアロワを連れてリリスに声をかけてきた。


「ありがとうございました。リリス様……」

「謝ることはないわよ。悪いのは牛魔王なんだから。あいつ、世界を支配したいみたいだからね。南の魔王国を混乱に陥れたいのよ。あそこでドグさんが命を差し出そうとしなかったら南の魔王国に戦争をしかけるつもりだったのよ、あいつ。ドグさんが命を差し出したら差し出したでそこのお穣ちゃんの国内での立場が危うくなって南の魔王国内で争いが起こるでしょう? 当然南の魔王国の国力は落ちる……。くそったれの二段構えよ」


 リリスはアロワと視線を合わせながら答える。


「だけどあなたたち、ちゃんとこの子を教育しないとだめよ。安い挑発に乗るような真似をさせたらいけないわ。失態よ」

「肝に銘じます……」とドグは頭を下げる。

「理不尽な思いをさせたわね……。ごめんなさい。あそこで牛魔王を糾弾することはできなかった。私も戦争をしたくないの。まだアーくんが小さいから……。ま、大きくなってもしたくはないんだけど」


 リリスは満面の笑顔でアロワの頭を撫でる。両親をすでに亡くしているアロワにとって、その手の温もりは久しぶりに感じる『愛情』だった。


「お穣ちゃん、あなたの怒る気持ち、もちろんわかるわ。でも、あなたは魔王なのよ。たとえ幼くてもね。幼いならば幼いなりの義務を果たさなければならないわ」

「ぎむ……?」

「そう、魔王としてやらなきゃならないこと、守らないといけないものがあるってことよ。しっかり勉強しなさい。わかった?」

「わかった!」

「そう、えらいわね。気を付けて帰りなさい」


 ドグは無言で再び頭を下げ、アロワと共に去って行った。リリスはドグとアロワを見送る。


「ふん。珍しいな。貴様が他人を守るとは……。昔は戦闘狂だったというのに……」


 リリスに声を懸けてきたのは龍王アトルであった。


「戦闘狂なんかじゃないわよ、昔も今も!」

「だが、丸くなったのは確かだ」

「丸くもなってないわよ。……私にも息子がいるからね。他人事に思えなかったってだけよ」

「やはり、丸くなったな。やはり二五〇歳にもなると、落ち着くものか……」

「聞こえない、聞こえなーい! 二五〇なんて数字聞こえなーい!」


 リリスとアトルがくだらないやり取りをしているのと同時刻、ドグはアロワに話かけていた。


「西の魔王に助けられましたな。アロワ様」

「助けてもらえたのか?」

「ええ、助けてもらえましたとも。良い人でした。感謝しなくてはなりません」

「アタイには助けてもらえたかどうかよくわからない。でも、あの女魔王はこわかったけど、やさしい人だった……」

「今はそれだけわかっていれば十分です。アロワ様が大きくなったとき、リリス様がお優しい人だったことにもっと気付かれることでしょう」


 この時、アロワにとってリリスはなんとなく優しい人程度の認識だった。彼女がリリスを尊敬するようになるのは魔王として成長した数十年後のことになる……。

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