第5話
「おかえり、アルカ。ここにいるよ……」
家の扉が開き、一人の男がアルカを出迎え、頭をなでる……。彫りが深い顔をした劇団俳優のような男前で、アルカと同じく、赤い頭髪と燃えるような紅い眼をしていた……。
「アルカ……。あそこにいる女性は……?」
「リリーさんっていうの……。私の魔法の師匠なのよ!」
「魔法の師匠……?」
そう言うと、アルカの父親はリリスのもとに歩みを進める。
「初めまして……。リリーさん。私はサイエン……。アルカの父です。娘がご迷惑をおかけしたようで……」
アルカの父、サイエンは物腰の低い様子でリリスに語りかける……。
「い、いいい、いえ、ご迷惑だなんてそんな……」
リリスは顔を赤らめ、サイエンの紅い瞳から目をそらす……。
「すいません。誰に似たのか、おてんばに育ってしまいまして……」
「ひっどーい! こんなよく出来た娘いないよ!」
アルカが冗談を言う。サイエンは「そうだな」とほほ笑む。
「よろしければ、中に入ってお茶でも飲んで行って下さい……。安い紅茶しかありませんが……」
サイエンはリリスにお招きの言葉を残し、家に入って行った……。
「ちょ、ちょっと、アルカちゃん……!」
リリスは小さな声でアルカを呼ぶ……。
「どうしました、師匠?」
確かにすごい男前だとリリスは思ったのだが……、確認しておかなければならないことがあった。
「ちょっと、イケメンってお父さんのことなの?」
「はい、そうですけど……。もしかして、お気に召しませんでしたか?」
「そんなことはないわよ! むしろド直球のドストライクよ。ホームランボールよ!」
「表現はよくわかりませんが……、気に行って頂けたみたいですね! どうです男前でしょ? うちのお父さん……」
二人は内緒話をするように小さな声で会話をする。リリスは本題を切り出す……。
「でも、お父さんは駄目よ! 私不倫になっちゃうじゃない! 私、略奪愛の趣味はないのよ……!」
「大丈夫です! ご安心ください、師匠。私のお母さんは私を生んで、すぐ亡くなっているんです……。お父さんはフリーなんです……!」
「そ、そう。お母様は亡くなられているの……それはごめんなさい。デリカシーの無いことを聞いてしまって……」
「気にしないで下さい! 私もお母さんのこと、覚えてないし。なにより、私としても、もし師匠がお父さんを射止めてくれるなら……、その方が良いんです……!」
「え? ど、どういうこと?」
「そ、それは……。すいません。企業秘密というやつです! とにかく、お父さんとくっ付いちゃってください!」
まさか、早くも娘の方からお墨付きがつくとは……とリリスは思う。リリスとサイエンがくっ付けば、アモンとアルカは連れ子同士という関係になる……。まるで、なにかの物語のようではないか、自分達と息子達それぞれのラブロマンスがリリスの頭の中で展開される……。
「凄く、良いわ……」とリリスは呟く……。
「ささ、家に入りましょう!」
アルカがリリスの背中を押し、家の中に誘導する……。家の中には小さな丸テーブルに3つ椅子が用意されていた。リリスはアルカに座るよう促される。椅子に腰を置くと、サイエンがティーカップを差し出してきた……。
「何分、安物ですので、お口に合うかわかりません……。恥ずかしながら紅茶の淹れ方も疎いもので……、不味いかもしれませんが……」
リリスはティーカップを持ち、一気に紅茶を飲む干す……。
「す、すす、凄く美味しいです……」
リリスはこれまでに見たことがない男前を前にして、緊張していた。噛みまくりで慌ててしまう……。
「何を慌ててるんですか、師匠! 師匠は美人なんですから優雅にしていれば良いんですよ。黙ってても男は寄ってきます……!」
アルカは堪らず、リリスにサイエンに聞こえない程度の小さな声で助言する……。
「そ、そうね……。優雅、優雅……」
一人ごとをリリスは呟く……。
「すぐに紅茶のおかわりをご用意しますね……。それまで、こちらをお召し上がりになっていてもらえますか……?」
サイエンがショートケーキをリリスに差し出す。今度はリリスは落ち着いた素振りをみせながら、フォークで一口分切り取り、口に運ぶ……。
「どうですか? お口に合いましたか……?」
サイエンからの問いに、リリスは「今度こそ、優雅にお嬢様っぽい感じで決める」と意気込み、答える。
「大変に美味である。褒めてつかわす……」
「なんでそうなるんですか!?」
アルカは大声で突っ込んでしまう……。
「え? なにか間違ってた?」
「間違ってますよ! なんで、そんな偉そうなんです!?」
リリスはつい魔王っぽい感じで答えてしまったのだ……。
「ははは、リリーさんは面白い方ですね」
サイエンが笑顔を作る。リリスは「なにかわからないけどウケたみたいね」と安堵する。大してアルカは「これは失敗だ」と眉間にしわを寄せる……。
「ところで、失礼ですが、リリーさんは一体どのようなご用事でこちらの村に……? この村に来訪する方は限られていますので、疑問に思いまして……」
「いえ、観光で……。わたくし、家の事情というやつで外の世界をあまり見たことがなかったもので……」
「師匠はやっぱり、お穣様なんですね。見た目も清楚だし!」
「ま、まあ、そんなところですね……」
「世の男にとって、こんなチャンス二度とないだろうなあ。お穣さまが外に出てきてるなんて、千載一隅のチャンスだろうなあ」
アルカが完全なる棒読みで、サイエンがリリーに興味を持つように仕向ける……が、サイエンはその意図を汲み取ることはなく、反応しなかった。
「サイエンさんはこの村でどのようなお仕事を……?」
今度はリリスがサイエンに問いかける。
「私はしがない薬草取りをやっておりまして……」
「薬草取り……ですか」
「ええ、ご存知ですか? 未だに回復薬の原料となる薬草はヒトの手で栽培することができないのです。特定の森に自生しているものを採集するしかない……。この家の裏手に森があるでしょう? あそこには良質の薬草が多く生えているのです……。私は薬草を集めて、都から来る商人に売って生計を立てているんです」
「そうなんですか……。大事なお仕事をされているんですね……」
「いえいえ、誰にでもできる簡単な仕事ですよ……」
「そんなことないよ!」
アルカが会話に割って入る……。
「私もたまに手伝うけど、未だに薬草と雑草の違いわからないもん! 技術がいる仕事だよ!」
「アルカ、恥ずかしいからやめなさい……」
「だって、ホントのことだもん!」
とここまで話をしたところで、リリスは疑問に思ってしまう……。
「……失礼ですが……、亡くなったアルカちゃんのお母様は魔法使いだったんですか……?」
「いえ、この村で羊飼いをしている家の方でした……。私と結婚してからは私の仕事を手伝ってくれていたのですが……」
やはり、おかしい、とリリスは手を顎に当てる……。通常、ヒトは魔力を持たない……。故に、魔法使いになる者は元々その素質を持つ者……つまり、生まれ持って魔力を持つ特殊な体質のヒトしかなれないのだ。そして、その体質は遺伝によるところが大きい。よって、魔法使いの人間は代々魔法使いであることがほとんどなのだ。だが、アルカはそうではない……。
「……なぜ、アルカちゃんはご両親とも魔法使いでないのに、魔法使いを目指しているんですか……? 差し支えなければ教えていただいても……よろしいですか?」
サイエンは眼を閉じ、しばし、考え込む……。一時して口を開く……。
「リリーさんはアルカの師匠になって頂けるんですよね……?」
「? はい、微力ですが、精いっぱいやらせていただきます」
「それならば、教えておいた方がいい……」
「アルカ、いいな?」
アルカはサイエンを見て頷く……。
「リリーさん、こちらに来て頂けますか?」
リリスはサイエンに促され、アルカ親子の寝室に入る。そこには小さな小部屋が別に作られていた。
「この小部屋はあるものを隠すため、後付けに造ったんです」
そう言いながら、サイエンは小部屋の扉に取り付けられた南京錠を外す。小部屋に入ると、これまた、鍵の付いている箱が置かれている……。
「ここまでする必要はないのかもしれませんが、何かあったときに、村の人たちに顔向けできませんから……」
サイエンは箱に掛けられている南京錠の鍵も外し、蓋を開ける……。
「こ、これは……」
リリスは額に冷や汗をかきながら、目を見開く。
箱の中には真紅の杖が収められていた……。杖の先端は丸く曲がっており、蛇の彫刻が施されている……。
「ヨルムンガンド……! 北の勇者が持っていたと言われる伝説の杖……! 本物なの……?」
「ご存知でしたか……。残念ながら本物なのです……。持ってみますか……?」
リリスはコクっと頷き、杖を持とうとする……が、まるで地面に貼りついたかのようだ……。魔王であるリリスの全力を持ってしても動かない……。それは杖が本物であることの証明であった。
「ま、まさか、アルカちゃんがこの杖の……?」
「ええ……。アルカ、持ってみなさい……」
アルカはサイエンに指示され、杖を持つ……。リリスが全力を出しても持てなかった杖をアルカは軽々と持ち上げる……。
「この村はかつて杖の勇者が舞い降りた場所なのです……。そして、死の間際、この村に伝説の杖を残してこの世を去った……」
……伝説の杖、ヨルムンガンドに見出された少女の師匠になってしまった魔王リリス……。伝説の勇者の後継者を魔王が育てるなど、通常あってはならないことだ……。言うまでもなく、魔族にとって伝説の勇者など、障害でしかないからだ。しかし、そこは破天荒な女魔王であるリリスだ……。常識は通用しない。
「凄いじゃない! アルカちゃん! やっぱりあなたはアーくんとお似合いよ!」
リリスはアルカの双肩に両手を置き、微笑む……。リリスにとっては息子の嫁候補が伝説の勇者であることは何の問題でもない。むしろ、『伝説の勇者と魔王の恋なんて素敵じゃない! 乗り越えなければならない障害があればある程、恋は燃え上がるの!』と考える恋愛脳の持ち主であった。
「し、師匠……。アーくんって誰です?」
「あっ……」
しまった、とリリスは口を開けっ放しにする。自分が未亡人で息子がいるなどと、今はまだ、サイエンには知られたくない、とリリスは思う。こういったカミングアウトはタイミングが重要なのだ、とリリスは心得ていた……。
「さ、さっき話してた男の子のことよ!」
「え? 友達になるって件の子のことですか?」
「ええ……。位の高い家の子なの。だから、友達になるお相手にもそれ相応の位や実力が求められるの……。でも大丈夫。伝説の勇者であるアルカちゃんならなんの問題もないわ!」
「……メンドくさそう……」
アルカは露骨に嫌な顔をする……。
「そんな嫌な顔しない! 魔法を教えてあげるんだから我慢しなさい!」
「はーい……」
サイエンは浮かない顔をしている……。リリスはその表情に気づき、フォローに入る……。
「だ、大丈夫ですよ。サイエンさん! ホントに友達になってもらうだけですから! そこから先は本人達次第というか、なんというか……」
「ああ、いえ、それについてではないんです……」
サイエンはため息をひとつ吐く……。
「本当にアルカに魔法使いの道を進ませていいのか、という迷いです……」
「お父さん! まだ、そんなこと言ってるの?」
「当たり前だ……。一年前、お前が教会の蔵に秘密裏に置かれていたヨルムンガンドの杖を遊び半分で持ち上げてしまったときからずっと迷っていることだ……。幸い、私も含め、村の人々がこの村を危険にさらしたくないという理由で、杖のこととお前のことを黙ってくれているが、もし、このことが魔族にでも知れ渡ってみろ……。この村に襲いかかってくるかもしれない。……なによりお前自身が危険な目に遭うだろう……。できれば、魔法等に携わらずに目立たずにいてほしいと思うのは当然だ……」
「……このことを北の魔王が知れば刺客を送り込んでくるのは間違いないでしょうね……」
リリスはヨルムンガンドの杖を見つめながら話を続ける……。
「ヨルムンガンドの杖を持っていた勇者はかつて、先代の北の魔王を倒したと言われていますからね……」
「やはり、そうなりますか……。なぜ、アルカが選ばれてしまったのか……」とサイエンは再びため息を吐く。
「娘さんが心配なのはよくわかります。自分の子供が危険な目に遭うのは親として避けたいものです。しかし、サイエンさん……。アルカちゃんには魔法を教えるべきです……」
リリスは黒髪をなびかせ真剣な目付きをする。
「魔族に気づかれないようにしたいというサイエンさんお思いはわかります。しかし、運命に導かれた以上、そう遠くない未来にアルカちゃんは戦いに巻き込まれると考えた方が良いです。最低限自分の身を守るための魔法は覚えるべきです。……大丈夫です。アルカちゃんは幸運です。私と知り合えたのですから……。アルカちゃんは私が守ってみせます……!」
「リリーさん……。ありがとうございます……。しかし、万が一、魔族と戦うとなるとあなたも危険なのでは……? そこまでしてアルカに魔法を教えていただかなくても……」
サイエンの言葉を断ち切るようにリリスは不敵な笑みで言葉を放つ。
「大丈夫ですよ……。私は北の魔王の3倍は強いですから……!」
「北の魔王より強い……?」
サイエンはリリスの言葉に耳を疑うが、リリスのあまりに自信満々な態度に閉口する……。
「お父さん! 師匠を家に泊めても良いよね? この辺宿なんてないし!」
「あ、ああ。それは構わないが……」
「師匠! 客間があるのでそこで寝てください! 狭いのは我慢して下さい!」
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