第15話全て取り除いたのなら綺麗だ。

 また、意識が戻ってしまった。

 真っ暗な空間。本当に見えない。

 それが救い。それだけが救い。

 手足を拘束されて、体に汚物を流し込まれ続ける私にとっては。


 幸いな事に傷みはもう感じない。代わりにひたすらに苦しさが襲う。

 胃が吐き出したいと訴える吐き気のせいでよだれが出て、生命の危機だと教えているのか全身が鳥肌が立つように汗が噴出し、目の前がぐにゃりと歪む。

 そして歪むのに身を任せると意識が落ちる。

 何度か繰り返した。もう一人いるけど、声がしなくなった。けど音はする。その子は心が壊れたみたい。羨ましい。私の心は壊れてくれないようだ。


 もう、どうなっても私に幸せは訪れない。

 早く、死にたい。

 だけど、その前に私をこんな目にあわせたやつに死んで貰いたい。

 出来るだけ惨めに。

 苦しみを与えて。

 私はまた襲い掛かる眩暈に身を任せ意識が落ちるのを自ら受け入れた。



 ◆◇◆◇◆



 また、意識が戻ってしまった。

 その瞬間悪夢を見た。

 唯一の救いであった闇が、光で切り裂かれたのだ。

 見てしまった。醜悪なゴブリンの顔を、体を、自分に何をしているのかを。

 見てしまった。お腹がいびつに膨らみ、自分が終わってしまっている事に。 

 見られてしまった。ああ、素敵だな。そう思わせる男の子に。

 ああ、まだ更なる絶望があっただなんて。

 

 でも、彼が勝ってくれさえすれば全てが終わる。

 やっと終われる。


 そこからの彼は凄かった。一瞬でゴブリンたちの四肢が落ちた。

 凄く怒ってた。声にならない声をだして。

 私の代わりになってくれているかの様に。

 そして、彼がとうとうこちらに寄ってきた。

 彼に見つめられた瞬間、体が暖かくなった。


 ドキッして、目をとじた。

 止めろ、嬉しさなんてもう意味が無い。

 止めろ、期待なんて持てるわけが無い。

 だから、ちゃんと受け入れてよ、私……


 こんな体になった者は、もう人間じゃない。

 そう教わった。


 何も起こらない。不思議に思って目を開けた。

 隣の子に目を向ければ、あの人が何かしている。

 ああ、お腹を裂き、水でゴブリンの子を掻きだしているのか。

 ああやって私も処理されるんだ。そう思うとブルリと震えた。

 もう目を瞑っていよう。何も感じない振りをして。

 先ほどまで死を渇望していたというのに。

 憎たらしい。

 壊れる事もしない癖に、すぐに意見を変える私の心が。


 もう振り回さないで。


 心の中で嘆いていたら、自分の番が来たようだ。


「キミは意識があるね」


 話しかけないで。


「大丈夫。キミを助ける」


 ふざけないで。


「一人が辛ければ、一緒に居よう」


 へ? 嘘っ! 嘘だ!


「だから、凄く痛いと思うけど、耐えて欲しい。『スリープ』かけてもすぐ起きちゃうと思うから」


 耐えない。嫌だ。死なせて。

 こんな体になったのに、もう人の前に私を出さないで。


「おね……が……死なせ……て……」

「お断りします。それで恨むならどうぞ」


 簡潔な答え方だった。

 さくっとおなかが切り裂かれた。水しぶきが顔にかかり、あっぷあっぷしてる間に全てが元通りになっていた。

 いや、現実逃避はやめよう。元通りなんてものはない。

 私が失ったものはもう戻らない。人間ではなくなったのだ。

 ゴブリンを身篭った女。

 それはもう、ただの魔物より気持悪い存在だろう。

 仮に誰も知らない土地に行ったとしても、私自身が自分が気持悪くて壊してしまうだろう。人との関係を。

 だから、私は彼の言葉通り、恨む事にした。


「許さない、私は殺してくれなかった貴方を許さない」


 彼は目の端に涙を浮かべた。

 な、なんでっ!? 自分で恨めって言ったんじゃないっ!

 ふざけないでよっ!!

 そんな軽い気持で言ってるなら諦めて殺してよ!

 憤った私を彼は優しく抱きしめてくれた。抱き起こし全身が密着するように。


「ああ、やっぱり……同情で、哀れみで、見ていられなかったのか。惨めを通り越した哀れな私を」


 体が治ってしまったせいか、声に出ていた。

 抱きしめられているから顔は見えない。でももうどうでもいい。


「そうだ。俺は弱いから。キミを見捨てる選択をしたら辛くなる。だから俺は俺の為に、キミをたすけ……キミを生かす」


 正直に正面から認められた。

 心に吹き荒れた、どす黒い思いが霧散していく。

 本音で自分の願いをかなえるために、私を生かす。

 彼はそれで私が辛い事も理解している。だから申し訳なさそうな声をしている。

 それが分かったからだろうか、理解できる思いだからだろうか、心が少し澄んだ。

 良い事なんて言われてないのに、彼が私の願いを叶えてくれたからだろうか?

 あの醜悪なゴブリンどもが今も惨めに動けなくて苦しんでいる。

 一つ目の願いを叶えてくれた恩人だ。当たるのは止めよう。

 彼が見えない所にいった時、命を絶てばいい。

 そうすれば、誰の事も傷つけないし、私の願いも叶う。苦しみは脱したのだから、後はゆっくりと命を手放せばいい。


 だから今は恩人の心を守ってあげよう。

 こんな、酷い有様になった私でも、心を守ってあげる事が出来る。そう思うと、今まで持った事が無かった感情が少し生まれた。


 これは、誇り、だろうか?

 今まで持たされていたあの誇りとは違う。暖かい。

 うん。人ではなくなってしまったけど、私はこの人の心を守りながら死のう。

 久しぶりに口元が緩むと同時に、意識が途切れた。


 ◆◇◆◇◆



 気がつくと、家の中に居た。薄暗いが、月明かりがあって良く見える。

 きっとあの人が運んでくれたんだ。

 あの、心が綺麗な人。

 ここに居るのだから夢じゃない。

 ここに居る事は嬉しい事とも思えないが、あの人が私に心を揺らしてくれたのは嬉しい。そんな事を今更思う自分が悲しくなるが。


 ふと首を動かすと、悪寒が走る。貼り付けられた態勢を未だに維持している事に寒気がした。


 ダメだ。怖い。怖い、怖い、怖い。

 人じゃなくなってしまった。生きているのが怖いっ。


 あの人に、私に生を残したあの人に責任を持ってどうにかして貰わなきゃ。

 何故か確信があった。あの人の近くに居ればこれは収まると。

 戸を開き、明かりのあるほうへと向かう。


 戸に近づくと声が聞こえた。


「村長、起こしてすみません。生存者が居たので、報酬の前に殲滅してきてしまいました。明日、残りが居ないかを確認しますが、話の前でしたので報酬は要りません」


 やっぱり、見ているだけで、心が休まる。

 この村の依頼を受けて様子見をしにきたんだ。

 けど、報酬貰わないなんて……馬鹿な人。


「こ、この娘は、ドランの所の……生きて、生きているのですか?」

「体は全て直しましたが……心が、死んでしまったかも知れません。詳細は言いません。聞くような真似も避けてください、意思が戻るかは不明ですが。もし口減らしにどうにかするのであれば、助けた俺が責任を持ちます。そこも話し合ってください」

「何と、何から何まで……ですが、どうして……」


 うん。私も知りたい。どうして?

 どうして責任を持つなんて言葉が言えちゃうの?

 貴方辛そうじゃない。お金だって掛かる。動けない彼女は手間だって掛かる。

 いい事なんて一つもない。そもそも責任なんて貴方には無い。


 そう、責任なんて無い……

 けど……責任は取ってもらう……


 何を言っているのだろうか私は……


「嫌だったから。腹が立ったから。見てて苦しかったから。本当にただそれだけです。ああ、他にもあります。元気になったら惚れてくれるかもしれないじゃないですか。俺、こう見えて悲しいほどにモテないんですよ。取り合えず嫁が欲しい」


 はぁ? 流石にイラッときたわ。前半は理解できる。けど、後半は何!?

 モテない? 鏡見たことあるの? あの体を見た後にそんな冗談言う?

 本当に信じられない。心が綺麗で素敵な人だと思ってたのに。

 ダメだ、部屋に戻ろう。顔も見たくない。

 そう思うが、続けて聞こえるおじいさんの問いかけが聞こえ足を止められた。何を期待しているのだろうか。


「えっと、この子はゴブリンに捕まっていたのですよね? そしてそれで心が壊れる様な事をされた。それでも貴方は嫁に出来ると?」

「過去は過去です。そんな事より自分を愛してくれるかが重要ですね。あと笑いかけてくれたりとかですかね。言っている事は分かりますよ。正直気持悪いです。でもそれは彼女達じゃなくゴブリンがです。簡単に言うとウンコ踏んじゃったようなもんでしょ? 全て取り除いたのだから今の彼女達は綺麗だ」


 …………本気、なの?

 ウンコ踏んじゃったようなもの……?

 じゃあ何、私はうんこ踏んだから死にたいの?

 ダメだ。よく分からなくなってきた。


 けど、あの言葉が耳に張り付いた。

『全て取り除いたのだから今の彼女達は綺麗だ』

 やっやぁぁっ、嘘だ! 絶対に嘘。信じちゃダメ!

 光を見ちゃダメだ。闇が怖くなる。もう闇しかないんだ……

 私は、逃げるように起きた部屋へと戻った。


 翌朝、物音がして目が覚めた。寝たり起きたりで体がだるい。

 その普通なだるさが幸せすぎて涙がでた。

 耳を澄ませばガタガタゴトゴトと結構な人数が入ってくる音がする。

 また、気になって扉の近くに向かった。


「ぁっ、ぁぁぁぁぁぁっ!! 良かった、本当に良かった!! ロラっ!」


 彼女の家族だろう。隙間から覗くと彼女の寝ているベットに縋りつくよう顔を押し付けた男性がいた。


「それで、どうするんだ、ドラン。ロラは意識が一生戻らんかも知れん。それでもずっと面倒みてやれるかと今回助けてくれた冒険者様が言っておった。それが出来るのなら、今回の報酬は何もいらないとも」

「ちょっと待ってくれよ村長、どういう事だ? 逆じゃねぇのか?」


 そう、普通はそう思う。昨日の話はおかしかった。

 あの言葉が今でも耳を離れない。もうやめて欲しい。

 『全てを取り除いたのだから綺麗だ』

 ダメだ、信じろって言われているみたいに繰り返される。

 絶対にダメだ。事実は消えない。……消えてはくれない。


「奇特な方なのだ。人が居る事を知って報酬を捨ててでもすぐに助けたくなったようでな。口減らしで見捨てるようなら自分が責任を持つとも言ってくれた。これは損得の話ではない」


 どうやら、信じていない様。当然だ。助けられた私自身が一番信じられない。


「村長、じゃあロラ返してもらっても何もデメリットはねぇんだな?」


 腕を組んだ厳つい男性が言う。


「信じられんが本人がそう言っておった」

「じゃあ、見捨てる親なんていねぇだろうがよぉ」


 彼女の父親だと思われる男が嘆くように言った。


「覚悟はあるのだな?」

「当然だ!」


 それが彼女にとって、幸せなのかは分からないが、彼女の先が決まった。

 私の思いは複雑だ。

 愛されていて良かったね。これは心から思う、辛い思いをしたのだから。

 だけど先には不幸しかない。心が壊れたままでは不幸は無くとも幸せもない。

 そしてそれは自分にも言えること。


「その冒険者様は今はお休みなのか?」

「寝ずに、もう一度この辺りのゴブリンを殲滅してくると言って出て行った」

「ありがてぇ事だな。そんな冒険者がいるなんて思いもしなかった」

「ああ、見捨てられたんだと思ってた。隣の国さ流れていってくれと願うしか出来なかったもんな」

「んだな。町と戦い続けるゴブリンだけの集団なんて聞いたこともねぇ。恐ろしいほどにでかかったはずだ」


 そうか、この人たちも一寸先は闇だったんだ。

 私の国に悪意で魔物を流していたわけじゃなかったのか。


「話はついたな? ロラはドランが責任を持つ。そう伝えるぞ?」


 村長が纏めると、雑談を続けながら村人達は出て行った。

 また、部屋へと戻る。

 手持ち無沙汰だ。昨日まで何日も動けもしなかったというのに。

 一つも辛くない。全てが嘘だったかのよう。

 そう考えるとまた悪寒が走り怖くなる。嘘な訳がないと。


 早く帰ってこないかな。あのおかしな人。

『ワァアアアアアアアア』

 そう考えた瞬間村に歓声が沸いた。何事!?

 気になるけど、人前に出るのは怖い。木枠にはめ込まれた板を外し、窓から外を見る。

 あの人が居た。石の様な色をした荷車を引いて。荷車にはゴブリンの頭部が山になるほど積み重なっていた。

 あの人は叫ぶ。


「周辺のゴブリンは全て殲滅した。他から回ってこない限り、暫くは安泰だろう。だが、それで安心しきるのは止めてくれ。こいつらは弱い内なら簡単に倒せる。放っておけば近い未来に同じ事が起こるだろう。だから、子に居場所を残すために力あるものは立ち上がって欲しい」


 歓声が少しやんだ。だけど、村人のまなざしは熱かった。

 木枠の窓を挟んで、彼と目が合った気がした。

 彼は驚いた様に目を見開き、この家へと入り込んだ。 


「お、おはよう。痛い所は無い?」

「無い」

「そっか。お腹減っただろ? ご飯にしよう」

「いらない。どうせ無駄だから」


 ……何を言い出しているのだろう。口が勝手に動いている。

 ううん。動かされているんじゃない。なのに自然と出ちゃう。

 決めたじゃない。彼が辛くならないよう、離れてからにするって。


「そっか。キミが今一番欲しいものは何?」

「嘘発見器」

「え? この世界にもそんなものが!?」


 激しく驚いている。少しあわあわしている。勝手に出てしまった冷たい言葉だったが、それでいい気がしてきた。


「ある。魔道具で。買ってくれる?」

「分かった。幾ら? 手持ち金貨400枚あるから多分買える」

「よんひゃ……い、いいの? やましい事があるからあわあわしてたのよね?」

「お、男だからエロい事は仕方が無い。ただ、嫌と言う限り手は出さないから安心してくれ」


 ……はぁ? 誤魔化してるのよね?

 本気で買ってはくれないはず。あれ高いもの。

 金貨5枚くらいする。しかも完全には見抜けない。いや、結構外れる。


「という事で、取引だ」

「本性を現すのね。何?」

「買ってあげるから一緒にご飯食べよ」

「……何考えてるか分かんない」


 結局私は彼が何をしたいのかさっぱり分からないまま、彼と一緒にご飯を食べた。

 本当に……何を言ってるのこの人……

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