第23話月哮

 





 廃墟の中を彷徨い歩く。壊したメロディーを口ずさみながら月の見える場所を探し歩いた。


 不意に、手を掴まれる。振り返るより先に視界を遮られる。


「ユキ」


 一瞬芽生えてしまった期待が、失望に変わって蛆のようにじくじくと沸いては蠢き力を蝕んでいった。

気付けばどちらともなく膝を着いていた。


「・・・どうしたんだよ」


 友人は酷く怯えた様子で僕の身体にしがみついている。まるで悪夢を見た幼子のようなその姿を、今は揶揄う気になれず、宥めるように背を撫でた。

 色々と尋ねたいことはあったのだが、その諸々は弱った友人を傷つけるような気がしたので。


「ありがとう」


 その言葉を紡ぐには沸き立つ蛆をみんな奥底の箱に押し込めきちんとしまいこまなければならなかったが、それでも昔から、草臥れた友人を立たせてやるのは、僕の役目なので。


「迎えに来てくれたんだろ。ありがとうなあ」


 明日は何をしようか、やりたいことが沢山ある、僕らはご近所さんになるんだ、これから沢山遊べるぞ、お前ん家に遊びに行くから、お前も僕ん家に遊びに来いよ、楽しみだなあ、何をしようか、


 細く脆い糸を不器用に紡いで奥底の箱に巻き付けていくようだ。それはひび割れた地面を自身の涙で潤すように途方もなく終わりの見えない作業だ。どうかまだ顔は上げてくれるなよ。心の内で乞い願いながら肩口にはりついた頭に頬を寄せ繰り返し何度も撫でてやる。まだまだ格好つけていたい年頃なので。


「何もいらない。お前がいれば良い」


 弱りきった声で呟かれた言葉に、ようやく友人は僕を助けに来てくれたのだと気付いた。



 ───




「なあ、上に行ってみないか」


「え?上って・・・あ、おいっ」


 大西が指差したのはぽっかり空いた穴の先、月にいちばん近い廃墟の屋上だ。


 半壊状態の建物だ。本当は中に入るだけでも危険だし、なにより先に続く階段が残されているかもわからない。


 放置されてすっかり荒れ果てたこの建物は、不用意に登った者が飛び降りる事件が後を絶たないからと、今年に入ってから市のお金で取り壊すことが決定したのだと聞いていた。

 もしかしたら急場の措置として上に続く階段だけ登れないように塞がれているかもしれない。


 そんなことを気にする高杉に、大西は大丈夫だと只無邪気な笑みを浮かべて手を引いた。先に対して随分機嫌が良いようなので、高杉も引き摺られながら笑みを零した。


「会わせたい奴がいるんだ」


「・・・ハッ、彼女ですか!?」


「アホ」


 上へと続く階段は残ってはいたが、階の途中で完全に崩れていたり、途中の道が瓦礫で完全に塞がれていたりした。けれど高杉の手を引く大西の歩みは弛むことがなく、まるで何度も行き来したかのような様子で上へと続く別の道を見つけては、迷わずどんどん先へ登っていく。


 どんどん上へ行くので、いつのまにか高杉も乗り気になってきて。

 遂に屋上に到達したとき、思わず二人で手を叩きあった。


 屋上から見える景色は、なんてことないつまらないものだったが、何故だか妙に満ち足りた気分になれた。


 広い屋上は穴だらけだ。一際大きな穴の傍に立つ大西に、流石に危ないと繋がれた手を引こうとした瞬間、大西は手を離した。


「おい、」「見てろって」


 大西は空に向かって真っ直ぐに手を伸ばした。穴に背を向けて立つ大西に声を出すのもはばかられて、自然と高杉は口を噤んだ。


 大きな満月が二人を見下ろしている。

 不意に、春にしてはやけに冷たい風が二人の間を流れ、やがて空からは金色に瞬く雪が降り始めた。


「うえ、えぇ〜?」


「アッハッハッ!バカヅラ!」


「ぐうぜん?ぐうぜんっ?」


「ちっげーよ見てろって!」


 咄嗟に雪を掴もうと飛び跳ねる高杉を指差し高笑いする大西に、眼をまん丸にして問い掛けると、今度は両手を大きく広げてみせた。

 すると舞い散る雪が見る間に青色の花弁へと変わり二人の周囲を舞い始めた。


「お前・・・魔法使いだったのかぁ・・・」


「んなわけねーだろばーか」


 やがて花弁は淡い光の粒を残して消えた。

 放心したように呟く高杉に大西は失笑して空の一点を指差した。

 僅かな羽音に目を凝らすと、やがて夜に同化する一羽の鴉が月の光に浮かび上がってきた。


 鴉は鳶のように二人の周囲を旋回しながら高度を落とし、やがて躾られた鷹のように大西の腕に止まった。


「なにこいつ?」


「俺のトモダチ」


「トモダチ?マジで?」


 鴉が一声「クゥ」と鳴く。よく知る鴉の声よりも随分大人しく優しい音が空を震わせると、二人の間に一輪の銀に輝く百合の花が咲いた。


「やったのはコイツ。俺は頼んだだけだ」


「・・・・・・頼んだらなんでもできるの?」


「有料だけどな」


「有料?・・・・・・っ!なにやってんの?!」


 大西が自身の腕を指先で撫でると、まるで鋭利な刃物を滑らせたかのようにそこはぱっくりと裂け多量の赤い血を溢れさせた。

 高杉が手を伸ばすよりも早く、溢れた血はあらゆる物理法則を無視して空に浮かび上がり、鴉の大きく開かれた嘴の中へと滑り落ちていった。放心してその様を見ていた高杉が我に返って大西の手を顧みる頃には、傷は既に薄い跡だけを残して完全に塞がっていた。


「・・・・・・・・・やべえ」


「やべえか」


「やべえよ!なんだよこいつ!?チョォーーー面白いじゃん!!!」


 面白おかしいことが大好きな高杉にとって、この異常は大歓迎だった。百合の前に這い蹲ったり鴉の前を忙しなく彷徨いたりしながら絶えず奇声を上げる高杉の腕を、大西が掴む。翼を広げた鴉が大西の頭に飛び移ったが、大西はちっとも構わないようだ。


「俺さ、世界を見て回りたいんだ」


「・・・世界?」


「世界中にある知らないもんをさ、全部見て回りたいんだ」


 突然遠大な夢を語り出した大西に、高杉は呆気にとられて動きを止めた。脈絡がなかったというのもあるし、怠惰で冷静な友人が語るには、あまりにも幼稚過ぎる夢だったので信じ難かったというのもある。


「だってさ、お前、知ってたか?こんなおかしな奴がいるんだぜ?世界中を見て回れば、絶対もっと面白い奴がたくさん見つかるんだよ。画面越しで見るよりももっとすっげえのがさ」


「ああ、うん、そうかもね。だけど、お前」


「一緒に行こう!」


「うん、だけどお前ってそんなアク・・・・僕もかい?」


 すっかり開きっぱなしになった高杉の眼を喜色満面の笑みで覗き込む。月の光を受けきらきらと反射する瞳は呆然と立ち竦む少年を捉えていた。


「大人になったらさあ!世界中を旅して回るんだ!金がなくなったら現地で働いて、貯まったらまた新しいところに!行き先はその時に決める。いつでも行きたいところへ行くんだ。なあ!めっちゃくちゃ面白いと思うだろ!?」


「・・・・・・うぉっ?」


 大西が繋いだ手を勢い良く引き寄せる。大きく重心が揺らいだ大西の背後でぽっかり空いた穴が高杉を見上げていた。


「絶対楽しいって!食ったことないもんみーんな食い尽くして、見たことないもん全部見尽くして、そしたらさ・・・・・・・・・駄目かな」


 返答のない高杉に、次第に声が沈んでいく。眼下に広がる空洞は月の光を吸い込んでいるかのように底が暗く沈んでいて、まるで心の内を覗いたようだった。


「オーケー、わかった。気持ちには応えよう。だが僕からも条件がある」


「・・・条件」


「いいか?この条件はお前の今後を左右する重要な課題でもあるぞ」


「・・・なに」


 覚悟を決めた高杉は、一歩大きく後退すると掴まれた腕をやおらに払い、おもむろに両手で大西の胸倉を掴んだ。瞬間、鴉が空へと逃げる。野生の勘だろうか。手首を捻って指先に襟を巻き込む。


「ちょっとは社交性を磨け野蛮人!」


 勢い良く後転しながら大西の胴を蹴り上げる。力任せではなく回転を補助するように押し上げるのがポイントだ。

 逆さにひっくり返った大西は硬いコンクリートの上へ強かに背中を落とした。


「協調性を鍛えろ!友達100人つくるくらいのコミュ力がなきゃ世界なんて渡っていけないぞ!大丈夫か!頭打たなかったか!」


「・・・・・・受け身だけは修得済みだ」


 仰向けに倒れたまま動こうとしない大西を引っ張り立ち上がらせた高杉は、深い呼吸を三度繰り返すと、やがてその顔には柔く綺麗な笑みを浮かべていた。


「帰ろっか」


「・・・うん」


 見上げた月は、既に西の空へと傾いていた。空を旋回していた鴉が二人の間に舞い降りる。


「つっても、もう終電には間に合わないし。どうする?」


「タクシー呼んだら良いだろ」


「おまえ・・・幾らかかると思ってんだよ」


「・・・・・・コイツに頼む?」


「万能かよ」


 何食わぬ顔で挙手をする大西に、どこか棒読みな調子で言葉を返す。すっかり驚き疲れて色々麻痺してしまったらしい。

 淡く金色に輝く鴉の双眸が高杉を見据えていた。


「いいや。どうせだからさ、このまま始発までここで駄弁ってようぜ」


「・・・いいけど、お前ん家のババアキレねえか」


「それに関しちゃお互い様だよ・・・」


 気付けば月は随分西に傾いていて、そう幾らも待たないうちに夜が明けるだろうと思われた。記憶にも残らないようなつまらない話を幾つも掘り起こしては披露する高杉を、大西は笑いながら、けれども時おり窺うように見詰めていた。高杉はふと、もしも友人に自身の望みを伝えたら、どうなるだろうかと考えた。自分の抱えるこの暗い願望を打ち明けたら、彼は許してくれるだろうか。


「・・・なんだよ?」


「・・・・・・ばかめ」


「ああん?」


 大西の額を平手で突いたが、全くびくとも動じない。悔し紛れに悪態吐いてやった。


 きっと友人には怒るだろう。怒って軽蔑して、もしかしたら嫌いになるかもしれない。

 それは高杉にとって、死ぬことよりもよほど怖いことのようにも思えた。


 高杉は自身の望みを押し込め隠してしまうことにした。なるべく彼に嫌われたくはなかったし、なにより、どんなに疲れてしまっても、自身を必要としてくれる友がいたから、高杉はずっと立っていられたのだ。


 翼を広げた鴉が西の空へと飛び立っていく。


「何処に行くの?」


「・・・太陽は苦手なんだってさ」


「・・・へえ」


 飛び去った空に問い掛けたが、大西は答えを知らないようだった。



 やがて月の光が眩い金から淡い銀に変わって、東の向こうから橙色の太陽が姿を現した。


「はじめてだ」


「なにが?」


「なぁーにかなぁー?」


「うっざ」


 朝の太陽はあたたかかった。


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