第18話八月蝉
「あんな小さい子一人で遠出させて。心配や思わんのかな」
「母子家庭や言うてはったし、仕事とか色々忙しいんちゃいます?」
「なんぼ忙しい言うてもや、挨拶の一つくらいはしに来んのが礼儀やろ」
お母さんがどんなに頑張っても、褒めてくれる人は少なくて。外の人達はみんなお母さんを悪者扱いした。
僕がどんなに努力してみても、それは変わらなくて、むしろ声はますます大きくなるようだった。
「ろくに育てられもせえへんのに産むから周りが迷惑被る羽目になるんや。高杉の婆さんも、あれ災難やで。一番世話の焼ける年頃の子をあの歳で一人で面倒見なあかんねんからなあ」
寝て起きたらぐんっと背が伸びてたりしないかなあ。そしたら高いところにも手が届くし、婆ちゃんにも迷惑かけずに済むのになあ。
あーあ。早く大人になりてえなあ。
そしたら誰にも迷惑かけずに済むのになあ。お母さんだって悪者扱いされなくなるんだ。
大人になったら、まずは沢山ありがとうって伝えよう。一人でよく頑張ったねって沢山褒めてあげるんだ。それから沢山謝ろう。迷惑掛けて苦しめてごめんなさいって伝えよう。
あーあ。あーあーあー。
明日起きたら大人になってたりしねえかなあ。
「家庭に問題のある子は必ずどっかしらに異常が出るんや。あんまりウチの子に近づけさすなよ」
「なあ見てみ。お前の親父さんの顔・・・・・・鼻毛出てる」
「ブッファッ」
屁にもならねえ理屈を捏ねまわすクソジジイは鳩に糞でも掛けられてろ。
「あの子ね、最近ホンマ楽しそうなんよ。ユキくんが友達になってくれたお陰やで。ウチの子と仲良うしてくれて、ホンマにありがとうなあ」
そっと囁かれた言葉に、差し向けられた笑顔に、何故か無性に泣きたくなった。
◆◇
遊具の乏しい公園の片隅で、黒髪の幼い子どもが大きな木を見上げている。
けたたましい蝉時雨に打たれながら、白い皮膚にだらだらと汗を垂らしながら、青々と繁った一本の木を微動だにせず見上げている。
公園の入口付近から、楽しげな子どもの声と足音が近付いてくる。
そうして公園にやって来たのは黒髪の幼子と同じくらいに小柄で、暑い陽射しに皮膚を焼いた三人の子どもだ。
公園の中程あたりで、一人が先客に気付いて立ち止まった。
「・・・キチガイ居るやん」
遅れて気付いた二人も立ち止まり、三人揃って顔を歪めて黒髪の幼子を睨みつけた。
「・・・うわ、最悪や」
「なんで居んねん」
顔を見合わせた三人は、いかにも億劫そうな足取りで幼子に近付いた。
「なにしてんの?」
五メートルほどの距離を空けて、一人が声を投げたが、黒髪の幼子は木を見上げたまま微動だにもしない。
「何もないんやったらどっか行ってや」
黒髪の幼子は微動だにしない。何一つ聞こえていない様子でひたすら木を見上げている。
蝉時雨に隠れて舌を打った一人が、大股で三歩、幼子に近付いた。
「聞こえてへんのか。キチガイ移るからどっか行け言うとんねん」
不意に、木が小刻みに揺れ、舞い落ちた木の葉が黒髪の幼子に降りかかった。
一際大きく揺れた瞬間、木の上から薄茶の髪の幼子が降ってきた。
黒髪の幼子を踏み台にして三人の前に着地した幼子は、ゆるく合わせていた両手を開いた。すると、一匹の蝉が中から飛び出し、一目散に別の木へと姿を隠した。
数瞬の間、蝉を追っていた視線を戻し、一人が尋ねた。
「誰なん君」
幼子は同じく蝉を追っていた視線を三人に向けると、次いでにんまりと笑みを浮かべた。
「日出処より招かれし神々の使者!仮面ライダーシロー!降!!臨!!」
謎の決めポーズと共に公園中に響き渡った口上に、蝉時雨が一寸止んだ。
「・・・なんなん、自分」
前に出ていた子どもが一歩後退した。
後ろにいた一人が、先よりもほんの少し明るい声色で幼子に尋ねた。
「それやったら、タケルちゃうん?」
「タケルは毎日東の守護に忙しいから夏の間だけシローが代わりに西の守護に来てるんだよ!」
溌剌とした声で自信満々に答える幼子に、前に立つ子どもが訝しげな眼を向けた
「嘘やろ?」
「当たり前じゃん、馬鹿じゃないの?」
途端に笑みを消して、声域の限界を極めたような低い声を向けられ、前に立っていた子どもが薄気味悪そうに肩を揺らした。
「ほんまなんやねんお前」
「・・・もう行こうや、どっから見ても不良やん」
足早に公園を後にする三人を見送ることもなく、茶髪の幼子は倒れたままの幼子の腕を引っ掴んで無理矢理身を起き上がらせた。
「なんで虫カゴもってないの?」
不満げな顔で睨む幼子を、黒髪の幼子は無表情で見返した。
「・・・・・・てか、誰お前」
途端に再びにんまり笑みを浮かべて、幼子は胸を張るようにして腰に両手を置いた。
「僕は悪の教団組織の門主だよ!夏の間だけ降臨する激レアだよ!崇めろ」
「・・・・・・蝉か?」
「蝉は一匹いたら百匹いるけど僕は一匹しかいないもん。夏に降臨するのは他の幹部が夏季休暇中だからだよ。うちは超優良企業だから夏休みも冬休みもあるし有給も好きな時にとれるよ。幹部の休みが重なった時は僕が代わりに降臨するんだよ」
黒髪の幼子は無表情で幼子を見詰めている。耳に入っているかは定かではなかったが、幼子は気にした風もなく楽しげな顔をしている。
「僕お前のこと知ってるよ、引きこもりのニートだろ?」
「・・・・・・・・・学校、行ってるし」
「知ってるよ、お前の母ちゃんが鬼婆に喋ってるの聞いたもん。三人折って二人潰したんでしょ?」
「・・・・意味わかってんの」
無表情の幼子に、にんまり顔の幼子は得意げな声で言った。
「わっかんない!!!」
「・・・・・・うっさ」
茶髪の幼子は蝉時雨を度々寸止めるほどの声で語り続けながら、黒髪の幼子の手を無理矢理引っ張って立ち上がらせようと奮闘した。
「お前知らないだろ?悪役が二人揃うとな、どっちかがヒーローにならなきゃいけないんだぜ!僕は悪のトップでお前は只の小悪党だから、お前、僕と居る時はヒーローにならなくちゃいけないんだ。ヒーローは、カゴくらい、持ってなきゃ、いけないんだぞ!!」
緩慢な動作で立ち上がった幼子は、眼を瞬いて茶髪の幼子を凝視した。
「ヒーロー?」
「そうだよ。僕が降臨してやってる間はお前がヒーローとしてこの地の平和を守らなきゃいけないんだ。だからお前は僕が悪さしないように虫捕りに付き合う義務がある!!」
自信満々に断言した直後、鈍い音が響いて、茶髪の幼子は地面に沈んだ。
茶髪の幼子の背後には、薄緑色の着物を纏い、右手を刀のように縦に振り下ろした姿の老女が立っていた。
頭を抱えて見悶える幼子から、ぼんやりと立ち尽くしている幼子に視線を移した老女は、落ち着いた涼やかな声で言った。
「家の者が、迷惑を掛けましたね」
老女の後方からから遅れて現れた年若い女性が茶髪の幼子に駆け寄り、心配そうに頭に手を伸ばした。
「だ、大丈夫?」
「捨て置いてください。構うと調子に乗ります」
ふらふらと不安定に揺らぎながら身を起こした茶髪の幼子は、涙で潤んだ眼で老女を睨みつけたが、老女は少しも堪えた様子もなく、むしろ薄らと笑みすら浮かべている。
「立ちなさい。帰りますよ」
「空、まだ青いもん」
頭を抑えてブスくれる幼子に、老女は坦々と言葉を紡いだ。
「貴方は今から自宅謹慎です」
「えーー?僕がわるいのー?」
「モノを壊した時点で十割コチラの責任になるんです。嫌なら帰って構わないんですよ」
「謹みます」
頭を撫でさすりながら立ち上がった幼子から、老女は女性に向き直って頭を下げた。
「全額弁償させて頂きます」
「本当にええんですよ。窓なんてしょっちゅう破れてますから」
「貴方は土下座しなさい」
「大変御無礼を致し真に申し訳ないでごわす。この上は割腹をもって、」
「意味も知らない言葉を無闇に使うもんじゃありませんよ」
繰り返し女性に頭を下げて、二人は公園を後にした。去り際、振り返った幼子が、にんまり笑みを浮かべて手を振った。
「明日はカゴ持って来るんだぞ!!!」
蝉時雨が一寸途絶えて、すぐにまた喧しく喚き出した。
◇◆
跪いて顔を両手で覆った大西に、流石のシロウも肝を冷やした。
餓鬼の泣き止ませ方なんて知らないから、泣かれると非常に困る。
小さく零れる噦りの音に、僅かに後退りさえした。堪らず声が落ちる。
「なんで泣いてるんですか」
泣いてねえよと、片手を振って構うなと示す大西に、深々と溜息を吐いて覚悟を決め、頭頂部に手刀を振り下ろす。「ヴッ」
患部に両手が回った隙に、すかさず両手で頬を摘み、思い切り左右に引っ張ってやる。
「・・・・・・
「間抜け面」
泣いてる理由はさっぱりわからんが、餓鬼が泣く理由なんざ、大抵大人にとっちゃ下らんもんだ。
濡れた眼で睨む大西を失笑して、シロウは餓鬼の頭を掻き回した。
「餓鬼なら餓鬼らしくみっともなく泣き喚きなさいよ。わざわざ我慢しなくたって、どうせ大きくなりゃ泣けなくなるんですから」
あんまりつまらなそうに言うので、惜しむように言うので、精々困りやがれと声を枯らした。
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