第17話嫌
僕には大変に面倒くさがりな友人がいる。
大抵の話には「おー」か「あー」か「んー」で、偶にそれすら言わずにだんまり決め込むムカつく奴だ。
話すことも面倒くさけりゃ飯を食うのも面倒くさいという。部屋の電気をつけるのすら面倒くさがるから、居ないと勘違いして部屋を覗いた母親に何度か絶叫を上げられたらしい。ものぐさが過ぎる友人だ。
目を開けるのも面倒くさい、死ぬまで寝ていたいと言い出した時には、流石に放っといたらニートまっしぐらだと若干本気でシバいた。とんでもないナマケモノだ。
僕が怒って喚こうが落ちこみ泣こうが叱りも慰めもしない。そのクセそこを動こうとしない。本当に無神経な奴だ。
なんでもかんでも考え過ぎる奴だ。考え過ぎるから、それだけで疲れ果ててしまって、結局なんにも出来ない奴だ。
出来なかったことを一々捨てずに取っておくものだから、時々一杯になって溢れてくる。とんでもなく不器用な奴だ。
夏の間、僕は散々奴を引っ張り回す。
あちこち引きずり回したりあることないこと言ってからかったり、面倒言ってうんざりさせたり、
夏の間中そんな調子でいるから、怒ったり泣いたり笑ったり、奴は毎日大変だ。
それでも構わず引き摺り回す僕を、なんでか奴は拒まない。
拒まないから調子に乗るんだ。馬鹿め。
◆◇
赤と黒の混ざった海の上、波紋を生みながら安らかに眠る少年の腹部に、足を振り下ろす。びくり、痙攣と同時に水を吐き出した。
「君の生存欲は些か尊敬に値するものがありますね」
「・・・・・・っ微塵も、感じられん」
気道を整え、海上に浮かぶ身体を起こす。身体を見下ろし、五体満足な身体に安堵の息を吐き出す大西に、シロウはことりと首を傾げた。
「長生きしたい割に、肉体の維持を優先するんですね」
「健康寿命」
「成程」
海上に揺蕩う黒いネジを拾い上げ、シロの指差す方へと歩き出した。
◆◇
月明かり一つない夜空の下、薄らと青く灯る草原をパキパキ、パキパキと踏み歩く。
ぽつり、ぽつりと白く光る綿毛が宙を舞い、方々を好き勝手に照らしている。
後ろを振り返った大西は、次いで前を行く少年に視線を注いだ。
初め見た頃だって弱々しくって役に立たない光ではあったが、今では他の光に陰ってすらいる。
「お前、暗くなったな」
「語弊がありますよ、その言葉」
それでも、結局少年の足は草一本だって壊さないし、大西の足は歩く度に一歩を壊していく。傍らを行き過ぎる綿毛に手を伸ばした。パリン
遠くの方で、祭囃子が響いていた。
◆◇
喧騒の中にいる。祭囃子が鳴り響いている。
大通りの両脇を、屋台と提灯の燈が爛々と照らしている。
笑い声響く雑踏の中、老若男女一様に猿の面を被った人混みの間を真っ直ぐ通り抜けていく。
猿面らは皆二人には見向きもしないわりに、シロウの前ばかりは器用に空けていくので、大西はシロウの背後に続いて通りのど真ん中を悠々と歩いている。
「今までで一番役に立ってるぞお前」
途端脇へと逸れ出すシロに、大西は慌てて後ろに続く。すぐ脇を大柄な猿面が駆け抜けていった。
「男なら人混みくらい自分で避けなさい」
「男女差別だぞ。つか人混みにおいては男のが不利だろうが」
「男の肩身を語れるほど君は生きていない」
三軒目の焼きそば屋を通り過ぎる。
ヨーヨー屋は二軒しか見ていないのに、たこ焼き屋はもう五軒も見ている。そのクセしてたこ焼き屋は皆行列で、ヨーヨー屋の前には二、三人しゃがんでいるきりだった。
「なあ、射的やりてえ」
「・・・・・・餓鬼」
通り掛かった的屋を指差すがシロウはこれっぽっちも見やしない。
「お前だって餓鬼だろが」
「君は餓鬼と言われることが恥ずかしくないんですか?」
「別に、まんまじゃん」
振り向いたシロウに、つんのめりそうになりながら立ち止まる。じろじろと己を眺め回すシロウを怪訝に見返す。
「・・・まんまだろ」
「・・・まんまですね」
自身だって似たような
なんだコイツと眺めていると、宙から黒い革財布が降ってくる。シロウの手のひらにおさまった。
「無駄遣いはいけませんよ」
穏やかな笑みして財布を差し出すシロウに、堪らず己の二の腕を摩った。寒気がする。
「お前も来いよ」
「僕が行ったら猿が避けるでしょう」
「タダで出来んじゃん」
「真っ当に生きなさい」
シロウは渋々大西の求めるままに店々へ向かったものの、店先へは絶対に近付かず数歩離れて佇むばかりだった。
それでもシロウが寄れば店先の行列は皆綺麗に捌けるので、大西は一度も待つことなく店主に注文を告げられた。
「一緒にいるヤツがテンション低いとイマイチ盛り上がんねーんだけど」
「散々屋台を荒らし回った後に言われてもね」
「つか屋台の食いもんてあんま好きじゃねえんだよな」
「オムそばを頬張りながら言われてもね」
「あ、面買おうぜ」
「楽しんでますねえ」
ライダーの面を己の後頭部にかけ、悪いボスの面をシロに押し付けて先を進む。
屋台通りの終わりは大きな広場になっていて、中央に建てられている立派な祭り櫓を囲うように猿面の人々が列になって踊っている。
櫓で叩かれる大太鼓の拍子に合わせて皆々揚揚と手足を揺らしていた。
先を行くシロに続いて広場に脚を踏み入れる。瞬間、視界一面が灰色に染まる。
「奥さん、ですから・・・」
「ちがいます!この子は病気じゃありません!おかしくなんかありません!ちょっと内気で、今は少し混乱してるだけで!障害者なんかじゃありません!この子は正常です!普通の子なんです!」
父は厳格で合理的な人間だ。母は従順で感情的な人間だ。
「ねえお願いよ、お願いやからちゃんとして、いつもみたいにしてっ、なあ!」
マコトは怠惰で大雑把で恣意的な人間だ。
「じゃあ、私の似顔絵を描いてみようか」
灰色の身体に真っ黒な顔。真ん中にはぽっかり空いた目ん玉が一つ。
(まんま描いたら駄目なんか?)
黒と灰ばかりが縮こまっていくクーピー。試しに赤をとってみたら酷く落胆されたので。
マコトは途方に暮れたツラしてまっさらな落書き帳を見下ろしていた。
友人の似顔絵はよく出来ていると褒められたのに。いっそもう一度友人を描いてしまおうか。だけどおじさんを描けと言っていたし。
もう一度、顔を上げてみる。でかでかとした目ん玉が、にんまりと弓なりに歪んでマコトを見下ろしている。その後ろで両手を握り締めた母が、同じくまん丸な一つ目からぼたぼた水を零してマコトを睨んでいる。ヒントの一つもない問題用紙を睨めつけ犬みたいにぐるぐる唸っていると、突然どたどたと騒がしい音がやってくる。
「フーゥーフォオオオ!!」
どすんっ、背後から押し潰される。ぐぇ、洩れた呻き声さえも、ユキの歓声に圧縮される。
「似顔絵!似顔絵?!僕得意!!!」
マコトを座布団にして、黒いクーピーを断りもなくかっさらうと鼻唄まじりに白紙にぐいぐいと線を引いていく。
「デェーーーン!」
満面の笑みと共に掲げられた紙には、ひじきを被った輪郭に黒い目玉が二つとでかいかまぼこみたいな口が一つ。
「ユキやん」
「はあー?ちっげぇーよどーみてもお前じゃん!!」
自信満々な声が降ってきて、マコトは目ん玉をまん丸にひん剥いた。どすどすと脳天にアゴを突き刺す痛みすらも忘れて似顔絵を凝視する。
「俺?これ俺なん?」
「そうだよ!わかんねえの!?めちゃくちゃ似てるじゃん!」
「・・・似てる」
「だっるぉーー?」
ぶらぶら揺れる足につられてぐらぐらと頭が揺れる。
「ユキと、めっちゃ似てる」
「はぁーん?」
「俺、ユキと似てる。・・・俺、俺ら、めっちゃそっくりやん!!?」
飛び起きた反動でユキが「ぅおっほぅ」情けない声して転がり落ちる。抗議の雄叫びを上げる友人に、今度はマコトがどすんと飛び乗った。「ぐっふぁっ」
同じだ、同じだと繰り返す声に、友人はどこが似てんだと四肢をばたばた振り回している。
「お前は黒で僕のは茶色!全然違うだろ!」
「だってさ!ほら!目ん玉が二つあって口があって鼻がある!ほらー!一緒!!同じじゃん!!」
落書き帳を見えないくらい近くに押し付けて、びっくりするくらい大きな声で断言する。
「きっと僕とお前は家族なんだよ!だから同じなんだ!僕ら本当は兄弟なんだぜ!!」
屈託ない笑みをたたえて落書き帳もろとも飛びつくマコトにユキはぼけっと目ん玉を見開いて、それから堪えられん様子でげらげら笑いだした。
「おっまえっ、おっもしろいなあぁ!!」
幼い頃の大西は、とても愉快で不快で滑稽な夢を見ていた。
現実は、灰色の人間達が本当の家族で、友人と大西はちっとも似てなんかいなくて、ユキは大西の家族じゃなかった。
目を覚ましてくれた友人に、母はとても感謝していたが、本当は、大西はずっと夢の中にいたかった。
無機質な駆動音を響かせて自身を包囲する灰の巨像を切り刻む。歪に木霊する断末魔達は、まるで血の繋がった家族みたいにそっくりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます