第14話孤








 階段を登っている。

 周囲は灰色の壁に囲まれている。

 緑の手すりのついた階段には、一定の間隔で踊り場が設けられていて、そこには真っ白な扉と、上に非常口のランプが光っていた。


 登って、登って、登って、曲がって

 登って、登って、登って、曲がって

 登って、登って、登って、曲がって

 登って、登って、登って、曲がって

 登って、登って、登って、曲がって

 登って、登って、



「無限ループじゃね?」


 延々と足を上げ伸ばしながら、大西は呟いた。

 寺社仏閣に比べりゃ歩きやすい階段だったが、同じ景色を終わりも告げられずに延々歩かされているのだ。

 辛い。

 長々登り続けて踊り場を曲がった時、上の方から光る緑色を見た瞬間の疲労感が尋常でない。


「お前わざと遠回りしてんじゃねーだろうな?」


「僕は君を貶す以外で時間の無駄になる行為はしません」


「ほぉーん?」


 シロは黙々と足を進めていた。

 疲れた様子もなく、まるで機械みたいに黙々と足を上げていた。

 機械だったとしても、今さら驚きやしない。

 むしろ腑に落ちてしまうような少年だ。

 だが、大西は人間だ。

 階段よりもよっぽどエスカレーターが好きだ。文明の利器が大好きだ。


 登って、登って、登って、曲がって


 緑色の光に見下ろされる。

 がっくりと肩を落とした。


 いつまで歩きゃいいんだ


 緑のランプを睨んで、ふと違和感を覚えた。

 いまいちピンと来ない違和感が不快で、非常口のランプを睨みつける大西に、シロが振り返った。


「なに無機物にガンたれてるんですか?」


「・・・・・・たれてねーよ、釣り目だよ」


 お互いに、感情表現を放棄した顔で相手を凝視した。


「笑えやコラ」


 大西の眼には、血を流すことも辞さない覚悟が宿っている。


「吐き気がしますよ」


 シロの眼は、折れたシャーペンの芯を見ているようだった。

 白髪の少年は前方の非常口を指差し、過去を手早く処分するようにはっきりとした声で言った。


「ここを登りきったら、しまいです」


 遂に階段地獄ともオサラバか、と途端に大西はみるみるやる気になって、階段を三段飛ばしで駆け上がった。

 自身を追い抜かした現金な大西を眺め、シロは眩しそうに目を細めた。


「あ」


 しまいの非常扉の前に立って、ようやく違和感に気付いた。


(これが正しいんだ)


 非常口の人影のマークが、大西の見慣れた向きを走っていた。

 振り返って、階下の踊り場で光を放っているマークを確かめる。


 逆なんだ

 さっきまで途中にあったマークは、全部逆向きに走ってたんだ


 どうやら、ずっと非常口と思っていたマークは、それとは異なるものらしかった。


 立ち止まって見下ろしている大西を、今度はシロが追い抜かして扉の傍らに立った。


「進むか戻るかは、君次第です」




 嫌いな過去ばかりを覚えている。

 間違ったことばかりを思い出す。


 一等後悔していることがあった。


 薄茶を真っ黒に塗り潰して大笑いする友に

 なぜだか無性に腹が立って、拳を上げてしまったこと。


『カッコ悪い』


 喧嘩になると思ったのに、友はふつりと黙り込み、そうして、笑顔のまんまぼろぼろと涙を零した。

 あんまり静かに泣くものだから、大西はびびって、動けなくなった。


『ごめんなさい』


 繰り返し呟き涙を落とす友に、なんにも言えず、なんにもできずに、ただ置物のように突っ立って、眼から伝い落ちる涙を只管眺めていた。



「わかってる」


 鼠色のドアノブに手を伸ばした。




 ◇◆




 喧嘩した

 理由は、喧嘩してるうちに忘れた


 僕は、悪くない


 泣かなかった

 同じ部屋で、お互いにそっぽ向いて黙り込んでた


 腹が鳴った


 家には二人しかいない

 おばさんとの約束を思い出した


『お昼くらい僕が作りますよー』


 なんて

 すっかり忘れてた


 言うんじゃなかった


 時計の針は、三時を指している

 僕だけ食べたらおばさんに嘘ついたことになる


 空腹には、勝てない




 キッチンに立った

 三段重ねのホットケーキを二人分

 綺麗に焼いたふかふかのホットケーキが二人分


 ふつーに綺麗に焼いちまった


 炭になるまで焼こうと思った

 ぐしゃぐしゃにしてやろうと思った


 だけど、それだと僕が失敗したみたいじゃないか


 ホットケーキを睨んで、考える


 目の前に置けば、奴は食うだろう

 黙って食って、黙って食い終わるだろう


「ありがとうくらい言えっ」


 想像の奴に向かって悪態つく


 きつね色の生地を見ていると、なんだか益々腹が立ってきた


 僕は


 僕はなあ


 お前のために練習してるんじゃないんだぞ!!



 向かい合わせに座ってる


 テーブルの上には、二人分のホットケーキ

 蜂蜜たっぷりと、バターを塗った

 ふつーに綺麗に焼いちまったホットケーキ



 絶対に目は合わせない



 奴は不機嫌な面してホットケーキを睨みつけてる

 僕は知らん顔してフォークをホットケーキに突き刺した



 絶対に目は合わせない



 奴がフォークとナイフを掴んだ


 ホットケーキくらいフォークだけで食いやがれ




「・・・・・・・・・・・・・・・おい」


 奴が、ものすっっっごくドスのきいた声を発した


 気づいたんだろう



 重なった生地の隙間に

 たっぷり塗りたくったワサビに


 以前の僕なら


 ──作ってやっただけ感謝しろ、バーーカ!!


 くらいは言っていた


 だが、僕は日々成長している


 満面の笑みを浮かべて言ってやる



「いっやぁー、やっぱ金持ちのお坊ちゃんにド庶民の味は合わないかー!残念だなあー!


 嫌なら食べなくって良いんだよ?」



「・・・・・・・・・・・・・・」



 めちゃくちゃ怒ってる

 無言でものすっっごい睨んでる


 ぜんっぜんきかねーし

 ばあちゃんのが百倍怖いし


 僕はそっぽ向いてホットケーキを口一杯に頬張った


 あー美味しいなあー!僕ってやっぱ天才だなー!




 ──こんなもん食えるかぁ!!


 なんて、言って皿をひっくり返したら面白いなと思っていた



 奴はナイフをテーブルの上に放り投げた


 硬い音がやけに、喧しく響いた


 奴はフォークをホットケーキに突き刺し、大口開けて食らいついた



『かっっら』



 そうだろうよ

 だって、チューブ一本使い切ったもん



『きもちわる』



 そうだろうな

 ワサビに蜂蜜とバターは合わんだろうね


 奴は散々悪態つきながらワサビつきホットケーキを食らっている

 無駄に行儀の良い奴にしては珍しく、やかましく音を立てて、ホットケーキをフォークで突き刺し口一杯に頬張っている



「別に、食えなんて言ってない」


「うるせえ」



 ものすっっごいドスのきいた声


 けど、メチャクチャ辛いんだろう

 目尻に涙が浮かんでる

 メチャクチャ気持ち悪いんだろう

 顔色がなんか変


 奴は不味い不味いと散々悪態つきながら

 行儀悪くクソ不味いケーキを食い尽くした


 食い尽くしてしまった


 空になった皿にフォークが落ちる


 金属音がやけに、痛く響いた


 奴はそっぽを向いて、ものすっっごく不機嫌な顔で、ものすっっごく不機嫌な声で言った


『ご馳走様』




 ・・・・・・・・・・・・・・・





 なんなんだよもおぉーーー!!






 ◆◇



 そこは待合室のようだった。

 四方の白い壁に、灰色の扉が等間隔にへばりついている。大西が開いた扉は、閉じてしまえば他と全く同化してしまった。

 中央には、青い一人掛け椅子がたったの十脚、背中合わせになって一列に並んでいた。

 広々としていながら、どこか閉塞感のある空間だ。


 青い椅子を挟んだ向かい側に、真っ白な虎が行儀良くお座りをしていた。

 大西に背を向けて、扉の一つを見上げている。

 食われやしないかという恐れは抱かなかった。

 何せ、音も隠さずに背後に現れた二人に、虎は片耳すら動かない。てんで興味がないようだ。


 大西に続いて扉を抜けたシロウは、こっそり眉間に皺を寄せた。


(聞こえない)


 まるでノイズのような雑音が聴覚を埋めて容易に聞き取れない。

 そんな筈はないのに。容易く聞き取れる筈なのに。これでは本当の役立たず。だが、いくら耳を傾けたところで雑音ばかりで、声らしき音など聞こえはしなかった。

 シロウは眉間を掌の付け根で伸ばしつつ前方に立ち尽くした大西の背中を見遣った。

 大西は片手で耳を押さえている。血潮を聞いているようにも見えた。


「聞こえますか」


「・・・・・・・・・・・・」


 手を下ろした大西は、だんまりのまま青い椅子の座面に足を乗せると、背もたれを跨いで虎の背後に降り立った。そうしてまた、だんまりのまま虎を見下ろす大西に、シロウはうんざりした声で窘める。


「黙ったままでは何も変わらないんですよ」


「わかってる」


(本当にわかってるんだろうか、この餓鬼は)


 目を眇めて大西を見ながら、シロウは気怠げに腕組みをした。どの道自身には聞こえやないのだから、この少年に任せるしかない。それに、シロにとってはどうでも良いのだ。大西がこのまま進もうが、諦めて後戻りしようが、自身には意味の無いことだ。



 大西が見下ろす先、白い虎は背後の大西に気付いているのかいないのか。時おりぱたり、ぱたりと尾を揺らしながら、じっと灰色の扉を見つめている。ネコ科のクセして、その様は全く忠犬のようだ。


 声が聞こえている。とっても小さな囁き声だ。周囲に一つでも音があれば掻き消えてしまうようなか細い声だ。


『そばにいて』



 その声はきっと、友人が過去に閉じ込めた望みだ。大西は拳を強く握り締めた。


「おや、壊すんですか?」


「・・・壊さねえよ」


 握っただけだ。盛大な溜息吐いて、無理やり開いた手のひらを虎の頭に押し付けた。

 噛まれるか、なんてことは考えなかった。不思議と目の前の虎が己よりも強いとは思わなかったし、恐ろしいとも思わない。背後で待ちぼうけのシロウなんかは、平たく言って化物だ。それに比べりゃ幾分か可愛い。

 ぐしゃぐしゃと毛並みを掻き回す。

 すると振り向きもしなかった虎が、途端にゴロゴロと気分良さげに頭を押し付けてくる。


(・・・なにやってんだろう、俺)


 両手でがっしゃがっしゃ掻き回してやりながら、大西はなんだか虚しくなった。


 白髪の少年に誤魔化していることがある。

 別に大したことじゃない。

 きっと意味は大して変わらない。


 白い子牛の声、口にするのが恐ろしかった。それは友の望みであって大西の望みでもあって、同時に大西の望みを否定する未練の声だった。


『置いてかないで』



 ◇◆


 凶悪な面して虎を只管撫でくり回す大西が、全くもって不可解だ。

 青い椅子を挟んだ向こう側、白髪の少年は眉間を擦った。


 声が聞こえないシロウには、それだけで呆気なく砂みたいに崩れ落ちてしまう獣とて、全くもって不可解だ。



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