第12話微味
枝豆に砂糖がかかっているのは、まだ優しい
やたら上手く焼けたホットケーキに、それを台無しにするような調味料が塗りたくってあったり
茶漬けに蜂蜜を溶かしていたり
かと思えば調味料を全抜きした煮物だったり
味噌汁から味噌を抜いて醤油を混ぜていたり
『嫌なら食べなくって良いんだよ?』
友は時々、いや常々、タチが悪かった
◆◇
「うわ、なんだこれ」
チョコレートに包まれたケーキの断面は、白と黒のスポンジが格子模様のように交互に重なり合っていた。
てっきりこのヘンテコな空間だからかと思ったが、どうやらそういう菓子らしい。男はウキウキとした声色で囀った。
「ユニークだろう?とっても素敵なケーキだ!」
菓子作りなんてしたことのない大西には、どの角度から切り込んでも綺麗な格子模様になるのが不思議でならない。
切り分けたケーキをじいっと観察する大西に、男はニッコリ笑みを浮かべた。
「サプライズにはピッタリだろう?」
「・・・・・・あー」
一見すると普通のチョコレートケーキだ。男のしたり顔が気に食わないが、切るとチェス盤柄になるなんて、大西には驚きだった。
溢れるほどふんだんに飾られている薔薇を、揃いも揃ってどうぞと言うので、大西の皿は一等目にやかましい有様になった。フォークを行儀悪く揺らしながら、男は楽しそうに笑った。
「さあ!いただいてくれたまえ!」
大西の皿は薔薇が沢山だ。
食らう側だというのに、食われる側によって場違いな気分にさせられながら、大西は白い薔薇をフォークで突き刺した。チョコレートで出来ているらしいその薔薇は、まるで本物のように柔らかく綻んでいた。どうやったらこんなの作れるんだろうかと素直に感心する。そうして、フォークに刺され歪にひしゃげた白い薔薇を口に運んだ。
薔薇は口に入れた途端に溶けて、噛む間もなく口の中に広がった。
「どうだね?」
満面の笑みを浮かべて男が尋ねる。
歯の表っかわを舌でなぞってから、大西は言った。
「無味」
「だろうね!!」
悪戯が大成功したみたいに男は高笑いした溶けて消えるガムを口に入れたようだった。とんでもなく空虚な気分にさせるシロモノだった。
シロを見やれば、手持ち無沙汰のように赤い薔薇をフォークで突っついている。
男は大西の率直な感想に喜ぶばかりで、己のケーキには見向きもしない。
「ちゃんと食えよお前ら」
ガンを飛ばしながら、赤い薔薇をまとめて二輪突き刺し大口で頬張る。全くの無味だ。口に残ってるかすらも分からない。
続けて格子模様のスポンジを切り分けもせずにフォークで丸ごと突き刺した大西を、男はきょとんと凝視していた。
「んだよコラ。食えよ言い出しっぺ」
「いやはやなんとも。まさかイートアップする気かね?」
「いーとあっぷ」
「完食する気かと聞いています」
ようやく食べる気になったのか、赤い薔薇をフォークの刃先で掬ったシロが坦々と言葉を捕捉した。
「おー」
行儀悪く大口開けて、格子模様を食い散らしながら、素っ気なく同意を示した大西に、男は困惑した笑みを浮かべた。
こんなよくわからん野郎に困惑されるなんて、大西としては遺憾でならない。
「一口で結構なのだよ。粗末な味なのは勿論だが、見ての通り、このケーキにはフルーツの一つも入っちゃいないからね。たとえ味があったとしても、見た目ほどのサプライズはないのさ!」
「別に俺は食いもんに驚きは求めてねえし、お前に気を遣う気もサラッサラねえ。クッソ不味いが、食えなくもないから全部食うだけだ」
別にそう教えられたってわけじゃない。
家で大口開けて食べていたら間違いなく顔を顰められるし、誰かと食うくらいなら一人で食う大西だ。
それでも友が嫌がらせにつくった奇天烈料理は、行儀悪く大口開けて、友の目の前で散々ちらかしながら完食するのが大西だ。
「ご馳走様」
嫌がらせが失敗して途方に暮れる友に、いかにも嫌味ったらしく礼を言い、空になった皿の上に音を立ててフォークを放り投げるのが恒例だ。
男は空になった皿を不思議そうに観察して、それからくしゃりと顔を綻ばせた。
「君は本当にユニークだ!」
大声で笑う男にそっぽを向いて、白いカップの中身を呷る。空っぽのケーキは、何故だか無性に気分をささくれ立たせたが、カフェオレの程良い甘さとほろ苦さは、そんな気持を程よく落ち着かせてくれた。
笑いすんだらしい男が、おもむろに片翼を広げ、羽根を一枚抜き取った。たちまち真っ黒に変色するそれを、笑みを湛えて差し出される。
「受け取ってくれたまえ!」
どっからどう見ても只の羽根だ。ようやく嫌々薔薇を食みはじめたシロウが見向きもしないあたり、鍵でもないんだろう。差し出されるがままに受け取るも、あんまり使い道があるとは思えない。どうせなら青のが縁起が良いんじゃねえの、と男の片翼に視線をやる。
「あ?」
今度は大西が男を凝視する番だった。
つい一寸前までは、さながら夏空のように眩しくて目に喧しかった男の翼が、今ではまるで鴉のように真っ黒だ。
目を平らにする大西に、男は至極楽しそうな笑みを浮かべて、キザったらしく言葉を吐いた。
「グッバイ、ボーイ!」
男の身体が陶器人形のようにガラガラと崩れ落ち、たちまち破片も残さず霧散していった。
(お前、一口も食ってねーじゃん)
大西と男の間にあった白いテーブルも、テーブルが背負ってたものも残らず消えていた。
そうして、人であればちょうど心臓があった位置に、夕暮れと夜の隙間みたいな紺色が、全く呑気に浮かんでいた。
紺色に誘われるように手を伸ばして、ふと、それが左腕なことに気が付いた。すんなりと元の場所におさまる腕を伸ばして一歩、その暗い光に近付いた。
「・・・・・・食べてくれるかなぁ」
ぶつり、何かが千切れていく。
◆◇
「大人の女性が喜ぶケーキって、どんなのだと思います?」
ニッコリ笑って問いかける友に、カウンターに座って本を読む少女は、顔も上げずにページを捲る。問いかけたまま退かない少年に、少女は渋々顔を上げずに対応した。
「・・・図書室にあるのはどれも古いのばっか」
「古いので良いんですよ、そっちのが珍しいじゃないですか」
「大人の女性なら、珍しいのより美味しいのが良いんじゃないの。というか、仕事の邪魔」
「本読んでるじゃないですか」
迷惑そうにページをめくる少女に対し、友はカウンターに乗り掛かって堂々と居座る姿勢だ。
「本を読むのが仕事なの」
「図書委員なのに?」
「図書委員だから」
友は愉快げに笑みを浮かべ、少女の読む本に目を向けた。ほんの少し動きが止まる。
「えー、」
胸元に付けられた名札を見て言葉を迷わせる友に、少女は不機嫌そうに溜息吐いた。
「・・・なに?先輩で良いよ。教えるのめんどいし」
「先輩は、そういうの信じるんですか?」
少女の本を示して尋ねた友に、少女は素っ気なく「信じてない」と答えた。
「でっすよねえー嘘っぱちですよーそんなん」
嬉しそうに話す友に、少女は水を差すように言葉を続けた。
「だけど興味がある」
「信じてないのに?」
カウンターにもたれて片足をぶらぶら揺らす友から、少女は頑なに目を逸らしている。
「私は信じてなんかいないけど、これは嘘っぱちだと思うけど、だけど人を救うから、私はこの作品に興味があるし、嘘っぱちを書いた作者を、私は尊敬したい」
頑なに目を合わさずに意思を述べた少女に、友はきょとんと首をかしげた。
「嘘つきでも尊敬するんですか?」
「人を救う言葉が嘘かどうかなんて、些細なことでしょ」
「・・・ふーん」
ぼんやりとした返事をしてから、友は思い直した様子で学生服のポケットから青いカバーの携帯端末を取り出した。
「誕生日のお祝いがしたいんです。毎年ろくに祝ってこなかったんですが、今年こそは正面切って言いたくて」
「・・・・・・それってお母さん?」
ガツン、ゴトリと、カウンターの上に端末が落ちた。
「親とは言ってないんだけど?」
「何照れてんの?」
「照れてません」
言いつつ、友は顔を片手で隠してカウンターの影にしゃがみこんでしまった。これではまるきりバレバレだ。
懐から水玉模様のカバーがついた端末を取り出した少女は、口元に堪えきれない笑みを滲ませている。
「いいじゃん、親孝行じゃん」
「だから違いますって。だって僕、男ですよ、中学生なんですよ」
「それが?」
「え、ええ、そりゃ、だって」
「だって?」
詰問するように問い掛ける少女に、友は窮した様子で、はくはくと唇を動かした。
口達者な友のこんな様子を、大西ははじめて見た。しまいには観念した様子で小さく吐き出した。
「カッコ悪い」
「ふっ、あはははは!!」
腹を抱えて笑い出した少女に、友は存分に不貞腐れ、カウンターの上にジト目を覗かせた。少女は目尻を拭いながら苦しそうに叫んだ。、
「くっっだらないなあ!」
力強い声で放たれた言葉に、ジト目はきょとんと見開いて、それから眉をへにゃりと歪ませ笑みを零した。少女は尚も笑いを滲ませながら、手元の画面を友に突き付けた。
「見た目が綺麗で、美味しくって、珍しいのがいい」
友はぱちぱち瞬きしながら画面を見つめ、それから徐々に目を眇めていく。
「・・・もっと簡単なのは?」
「頑張りなよ。年一くらい」
「・・・・参考には、しておきます」
気乗りしない風で返事をすると、友は床に座り込んで青い端末を操作しはじめた。
操作しながら暇潰しのように言葉を投げた。
「なんで羨ましいと思うんですか?」
「羨ましい?なにが?」
「言ったじゃないですか。その、作品の作者、尊敬するって」
「言い方がかなり違うんだけど」
不満げな声に、純粋に不思議そうな声が返される。
「違いますか?」
「違う。全然違う。羨ましいっていうのは、」
少女は顔を顰めて、数秒考え込むように沈黙した。
「羨ましいっていうのは・・・目指さない人のことで、尊敬っていうのは、・・・・・ん?」
中途半端に途切れた声に、友がカウンターから顔を出すと、ぴきりと硬直した少女がいた。
「・・・・・・・・・ふへっ」
吹き出した友を、少女は唇を引き結んでキツく睨みつけたが、笑いを必死に堪える友は気にもとめない。
「いいじゃないですか、カッコ良いじゃないですか」
「何にも知らないくせに」
「はい、はい」
カウンターに肩肘着いて睨みをきかせる少女に、友は同じく肩肘着いて、首まで真っ赤になった彼女を眺め、楽しそうに微笑んだ。
「叶ったら、教えて下さい」
「何かも知らないのに?」
「叶わないと教えてくれないでしょう?」
「当たり前」
置き去りになった小説は、気付けばぱったりと閉じられていた。栞を挟んでいないとぶつくさ呟く彼女に、少年は只眩しそうに目を細めていた。
亀裂音が響く
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