第11話伴





幼い頃、まだ友を知らなかった頃、父親の知り合いがやってきた。

つまらない話と、くだらないゲームをした。

その人が言った。


「何かを思った時、何かをしたい時、一度立ち止まって、家族や友人なら何を思うか、どうするか考えてごらん」


そんなのわかりっこないと、大西が黙りこくっていると、その人はわかる必要はないと言った。


「正解じゃなくっても良いんだ。この人ならこう言うかもしれない。あの人ならああするかもしれない。あくまで予測でいいんだよ。間違ったって構わない。誰でも良い、君の大切な人ならどうするか、何を思うか、考えてみてほしい」


面倒臭い。大切なんかない。

やっぱり一人でいた方がずっと楽じゃないかと、大西はだんまりを貫いた。




◆◇




簡素で真っ白なテーブルを、華奢で真っ赤な椅子が三脚、等間隔に囲んでいた。

椅子には、不機嫌な顔した白髪の少年と、顰めっ面した小麦肌の少年、奇天烈なナリして高笑いを上げる男の三者が座している。

各々の前には黒いソーサーに収まったカップが一杯ずつ、それぞれ赤と白と青のカップが置かれている。赤のカップの傍らには、黒いシュガーポットが寄り添い、白のカップの傍らには、黒のミルクピッチャーが居座っている。


テーブルの中央、真っ白な大皿の上にチョコレートでコーティングされたケーキが丸々一台鎮座している。

四号程度のホールケーキの表面には、チョコで出来た赤や白の薔薇、青いリボンが飾られていて、小さいながらもテーブルの上では一等出しゃばっていた。


黒いケーキナイフを右手に握り締め、剣呑な顔した大西がボソリと零す。


「ムズくね?」


大西は一刀を入れるのに妥当な位置を探している。

青いカップを優雅に傾け、男は言った。


「ノンプロブレム!!思うがままに貫きたまえ!」


「貫いたらだめだろ。問題あるだろ」


ちっちゃなトングで摘んだ角砂糖をスプーンに乗せては混ぜ、乗せては混ぜを繰り返しつつ、シロが言った。


「僕は小さめでお願いします。甘ったるいのは苦手なんです」


「まずその手を止めろ」


大西は狙いを定め、てっぺんの真ん中を飾る赤い薔薇の上からズブリ、と刃を差し込んだ。





◆◇







乾杯しようと笑顔で強請る男に、渋々カップを掲げ、口を湿らした後、時間が惜しいとばかりにシロが男の要求を尋ねた。

男は無駄に自信に満ちた顔で、高らかに宣言した。


「ともにケーキを食そうではないか!!」


三者揃って沈黙した後、焦れたシロが渋々言葉を発した。


「まさか、それが望みですか?」


「ザッツライト!!」


「くっだんねえ・・・」


大西の関心したような呟きをものともせず、男は意気揚々と宣言した。


「同じ皿のケーキを分かち合い、共に食してくれるなら!ユーに鍵を譲ろうじゃないか!!」


「腕も返せよ。つかこれ戻せんの?」


「君が望めば」


「代償が大きい」


腕を元通りにするには、自ら望んで寿命を削らなければならないらしい。洒落にならない代償だ。


「安心したまえ!!ボーイズが私の望みをグラントしてくれるなら、その分の代価は支払おう!!」


満面の笑みでもって断言する男に、大西は首を捻った。


「グラウンド?」


「要求に応じるなら、代価はソレが負担するそうですよ」


「いや、お前寿命なくね?」


シロウは彼らを姿をもった感情だと言った。適当言うな、と大西が目を眇めると、男に変わってシロウが全く平坦な声で否定を返した。


「男の大元をお忘れですか?」


「オオモト?」


男は鍵から溢れ出した感情に、翁が徒に姿を与えた存在だ。

鍵そのものは友の時間だ。

シロの言う、男の大元とは友のことだ。

つまり男は、友の残高から差っ引くと言っているらしい。


「くびり殺すぞ!!!」


思わず華奢な椅子を蹴倒すように立ち上がっていた。男に伸ばす手を、すかさずシロウが首根っこ掴んで遠ざける。完全に犬猫に対する扱いだ。

男は不思議そうに両手を上げ、シロウに尋ねた。


「何故ボーイはエキサイティングなのだね?」


「・・・・・・思春期、ですかねえ」


「ちっげーーーよ!!」


いよいよ雑な返しを始める少年にさらに熱が増す。ヤカンのようにやかましく沸騰する大西を、シロウは冷ますように片手を扇いだ。


「よく考えて下さい。君は本来部外者なんです。君の友人と知り合いさえしなければこんな厄介事に巻き込まれることもなかった存在だ。それを頼まれてもいないのに首を突っ込み後拭いをして、あまつ君にとっては大切な寿命まで奪われるなんて、あんまりにも損が過ぎる話です。君だってそう思うでしょう?」


ぶっつりと何かが裂けて、堰を切ったように血の気が落ちた。


「お前、わざと怒らせようとしてる?」


「自身の意志に忠実なだけです」


遠くなった意識のまま、何食わぬ顔で宣う少年を見詰める。


大西だって、己が面倒臭い性分だとわかっている。

もしも大西が別の誰かであったなら、大西のような面倒な奴には絶対に近付かないという確信がある。


嫌いな言葉が多過ぎる。

その言葉は極日常的に使われる些細な言葉だ。

嫌いな表情が多過ぎる。

その表情は極頻繁に見られる当たり前の表情だ。

嫌いな行動が多過ぎる。

その行動は誰にでも見られる極めて自然な行動だ。

感情の振れ幅が大き過ぎる。

自分だっていい加減ウンザリしている。

友の頭と交換できやしないかと頻繁に逃避を重ねる。

きっと己は人の平均を大きく下回る欠陥品だ。

どこかが決定的に足りなくて、平均の人と比べられるのが苦痛で、それでも平均の人と同等に扱われたくて仕方ない。


面倒臭い人格だ。

平均の人に迷惑ばかりかける粗悪品だ。



だけど、ユキは笑った

俺が迷惑ばっかりかけたって、ユキは面白そうに笑った

仕方ねえなって許してくれた

くだんねえなって認めてくれた

僕らは友達だと、お前は言った



沈黙して動かない大西を、諭すようにシロは告げた。


「ねえ君、友達といったって、所詮は赤の他人でしょう。たかが他人にそこまで肩を貸す必要なんかないんですよ」


友が言わない言葉を、この少年は口にする。

似すぎているから難儀だ。厄介だ。

男が言ってくれたんなら、大西はちっとも気にしなかった。

何せ慣れっこだ。それらは友の祖母や己の母にも言われた言葉だ。


『他人如きが』『他人様の子に』


耳には必ず残ったが、友が己を友と言い、家族なんかよりずっと気が楽で良いと言ったから、そんなら己もそれで良いやと嚥下した。


だから、たとえ誰にどう言われたって構わないことが出来たはずなのに、シロの声はどうにも友に似すぎていて、あんまり上手く流せない。

煩くなんかない。煩くなんかなかったが、波紋みたいに浸み広がっていく。



俺とユキは友達だ

俺とユキは家族じゃない


アイツはそっちのがずっと良いと言った

俺はそうだなと言った


お互い親に不満があった

親と居るのが苦痛だった

友と居るのが気楽だった

家族なんかよりもずっと


母が、まるで兄弟みたいだと言った



何度喧嘩したって、何度泣いたって、結局互いが一番だった

だから安堵した

これがユキにとっても最良なのだと、信じて疑わなかった


友はいなくなってしまった


猿の過去。母親の葬式で、友は祖母の家へ引っ越す日を春まで引き伸ばした。

蛇の過去。友の家の中は嵐が通り過ぎたようだった。

龍の過去。友は庭の花を枯らしていた。

決して好きとは言わなかったが、友は花に詳しかった。


月の夜。庭には亜麻色の髪の女と影がいた。


老人の仕業だと、シロウは言っていた。

白ネズミを渡した男は言っていた。『望みがあるなら、』


時間がとってもゆっくり流れている心地がした。

テーブルを殴りつけた振動で揺らいだカップの中身が、いまだゆっくりと波を打っている。



ユキは、よく触ってた

薄茶の髪、確かめるみたいに触って眺めてた

あの女は、お前の母親か

死んだお前の、初めて見たなあ



猿の過去、祖母と話す友を覗き込みながら、大西は友の中身を探していた。

祖母には分からんようだったけれど、大西はすぐに抜け殻だと気付いた。友は空っぽになっていた。



ユキは本当に器用なヤツだ

空っぽの言葉にまるで感情があるように話してみせる

嘘っぱちの笑顔をまるで本物のように輝かせてみせる


ユキは強いヤツだ

腕っぷしは俺のが強いが、心はずっとアイツのが強い

何言われたって笑い飛ばせるくらいに強い

何されたって笑って許せるくらいに強い

過去なんかどうでも良いと、未来の夢ばかり話すヤツだ


本当に、そう思えていたのだろうか

言い聞かせていただけではなかったか


いつも、家族なんか面倒臭くて疲れるばっかりだと言っていた

夏休みは逃避だと言っていた

だから、ほんのちょっとの願いを込めて問いかけた


『もう帰るのか』


毎年、毎年、立ち止まることを願った


それでもユキは帰っていった



いっつも笑って帰っていった




「どうかしましたか?」


白いカップに目を止めたまま黙り込んだ大西を、訝しげにシロが覗き込んだ。

白髪に目が眩んで、咄嗟に友の言葉が零れた。


「大丈夫だ」




長くて短い夏の間

まだ薄茶の髪だった頃、友は時々内緒の理由で泣いた

内緒で泣いて、家に閉じこもってしまった


俺といる時間のほうが少ないのに

母親といる時間のほうがずっとずっと長いのに

家族なんか面倒臭いと言っていたクセに

お前は母親を望んで泣いていたのか


俺はお前の家族じゃない

どんなに一緒にいたくても夕暮れになったらお別れだ

泊まって良いよと手を掴んでも

お前ん家のババアは許さなかった



黒い髪のお前は、内緒で泣くのをやめた

俺の前で一度だけ泣いて、それきり泣くのをやめた





大西は壊すことの多い人間だ。


伝わらない感情が雪崩を起こしたとき、

誰からも理解されない日が続いたとき、

受け入れられないことが多過ぎたとき、

どうしようもなく弱い己に疲れたとき、

大西はたくさん壊していた。


友は壊さない人間だ。

言葉が多くて話も上手で、なんでも受け入れられる心の強い人間だ。


大西は面倒臭がりな人間だ。


他者と関わる欲求を、過去が徒労だと引き止めた

何かを知りたい欲求を、過去が億劫だと引き止めた

必要とされたい欲求を、過去が無理だと引き止めた

愛されたい欲求を、過去が我儘だと引き止めた

前に進みたい欲求を、過去が無駄だと引き止めた


沢山の欲求が面倒になると、沢山の必要が不要に思えて、読み切らない本や着られる服や勉強途中の道具を捨てたりして、後に母から窘められた。


友は、努力の人間だ。

罵られたって他人と関わることをやめない、わからなくっても投げ出さない、望んだ答えでなくても受け入れる、必要とされなくても、煙たがられても手を伸ばし言葉を掛ける、立ち止まることのない人間だ



俺を腫れ物扱いする親に、お前は俺の友達だと言った

何をするのも面倒な俺を、お前は無理やり連れ出した

何度拒んでも連れ出した


嬉しかった

面倒だった

楽しかった

億劫だった

色んな感情が湧き出てきた

すごく疲れた、満ち足りていた



友は器用な子どもだった。

大西の足りない言葉を、大西の行動から予測できる器用な子どもだった。

大西の内にある、大西自身でも気付かなかったような地雷や爆弾の最中を、ふらふら呑気に歩き回れる子どもだった。

友と居る時だけ大西は己を人だと思えた。


ユキは、人じゃない。人よりもずっと凄くて強くて楽しくて、ユキのとなりは、世界中で一番優しい場所だ。


友は、夏しか来なかった。

彼に居場所がある限り、 その場所は大西だけのものにはなれなかった。





「君の大切な人ならどうするか、何を思うか、考えてみてほしい」


己を腫れ物扱いするような、世間体や評判ばかり気にする親なんか、大切じゃない。

人と関わるのなんか面倒臭い。

一人がいい。一人が一番気楽で良い。




「ユキが良い」



ユキのようになりたかった。

ユキの家族になりたかった。


ユキのとなりが欲しい。


ユキの大切になりたい。


ユキの全部が欲しい。


ユキだって、きっとそれが幸せなんだと、信じていた。



お前は母親が大切なんだ

死んだら抜け殻になるくらい大切なんだ



飲み下し堪えていたものが溢れてくる。

止められない。止める必要もない。


本当は、

俺だって家族になりたかったのに

俺だって繋がりが欲しかったのに

お前が、それで良いって言うから、我慢したのに

ずっと我慢していたのに



(裏切り者め)



望んでるんだって、喜んでくれたんだって、信じてたのに





なんだか頭がスッキリしていた。

ごちゃごちゃした色んなものが、隠して見ないようにしていた色んなことが、すっかりと綺麗に片付いたように思えた。

音も立てずに腰を下ろした大西は、男を真っ直ぐに見据えて言った。


「望み、叶えてやるよ」


「グレイト!」


すんなりと受け入れた様子の大西に、珍しいもんだと内心零し、シロはシュガーポットの蓋を開けた。

男がキザったらしく指を鳴らす。テーブルの中央に真っ黒なケーキが踊りいでた。


「ところで、黄泉竈食いという言葉をご存知ですか?」


「なんっで今言うんだお前は」


ちっちゃなトングとティースプーンを手にしたシロは、憐れむようにはにかんだ。


「頑張る君を、応援したくて」


「頑張れねえよ、ガリガリ削ってるよ」


「カッティングはユーに託そう!」


男は真っ黒なケーキナイフを大西に差し出した。


「俺、片腕なんだけど」


「私も片腕だ!」


「僕は掴めませんから」


仕方ねえな、と真っ黒なケーキナイフを受け取り、ぎこちなく握り直す。

どうしたものか。ここまで華美な装飾が施されていると、流石に切るのに躊躇する。






壊したいわけじゃない

苦しめたいわけじゃない

ただ、傷痕を残したい

消えない痛みを与えたい

そしたらきっと、気付いてくれる

ユキならきっと、わかってくれる

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