第10話徒詈




過半の皆々が郷愁を抱くこの空が、少年はどうにもいけ好かない。

いけ好かないというのなら、共に居座る男が尚好かない。

何せ男ときたら、声が煩わしい上に、少年の肌に合わない横文字を平気でひょいひょい口から零す。



「ヘイ!ライアー!今砂糖を六つも入れたね!?インクレディブル!苦いのが嫌ならミルクを入れたまえ!」


「・・・・・・生憎ですが、牛乳は入れない主義なんです」


「しかし砂糖を山と溶かしたところでキャフェの苦味は消えないのだよ?!」


「・・・きゃ、?・・・・・・・・・」


手のひらの付け根で眉間を擦って皺を伸ばす。

男が言葉を重ねるごとに、眉間の皺は深く濃くなる一方だ。


「・・・・・・生憎ですが、僕はカフェオレではなくブラックが飲みたいんです」


黒髪の男と白髪の少年が向かい合わせに座している。

男は青のカップを片手に持ち、少年は赤のカップを両手で包む。窘めるように問い掛ける男に、尚も少年はシラを切る。


「砂糖を入れたキャフェは果たして真のブラックと言えるのかね?」


「大事なのは格好ですよ。中身は二の次です」


「それにしたってエクストラだよ!」


おどけるように肩を竦める男に、少年はつとめて冷静であろうと声を落とす。


「・・・・・君の価値観はともかく、その芸人みたいな話し方やめませんか。聞いてるだけで総毛立つんですが」


「なんと!コールドかね?フィーヴァなのかね!?」


「・・・・・・・・・もう良いです」




「意味わかんね」


さながら綿のように体積を得た雲の上。

華奢な椅子に腰掛ける二者の間で、四肢を投げ出した大西は茜空を仰いでいた。



「おや?おやおや!?目覚めたね?しからばグッドモーニンッ!!気分はどうだね!?眠気覚ましに一杯いかがかね!?」


ずるずると身を起こす。頭がグラグラして気持ちが悪い上に、男の高らかな声が頭蓋に反響する。

堪らず耳を塞ぎたくて、けれども、それができない。


「私はリリシスト!覚えなくって構わんよ!私も君を覚えはしないのだからね!」


喧しい黒髪の男は、右肩から鮮やかな青の翼を生やしていて、左肩からは人の腕を生やしている。

男は掴んでいるカップと共にその手を掲げて見せた。


「ボーイの手はとってもファインだ!小さなハンドルも容易に掴める!」


己の左をかえりみる。

二の腕の中ほどから下がない。

痛みはない。血も流れてはいない。

まるで陶器のように亀裂の入った腕の断面を、覗こうとして首を伸ばすが、絶妙な具合に見えない。

見えたからといって別段良いことも無かっただろうが。


男の話し相手が出来たシロは安堵したように深々と息を吐き出し、カップに口付けた。

じっとりとした目で睨む大西に、渋々事の次第を極めて短く説明した。


「君がソレの片翼を裂いたのは覚えていますか?その隙にソレが君の片腕を噛みちぎりまして。まあ、平たく言うと相打ちです」


「おかげで私のコンディションは最高さ!」


心底愉快そうにカップを傾ける奇人の向かいで、シロが心底不愉快そうに眉間の皺をのばした。


「返せジジイ、首千切っぅげ」


首が締まる。男に飛びかかった大西の首根っこを、寸でのところでシロが引っ掴んでいた。

きょとんと目を瞬いた男は、大西を吟味するように眺め回すと、神妙な眼差しでシロに問い掛けた。


「アラウンドサーティは、オールドかね?」


「・・・・・・・・・若者の一意見です。世代によって主張は異なるでしょう」



「離せクソネズミ」


己を片手間に呑気な会話を展開する二者に、ぶつりぶつりと腸が沸く。

かといって、もだもだと無様に藻掻いたところで、大西の首が締まるばっかりだ。シロの“片手間”は異常に手強い。椅子に腰掛けカップを傾けながら、シロは大西を窘めた。


「落ち着いて話を聞きなさい。君にソレは壊せない。」


「はああ?なにー?ミンチ?」


「鼓膜の変わりに雲でも詰めましたか?君にはソレは壊せないと言っているんです。」


大西から片手を離すと、口元で輪っかをつくってふっと息を吐く。複数の赤い花弁が現れる。突然離されてつんのめる大西の周りを一つぐるりと旋回すると、忽ち華奢な椅子の形を成して、大西を軽々と拾い上げた。


「うおっ」


「ソレは君が回収し損ねた蛇の鍵を取りこんでいます。それだけなら壊してしまえば良かったんですが、ソレは君の一部まで取り込んでしまいました」


シロは能面のような顔で男を睨みつけた。薄ら寒い面だが、男はそれに清々しいほど綺麗な微笑みを返した。


「お蔭でキャフェがエクセレント!!」


「静粛に」


己の怒りなどすっかり脇にやられて、そのクセ己をさらった椅子は下らない言い争いをする両者の間に置かれてしまうものだから、大西はすっかり腐った顔で椅子に立て膝ついた。


「今の君が壊そうとしたところで、反作用で弾かれるだけです」


「じゃあどうすんだよ」


「どうもこうも、此方で壊せないならみずから壊れてもらうより他にないでしょう」


「自らって、」


平然と宣うシロウに、思わず男の顔を見返した。まったく愉快そうな顔してコチラを鑑賞している。


「無理じゃね?」


「いいえ」


シロウは、まるで男の腹の中が見えてるかのように落ち着いている。僅かに苛立って、がりがりと頭を掻いた。


(見えているかはわからんが、聞こえてはいるんだろうな)


大西だってさっきまでは聞こえていた。役に立つとは到底思わないが。

不愉快な声だった。口にした対象を憎悪した。ひたすらに不愉快で、悲しかった。


カード交渉材料があると言うのかね?」


「なければ此方が用意した席には着かないでしょう」


会話を楽しむように問いかける男に対して、不機嫌を隠しもせずに答えるシロウは、やはり、既に男が壊れることがわかっているようだった。


「イグザクトリーさ!」


男が片翼を羽ばたかせると、三者の間に白いテーブルが湧きいでて、大西の前に白いカップが現れ、見る間にそれは薄茶の液で満たされた。


「君の分だ、フォアユー!」


カップを見下ろし、薄茶色に目を細める。

どこかで見たような色だった。じいっと見つめて、ぽつり零した。


「泥水?」


途端、男が大音量で笑い出す。大西は眼を瞬かせた。

不快にさせてしまったと思ったが、何故か男はかなり楽しそうだ。


「なんだいこの子は?!実にディライトフルだ!」


大西は眼を見開いた。

男の蛇のように釣り上がった目尻と、それを隠すように細められた目蓋が、まさか盗んだんじゃないかと疑うくらいに友そっくりだ。


ギシリ、歯を食いしばる。見下ろした拳は指先が白んでいた。

かちゃん、いつの間にやらテーブルに湧いていたソーサーに、シロウが乾したカップを置いた。


「では、ごゆっくり」


「いやいやいやいやいやいやいやいや」


何の憂いもない顔で颯爽と立ち上がった少年を、片腕ながら目にも止まらぬ速さと馬鹿力でもって引き止める。


「俺は?!置いていく気か?!」


「最初に言っていたでしょう。僕は案内するだけだと。交渉するのは君ですよ」


「お前バカなの?!俺が出来るわけねーだろ!!」


たとえ三分間だって他者と会話する自信が無い。

加えて言うなら相手は変人だ。

表面だけ火の通った唐揚げみたく残念で絶妙に噛み切れない言葉使いをしやがる男だ。

二対一ならまだしも一対一など、実質零対一だ。


「おや、では諦めますか?」


「あーきーらーめーねーえーよぉお!」


「ご武運を」


「言っときゃいいと思ってるだろ?!」


ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる声にも聞かぬ存ぜぬを貫き立ち去ろうとする背中に、男の愉悦に滲んだ声が追いかけた。


「スケープゴートかね?」


ブツリと、電源を落としたようにシロの動きが止まるので、つられて大西も動きを止めた。

音楽プレイヤーの停止ボタンを、横合いから突然押されたような、気持ちの悪い沈黙が流れた。


「何と言いましたか?」


嫌に静かな動作で問い掛けるシロウに、怒っているのかと顔を見上げれば、口元には笑みが敷かれていて、大西は、かなり怒っているぞと身を引いた。


「ベリーウェル!君にはそれだけのバリューがあるのだろう!無垢なゴートを捧げるだけのグレートバリューが!!」


男の巫山戯た口調が、大西には上手いこと伝わらない。

一つ一つは分かる単語ばかりだ。テレビみたいにテロップなんかが出てればきっと全部理解出来ただろう。けれども音を聞き取り、単語の意味を思い出している間に、次の単語が出てきて、そうして忘れた頃に知らない単語が交じったりするので、おおよそ文章になる前に頭から零れていった。


ヤギが逃げたのか

イチゴ?価格?

スーパーで聞いたことある

ま た ヤ ギ だ


多くの人よりずっと疎くて、言葉の意味もろくにわからない大西だったが、けれども、吐き出される吐息に、少年が傷ついたらしいってことだけは理解した。


泣かせるのはよくない。大西は友が泣くのが大嫌いだ。

常日頃げらげら笑い転げている友は、いっぺん泣いたら丸一日家に閉じこもる。

大西は夏の間しか会えないのに、一日も取り上げるなんてあんまりだ。


少年が口を開くより先に、男の加虐に綻ぶ声が問いかけた。


「それで、許されたのかい?」



気付けば、喉元が閉まっている。

男の顔がさっきよりもずっと近くにあった。

背後で息吐く気配がして、頭を逸らして後ろを見た。シロウが首根っこをわし掴んでいた。


「・・・・・なんなんだ君は」


「くるしい」


呟いた瞬間、どうしてか男は大いに笑い転げた。シロウのほうは瞠目したきり黙り込んでいる。


「どっかいくなよ」


「・・・わかりましたよ」


シロウは困ったように眉を歪め、苦味を堪えるような不味い笑みを浮かべた。


「君が望む限りは、傍にいましょう」


笑い疲れたのか、気付けば男は椅子の背に凭れ、眩しそうな顔してシロと大西を観賞していた。二人が振り向くと、男は心得た様子でニッコリ笑みを浮かべ歌うように告げた。


「ウェルカムだ!ゲスト諸君!!」


キザったらしく指を鳴らせば、赤のカップに黒い液が並々に満ち、次いで黒のシュガーポットが踊るように姿を現しカップの隣に鎮座した。


「どうか手短にお願いしますよ」


観念した様子で席に着くシロに、大西も深く腰を据えて男を見た。

男は喜色に込めた声を高らかに上げた。



「まずは乾杯からはじめようじゃないか!」

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