第8話未






茜色の中を落ちている。

さっきまで地面の底で、今ではいかにも空を気取るその果ての見えない空間を、どこにあるかもわからない光が茜色に染め上げていた。


真っ赤な紙片が舞っている。

紙吹雪というには幾分大きな紙切れが、茜の空に、大量の赤をばら撒いている。

シロの両手から洪水のように溢れ出したそれらは、二人の周囲を好き勝手にひらひらと泳いでいた。


気付けば、落ちるのが随分ゆっくりになっていた。

パラシュートでもつけているみたいに緩い速度で降下しているから、大西は周囲をじっくりと観察することができた。

とはいえ、殺風景な茜色の空間で、あるのは視界に喧しい紙切ればかりだ。

傍を舞う一枚を掴みとって見てみると、真っ赤な紙の中央に、じわりと黒が滲んだ。見る間に浮かび上がったそれは、ゴシック体の、小さくて素っ気ない『END』の文字。


「・・・・・・えんど?」


周囲に舞う紙に目を凝らしてみると、次々に黒のゴシック体でENDの文字が浮かび上がってくる。


「なんだこれ」


赤い紙を大量にばら撒いた当の本人は、眠るように目蓋を閉じている。聞こえているだろうに、大西の問いなど知らん顔だ。


「おい、ネズミ、ドブネズミ、無視すんな、感じ悪いぞ、ハゲ」


「ハゲてないでしょうが」


眼を開いたシロは、黙殺するのは諦めたらしい。雑な野次を飛ばす大西を睨み下ろし、人差し指を突き付けた。その途端、方々へ散っていた紙片が一斉に翻り、大西目掛けて突進する。


「おいいいぃいい!!」


目を瞑り頭を庇う大西を、しかし赤の群れは寸前で逸れ、そのまま針路を水平にして空を駆け抜けていく。

赤の群れが通り過ぎた空間、宙には取り残された紙片が一筋の道のように群れの痕跡をつくり上げていた。


「大袈裟な」


「テメエ・・・」


一見薄っぺらくて心もとない紙片の道は、落ちてきた大西にかさり、と僅かな音だけを立てたきりで、全くビクともしない。


「んだこれ」


「過去ですよ」


遅れて着地したシロの言葉に、思いっきり握りしめていた紙片を見下ろす。


「紙じゃん」


「君は過去の姿を見たことがあるんですか?」


シロはいかにも不思議そうな顔して尋ねたが、かといって答えを望んではないようで、すぐに忘れた面して痕跡の先を指差した。


「鍵はこの先です」


茜色を真っ直ぐ突き抜ける赤の先に目を凝らす。

どうしたって終わりは見えない。



◆◇



一歩、一歩と近づくたびに、重なり連なっている紙片の一枚一枚に黒い『END』の文字が浮かび上がる。


一歩、一歩と過ぎるたびに、次第に文字が広がり赤は黒に変わって、火を灯した写真のように跡形もなく崩れ落ちていく。


「あるべき姿に戻っているだけですよ」


振り返って立ち竦む大西を、振り向きもせずにシロは言った。


「形には残らずとも、確かに存在する。そういうものでしょう」


歩みを止めないシロの背中を睨む。大西の足元には『END』の文字が散乱している。


「・・・帰ってくるんだろ」


「それは君次第です。僕は案内するだけですよ」


ぎちり、奥歯が軋む。音を捉えたのは大西だけだ。

一向に歩を進めない大西に、漸くシロは振り返った。

淡い瞳は相も変わらず冷めていて、意思の一つも伝えない。


「・・・君が望む限りは、案内を続けますよ」


左手を耳に当ててみる。

何も聞こえない。



長い道の終わり、赤の途切れる周囲に、真っ白な蕾が幾つも幾つも、点、点と宙に浮いている。


ずっとずっと先まで続いていて、どれもこれも人一人くらいなら収まりそうなくらい大きな蕾だが、二人の一番手前、道の終の正面に佇む蕾は一際大きく、大西とシロ二人のかさを合わせてもまだ及ばないくらいだ。


「・・・・なんだこりゃ」


二人が目の前に立ち止まると、蕾は一つ、カサリと身を震わせる。徐々に膨らみ、花が開いていく。


「アネモネ・・・ですかねえ」


シロウが呟く。別に名前が聞きたかったわけではなかったが。


「あー・・・」


思い出せなかった花の名だ。友が気に入っていた。

決して好きとは言わなかったが。時おり端末越しに眺めていた。


(なんでここに?)


ぶつ切れた思考を覆い隠すように、その場つなぎの言葉を吐いた。


「こんなんだっけ、なんか花弁多くね?菊みてえ」



友が羨ましがっていたオーロラに、気に入っていた花

真っ赤な紙切れに、ENDの文字



「言った手前ですが、花にはさほど詳しくないんですよ。萼が見当たらないからそうじゃないかと思っただけで」


「・・・へえ」


大西はものを考え過ぎるきらいがある。だからやる気がなくなるんだぞと、友によくからかわれる。

下らん思考を切断するべく、手のひらに爪を食い込ませた。


曖昧な返事をするうち、幾枚もの花弁が内側から次々に姿を表していく。

そうして、数多の白い花弁に覆われた奥から、大きな黒い蛇がのっそりと雁首がんくびもたげた。


「・・・・・・蛇って花から生まれんのか。初めて知ったわ」


「人類が確認する限りでは、蛇は卵生か胎生のはずですよ」


「腹から生まれんのも初めて知ったわ」


「どのみち出生時からこんなに大きな蛇はいないでしょう」


しみじみと現実逃避をするうちにも、ゆっくりととぐろを解いていく黒蛇は、大西程度なら難なく丸飲みに出来る程度の横幅がある。また、体育で走る50mよりは確実に長い。

金の眼を縦に裂く黒い瞳孔を開き、真っ直ぐに大西を捕捉した。

途端、旋律が響く。この状況には不釣り合いな、陽気で麗らかな、そしてどこかで聞きの覚えのある明るいメロディだ。大西が眉を顰めて耳をすませていると、それを遮るようにシロウが言い放つ。


「壊して下さい」


「・・・お前、わかったの?」


スランプから脱したのかと問う大西に、シロは煩わしげに眉を歪め忌々しげに「春だ」と呟いた。


「はあ?」


「この音が『未練の声』だ」


名詞も動詞も形容詞も存在しない音の羅列。

おそらく自鳴琴オルゴールと思しきその旋律を、シロウは過去の声だと言った。


「意味わかんねえじゃん」


「特に好きでもない曲が延々頭の中を繰り返し流れていることを想像してみて下さい」


「最悪だな」


「そういうことです」


だから壊せと、物理的に破壊すれば良いと言う。けれどもこの旋律を、大西はどこかで聞いたことがある気がするのだ。


「もしも好きな曲だったらどうすんだ」


「好きなはずがない。幸せな思い出なんか一つもない音だ。嫌っていたはずだ。・・・嫌っているはずです」


嫌悪感を押し殺したような声色。さっさとしろと大西を睨む少年に、観念して溜息を吐きだした。よくわからないが、大西はこの少年に従うしかないのだ。


「斬ったら良いんだろ?」


顔面がマスクで覆われていく。片手から真っ黒な鎖鋸(くさりのこ)を出現させる大西に、シロはほんの少しだけ曲がっていた背筋を反らし、つくろうように腕を組んだ。


「足場のない空間です。先ほどのように鍵を弾き飛ばさないで下さいよ」


「そんなとこで戦えっつーのもどうかと思うぞ」


悠長に会話する二人に、黒い蛇が飛びかかる。


◆◇



陽気で明るい旋律とは裏腹に、かなりに陰鬱で最悪な気分だ。


茜色の空間を、白い蕾を足場にして跳び移る。


宙にふわふわと浮かぶ蕾は、大西が着地すると、勢い良く花開いて空へと打ち上げた。


爬虫類のくせして空を自在に泳ぐ巨大な黒蛇は、大西が着地した花を片っ端から飲み込んでいく。


刃の回転は止めている。踏んじばる足場のない空間では、反動で後ろに下がってしまう。

刃の回転を止めた鎖鋸は、無駄にデカいのこぎりになった。



◆◇


「おおおおお?!!」


向かってくる歯牙を交わして、咄嗟に赤い紙片から付近に浮かんでいる白い蕾へと飛び移った大西は、瞬間上空へと跳ね上げられた。


「ではご武運を」


対して、シロは飛び移ることもなく、軽く手のひら降って落下していく。


「ちっとは気張れやお前!?」


「謹んで健闘をお祈り申し上げます」


「案内人としてそれで良いのか!?」


「後ほど合流しましょう。下でお待ちしていますよ」



◆◇



最後の蕾に足をかけ、ちらりと下を見下ろした。

只管に茜色の底なしが広がっている。

仮に落ちて大丈夫だったとしても、空中で無防備を晒してしまえば、目の前の蛇にパックリ食われて終わりだろう。


花が勢いよく開く。打ち上げられた大西の下、蛇がバクリと飲み込んだ。


鎖鋸を振り下ろす。するり、避けられる。

蛇は先程から嘲笑うように二叉の舌をちらちらと蠢かせている。

コノヤロウ、デカい癖してみみっちい戦い片しやがって

徐々に減らされていく足場に舌打ちが零れる。

先程から空振りばかりを繰り返しているので、苛立ちが一向に晴れない。


けれども、繰り返すうちに気が付いた。

蛇は、常に刃ではなく大西自身と一定の距離を保っている。


鎖鋸を蛇の頭部に向かって投擲とうてきする。

期待通り、全く避けずに鼻面を貫かれた蛇は、途端しゅうしゅうと沸騰したような鳴き声を発してのたうち回った。その様に堪らず笑いが零れる。

刃はすぐに立ち消えてしまったが、貫かれた傷口からは、ぼたぼたとドス黒い泥のようなものが溢れ出している。


どうやらこの蛇、あまり目が良くないらしい。

大西の位置はきっかり正確に捉えているのに、大西が握る鎖鋸の正確な刃渡りは把握出来ていないようだった。

鎖鋸の動力源は相変わらず謎だが、おそらく熱のあるものか、生きているものにしか反応できないのだろう。


気が違えたのか、愚直にも己に向かって真っ直ぐに飛び掛ってくる蛇に、マスクの下に隠した口端が捲れ上がるのを抑えられない。


「ばぁーか」


鎖鋸が再び手元に出現する。

大西を飲み込まんと開かれた口蓋に自ら飛び込み、刃を走らせる。

裂いた肉の隙間を掻き分け、内から飛び出すと、金泥の眼が傍にあった。


「何見てんだコラ」


縦に開いている瞳孔に向かって刃を深く突き立て、回転させた。







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