第5話花刑



 白いソファ。喪服姿の老婆が座っている。

 背筋を真っ直ぐ。口は真一文字。険しい眼で虚空を睨む。


 大西は、彼女が何かに憤っているわけでも、また何かに苦悶しているわけでもないことを知っている。彼女はいつもいかめしい面をしているのだ。


 ソファの前のローテーブルに、紙コップが置かれる。中は黒い液で並々満ちている。

 制服姿の友が、紙コップを片手に老婆の隣に腰を下ろした。


「何故ここに?」


「だってさ、向こうの親戚全然知らないんだよ。それに、こーいう時の愛想って面倒じゃん」


「さあ。私には塵芥に愛想を振りまく神経が理解できませんからねえ」


「ばあちゃん、人付き合いしないもんなぁー」


 ソファの背後から二人を見下ろしている。

 手を伸ばせば届く距離だ。


 友はソファにだらしなく凭れかかり、薄茶の液が入った紙コップに口をつけた。


「まーどーせみんな出来上がってるから。誰も気づかないよ」


「そうですか」


「ばあちゃんこそ、高そうな酒いっぱいあったよ」


「ココで塵芥共と飲むくらいなら帰って秘蔵の酒を開けますよ」


「言うと思った」


 友の肩が小さく震える。音を堪えて笑う姿を初めて見た。記憶の友はいつも喧しい。


 友の祖母は筋金入りの人嫌いだ。誰彼を前にしても口を真一文字に引き結び、蛇蝎だかつを見るような目で相対していた。

 友曰く、彼女が無害に笑うのはテレビか生けている花くらいなもので、人に向かって微笑むことなんてあれば、その人には間違いなく何かが取り憑いてる。



「ばあちゃん、泣かないねえ」


「・・・塵芥を燃やすのに、涙を流すものですか」


「ふっは、しんらつぅ」


 背もたれに頭を乗せ上を眺める友の瞳には、一寸先で見下ろす大西の向こう側、天井の蛍光灯が映り込んでいる。


「・・・貴方も泣いてないでしょう。、私は、貴方の泣き面を拝みに来たというのに」


「拝むとこが違うんだよなぁ・・・」


 緑茶でも飲むみたいに紙コップの中身をちびちび啜る老女の隣、友は盛大な欠伸をかく。

 どこか草臥くたびれた空気を漂わせながら、二人は惰性のように会話を続けた。


「ギャン泣きする予定だったんだけどねぇ・・・なんでかなぁ」


瑣末さまつなことですよ。泣くのが作法なわけでなし」


「うーむ。なるほどねぇ・・・」


 友の祖母はいつも冷たい声だ。

 機械音声よりも無機質で、只管拒絶の意思だけが明確に伝わってくる。大西は昔から彼女が苦手だったが、どうしてか友は、昔から彼女を慕っているようだった。


 友はうつらうつらと微睡んでいる。

 去年の夏、共に過ごした時よりも落ちくぼんで見える眼が、徐々に開かなくなっていく。


 寝言のような淡い声で、友が呟いた。


「なんでかなぁ・・・つらくないんだよなぁ・・・」


 老女は眉一つ動かさずに少年の手元から紙コップを引き抜いた。ローテーブルの上に移動させ、姿勢を戻すと再び虚空を睨みはじめた。


「なんかね、ずっと気分が良いんだ」


「そうですか」


「内緒だよ。みんな怒るから」


「そうですか」


 遠くの方で、人々の声が聞こえる。

 どこかで宴会をしているらしい。


「話は聞いていたでしょう。貴方は家へ来なさい。手続きが済み次第此方の学校に移ることになる」


 坦々と話す老婆に、聞いているのかいないのか。友はくわり、また大きな欠伸をした。


「それさ、春まで待てない?」


「・・・三ヶ月間は?」


「いつもどーり」


「無理でしょう」


 バサりと切り伏せる老女に、友は緩慢な笑みを浮かべた。


「心配性だなぁ」


「滅相もない」


「なんか違くない?」


 小さく肩が揺れる。身を起こすと、老女と視線を合わせ、屈託のない笑みを見せた。


「僕一人でも大丈夫なんでしょ?」


 不機嫌そうな眉。老女は蛇のような眼でじろりと友を睨む。


「別に貴方の心配などしていません。私には、」


『保護者としての責任が』


「わっはっはっ」


「・・・・・・・・・」


 老女は眉間の皺を一層深くして、友はからからと声を上げた。


「大丈夫だって。むしろ一人だし前より楽」


 にっこりと笑う友から、老女は目を逸らし紙コップの中を啜る。友は再び大きな欠伸と共にソファにもたれかかった。


 遠くで喧騒が聞こえる。

 どこか空回りしたような騒ぎ声。暗い影を僅かな光源で無理に見通しているようで、大西にはいっそう暗闇を助長しているように感じられた。


「春に、必ず」


 紙コップの中に零すように、老女は小さく呟いた。

 友の目蓋はとっくに閉じられていたが、口元には、小さな笑みが滲んだ。



 ◆◇



「いいっっってえええええ!!!!!!??」


「え、なに、うるさい、うるさい、なんですか」


「てぇっがっ・・・・・・あ?」



 まるで杭で穿うがつような激痛が左手に走り、けれどもそれは、一拍と経たずに消え失せた。

 手首を押さえ蹲った大西は、いまだ震える掌をしげしげ眺め、何一つ傷などないことを認めて困惑している。


「どうしたんですか?」


「・・・・・・ユ、」


「馬鹿ですか?」


 大西は大いに落ち込んだ。


 雲一つない夜空だ。

 緑白色の大きな光の帯が横切っている。きらきらと靡いて地上に光を撒く。

 地上は花で満たされていた。

 色のない透明な花々が、空の光を映し、きらきらと輝いていた。


 花の中に座り込んでいる。

 空を仰げば、光の帯が瞳を突いた。


「・・・オーロラだ」


 まるで形があるみたいにゆらゆらと揺れるそれに、目を細めた。


「・・・昔、冬休みに家族で見に行ったことがある。」


 つられてシロウも空を仰ぐ。大した感慨もない様子で、二人は腑抜けた面して光を臨んだ。


「写真見せたら、羨ましいって言うから。だから、冬休みに来るなら連れてってやるって言ったんだ。親も良いって言うからさ」


「君、坊ちゃんだったんですか・・・・・・」


 僅かに目を見開き、シロウは大西をじっと凝視した。視線を手で払う。


「ちげえよ。・・・アイツ、絶対に行くって言わないんだよな。すげえ羨ましそうにしてたのに。・・・・・・なんでかなあ」


 夜空のカーテンがゆらゆらと靡くたび、地上の花々もきらきらと光を散らした。


「そりゃ、大事な用でもあったんでしょう。それか、羨ましいのはオーロラではなかったのかもしれない」


「なんだよそれ、じゃあ何が羨ましかったんだよ」


 シロウは地上の花を見下ろしていた。


「知りませんよ、そんなこと」


 小指ほどの小さな鍵が、赤色に鈍く光を放っていた。



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