第6話膿知

 



 ぱきり、ぱきり、透明な花を踏み砕いて進む。

 花は存外に硬い。踏むとガラスを割ったような音を立てる。


 振り返る。花の残骸が点々と跡を引く。

 残骸は一本道だ。シロウは花にも嫌われているらしい。

 壊した花に胸を痛めるほど情深くはなかったけれども。

 なんだか自分が悪いようで、なんとなく、なんとなく面白くない気分になる。

 ぱきり、余計に壊してみる。


 オーロラが二人を照らしている。花々は揺れる光に照らされて、絶えず瞬いている。

 よくよく目を凝らすと、ほんの僅かに、シロウの身体が淡く光を放っている。気味が悪い。


(・・・・・・絶対人間じゃねえ)


 そもそもネズミから人になった時点でおかしい。地球外生命体だ。

 腑抜けた友の面が過ぎる。理不尽に急かされているような気になった。ばきり、



 シロウの後をついて行く。

 花々は次第に姿を消した。艶やかで鏡のような氷の地面が姿を現した。

 大小の歪な氷塊が、不規則に連なり合い、小さな谷のように二人を囲む。

 どれも濡れているように艶がある。奥行きが暗闇に隠れているから、オーロラの光を綺麗に反射して、あたりはぼんやりとした光に包まれている。


「楽しいですか?」


 地面に映る顰めっ面を睨んでいると、前方から至極どうでも良さげな声が飛んでくる。


「・・・こん中にもさー、なんかいんじゃねーかと思うんだよ」


 凝らして見ても、オーロラの光は淡くて、覗きこんだ己の像が邪魔をした。

 向こうから、呆れた声が急かした。


「諦める気がないなら止まらないで下さい」


 言い捨てさっさと先を行くシロウを睨む。

 シロウは、諦めて欲しいらしい。

 ことあるごとに唆してくる少年に、大西の腹は、静かに煮えていた。


(ぜっっったい連れて帰る)


 ◆◇



 氷の谷の終着点。氷塊に囲まれた袋小路。

 連なる氷の隙間に、ソレは怯えた様子で蹲っていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・牛?馬?」


 雪のように白いソレは、大きさからして生まれたばかり。骨と皮のような姿を示して尋ねる大西に、「多分牛でしょう。多分」シロウも些か、かなり頼りない。


「そんで?どうすんだよ?」


 後出しされてはたまらないので、手を出す前に聞いておく。

 だが、シロウが返事をしない。もう一度呼び掛けても、まるで聞こえていない様子で、ずっと子牛を見下ろしている。突然そんな様子になってしまったので、大西は顔を歪めた。


 「おい」


 肩に手を伸ばす。触れぬうちから勢い良く払われた。感じが悪い。


「・・・おう。コラ」


「少し、黙って下さい」


 シロウの声は、何故だか焦っていた。

 何にも言わずに、勝手に動転されたって困る。顔を歪めてシロウを睨んだ。

 シロウは、あまり気分が良くない顔だ。

 唇を噛み締め、青白い皮膚に汗を浮かばせていた。何にも言わずに身体を悪くされても困る。


「おまえ、どうしたんだよ」


 シロウはずっと子牛を見下ろしている。

 食い入るように見詰める瞳が、なんだか不気味だ。

 試しに目の前で手を振ってみる。瞬き一つしない。

 元から、生き物というよりは人形みたいな少年だったが。

 まさか、機械油が切れたのでは。

 シロウの額にごす、手刀を落とした。

 機械の直し方なんてコレしか知らない。


「なんか言えや」


 顔を上げたシロウは、反逆する様子もなく。

 どこか虚ろな目を鋭くして、言い聞かせるように呟いた。


「君に言っても仕方ない」


 なんでもない言葉だ。大多数人にとっては、ただつまらないだけの言葉だ。

 地面に横たわる肢体が少年であると理解するのに数分が必要だった。

 じんわりと熱を孕んだ拳に、どうやら自分が殴ったらしいと、ぼんやり理解した。


(コイツが悪い)


(俺を否定した。コイツが悪いんだ)


 気付けば、走ってもいないのに息が上がっていた。

 勝手に走り出した血液が、管を擦ってむず痒い。

 少年の髪をわし掴んだ。呼吸が苦しい。酸素が足りない。

 友と似ているのがいけない。辺りが薄暗いのがいけない。一瞬だけ、彼に言われたのではないかと勘違いしてしまった。


(ユキじゃない、コイツはユキじゃない、ユキは、)


 肯定される奴にはわからないんだ。拒絶されない奴にはわからない。たった一人に否定される恐怖がわからない。

 友に会いたい。会って話がしたかった。肯定して欲しかった。許して欲しかった。


(俺は悪くない)


 淡い瞳の奥で、酷い色した己の顔が、笑って拳を振り上げていた。



「餓鬼が」


 額に衝撃が走る。地面に尻もちをついた。ズキズキと痛みを放つ額をおさえ、頭突かれたのだと察した。冷めた叱責が耳朶に滲みる。


 「猿じゃないんです。言葉で解決することを学んでは如何ですか?」


 さっきまで取り乱していたのは向こうのクセに。仰向けに倒れ込む。ごつん、後頭部をぶつけて、おかげでちょっと頭が晴れた。


「言葉にしなければ、何一つ伝わらないんですよ」


 乾いた声音。自身のことを棚に上げて坦々と諭す少年に、大西はすっかりおいてけぼりを食っている。

 緑白色の淡く眩しい光が眼を焼いた。


「・・・・・・・ごめん」


「おや、思っていたよりは素直ですね」


 シロウは小さく笑い、軽く息を吐き出した。


「・・・まあ、おかげで、と言う気は微塵もないんですが、少し頭が冷えました。君の言い分は一理ある、かもしれない。たとえその頭に詰まっているのが籾殻もみがらだけだとしても、僕一人で思案するよりかはずっと・・・多分、ほんの少しは、・・・いえ、匙程度にはマシ、のはず・・・です」


「・・・・・・・自信持てよ」


 氷塊の隙間に屈んで震える子牛を一瞥して、シロウは大西の隣に腰を降ろした。


「そんなに友人が大事ですか?」


(お前が話すんじゃないのかよ)


 シロウは全く感慨なさげに夜空を眺めていた。

 大西も空を眺めるが、確かに何の感情も抱けない。

 案外この二人は似ているのかも知れなかった。


「別に」


 オーロラの向こうには星が瞬いていた。

 二人は淡い光に照らされていた。

 そっけなく呟いた声は、案外低く響いた。友人なら、きっと笑っていた。


「友達だから、迎えに行くだけだ」


 シロウは怪訝そうに片眉を上げて、空に向かって呟いた。


「もしも彼が帰らないと言ったらどうするんです?」


「ありえない」


 「もしも、ですよ」「ありえない」


 ぷつりと断ち切るような声にシロウはそっと口を閉ざした。

 もしも帰りたくないと言ったら、どうすれば良いのか。大西は全く考えていなかった。

 だって安堵した。これでずっと一緒だ。きっと友にとってもこれが最良だと、喜びさえした。


(もしも、帰りたくないって、行ったら?)


 続きがどうしても浮かばない。


 大西は嫌われ者だ。

 何をしたってどう足掻いたっていつしか大西が悪くなる。口を慎み、加減を知り、愛想を学び、


『人の気持ちを考えなさい』


 みんなの言う“人”の中に、いつも大西だけが含まれない。


「俺は、戻らない」


 仲間外れにしない彼がいなくては、自分は永遠に蚊帳の外だ。

 友人を知る以前であったら、大西は誰よりも強くある自信があった。ひとりのほうが楽だとすら考えていた。自分が弱くなったのは彼のせいだ。


 友によく似たシロウが、よくわからんと頭を振った。


「よくわかりませんが、君はもう少し大人になったほうが良い」


「うるせー」



 よくわからん答えに、それでもシロウは満足したらしい。漸く立ち上がっといたシロウは、蹲る子牛を見下ろしながら大西に呼び掛けた。


「鍵、持っているでしょう」


 大西が右手を宙に翳せば、するすると黒い歯車と赤い鍵が手の平から浮かび上がる。子牛から目を離さないまま、シロウは務めて冷静に言葉を紡いだ。


「それは、君の友人の過去です」


「お前、頭大丈夫か?」


 後頭部に衝撃が走る。反動でよろける身体をなんとかふんじばり、地に落ちることを防いだ。


「・・・・お前も結構手が先に出るよな」


「君は、覗いたんでしょう?」


 見透かすような目。何故か責められているような気にすらなる。


 庭にいる友を見た。

 葬式に出席している友と、友の祖母を見た。


 少年は、友人を取り戻すには、過去を解放しなくてはならないのだと言った。


「過去を解放するためには、鍵が必要なんです」


 小さな鍵と歯車は、どこからどう見たってただの部品、あるいはゴミ。

 けれどすべてを夢というのなら、己が今いる現在は、己の脳がつくりだした妄想ということになる。


(ねえな)


 自分はこんな乱暴な友人もどきなんか妄想しない。


「取り戻せなかったら?」


「君の友人は帰ってこない」


 空の光を仰いだ。俗にいう美しい光景だが、状況はわりかし最悪だ。


 ただじっと見下ろされてばかりの子牛は、いい加減警戒心が薄れてきたようで、そろそろと二人の前に歩み寄ってきた。


「コイツは、なんなんだよ」


「望み。というか、未練ですかね」


「・・・これが?」


「過去の時間に眠る感情に、老人が姿を与えたんです。その時間の中で強く抱いた感情や望みが、その身に鍵を取り込んでいる」


 子牛が舌を伸ばして右手を舐めようとするので、大西は慌てて鍵を手の中に沈めた。


「・・・・・・・牛なのに?」


「・・・姿を与えているのは老人ですから」


 シロ曰く、そもそもの元凶は廃墟にいた老人。


「なんだよその老人。化物かよ」


「さあ、似たような類いか、或いは別の類いか、どちらにせよ良いものではないのでしょうね」


「なんでそんなんに絡まれてんだよアイツは」


「絡まれたといいますか、カモられたといいますか」


「はぁー、ダッセー」


 シロウは無言で大西を見返したが、呑気に子牛と戯れていた大西は気づかなかった。


「鍵を手に入れるには、彼らを破壊しなければいけない」


 獣たちには、それぞれに適した破壊方法があるらしく、シロウはそれを対象の姿や声から読み取ることができた。

 子牛を見下ろすシロウに、大西が尋ねる。


「見えねえの?全然?」


「全く、欠片も」


「使えねえなーお前ー」


 しみじみ呟く大西に、シロウは上がる拳を辛うじておさえた。キリがないと考えたのだ。

 眉間の皺を手のひらの付け根で擦り伸ばしつつ、どすどすと頭突く子牛を片手で相手する大西に告げる。


「君なら、わかるんじゃないですか」


「んだよそれ」


「あの子に捨てられていない君なら、聞こえるのかもしれない」


 胡乱な顔する大西に、シロウは全く真面目腐った顔して促した。

 具体的な方法も聞かされないまま、子牛の前にしゃがみこみ瞳を覗き込む。

 子牛は黒目がちな大きな眼を不思議そうにぱちぱちと瞬きすると、大西を覗き返してきた。


「・・・コイツ切れって言われたら、流石にちょっと躊躇うな」


「猿は迷わず切った癖に?」


「迷ったじゃん、聞いたじゃん、てか半分お前のせいじゃん、いや九割お前のせいだあれは」


「────」


 二人で応酬していると、不意に小さな囁き声が鼓膜を揺らした。


「あ?」


「なんですか」


 振り返るシロウに、大西も怪訝な顔して睨み返す。


「何か言ったじゃん」


「何も言ってませんが」


「────」


「ほらまた」


「・・・・・・・・・」


 ふつりと黙り込んだシロウは、口元に人差し指を当てた。


 黙って耳をすませてろ


「・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・」




「────」



 不意に、大西は両手を耳に押し付けた。

 耳を塞いで拒んでいるようにも見えたが、シロウは沈黙のまま大西の様子を眺めていた。


「────」




「意味わかんねえ」


 突然、頭を垂れて地面にごつん、とぶつける大西に、なにごとかをぶつぶつ呟く様子に、尚もシロウはだんまりを貫いた。


「なんなんだよ、誰に、俺だって」


 しまいに胸を掻きむしり出した大西に、流石に痺れを切らして催促するも、大西は上の空のようだった。うかされたように拒否を示すと、突然子牛の前足を掴んで後ろに引っ張り出した。

 シロにお世辞笑いは備わっていない。


「なにしてるんですか?」


「・・・・・・・・・」


 尋ねるシロウも全力で抵抗する子牛も無視をして、大西は全力で氷塊の隙間から子牛を引きずり出した。ぼたり、子牛の両目から透明な液が滴り落ちる。


「・・・・・・え」


 そんなにその隙間を気に入っていたのかと、シロウは呆然と子牛を見下ろしている。

 ぼろぼろと涙を零す子牛は、次第に砂のように形を崩し、残った粒はサラサラと空気に溶けてしまった。


 「えええ・・・?」

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