第4話延
「俺はできる俺はできる俺はできる俺はできる・・・・・ッシャオラァ!!」
雪上で一人
真っ白な森。その一歩手前で立ち止まる。
曇天の下だというのに、どこから来たかもわからない光を返してきらきらと輝く森は、幹も枝も葉も草も、すべてが雪でできている。
ぼけた光を放つ木々を大した感慨もなく見上げていると、疾走してきた大西が漸く追いついて白い息を繰り返す。労りの声など当然かけず、シロウは森の手前にいる雪に覆われた地面の一点を指差した。
これで良い。これで良いのだと胸中で悪態のように繰り返している。
◆◇
つまみ上げたソレは、親指ほどの小さな歯車だ。真っ黒で厚みのあるソイツを空にかざしてしげしげ呟いた。
「ゴミだな」
「鍵です」
「滅茶苦茶汚れてんじゃん。てか端っこ欠けてね?」
「鍵です」
応酬していると、とぷん、歯車はまるで水に沈むようにして大西の皮膚の下に消えた。
「・・・・・・おい」
「行きますよ」
「おい、知ってたよなお前。言えよ」
淡く輝く森の中を進んでいく。
奥に進むにつれ、降り注ぐ雪は徐々に勢いを増した。
粉雪は牡丹に変わり、やがて雹となって大西の身を叩く。
不思議と寒くはない。が、視界が悪い。風も強い。そもそも雹がめっちゃ痛い。顔を腕で庇い、ふんじばりながらシロウを追い掛ける。
シロウは、雪にも風にも嫌われていた。全身を吹雪かれ真っ白の大西に対し、まるで春秋の道程のように悠々と闊歩していく。
「ずっるいなあお前・・・・・」
「君もご友人に嫌われては如何です」
「ばっかおま、アイツに嫌われるとか相当だぞ」
「・・・・・・」
深く激しく降り積もる雪に凍えたり雪中に足をとられることはなかったが、呼吸や視界を阻むのは、大西にはどうにもならなかった。というかめっちゃ痛い。
シロウがふと振り返ると、顔面をホッケーマスクを黒く塗り潰したような面で覆った大西がいたので、シロウは二度ほど見てから大きく距離をとった。
「・・・なんですそれは」
「カッコ良くね?」
「・・・・・・・まあ、どうでも良いですけど」
「聞いておきながら」
「望めば叶う便利な世界ですが、その分寿命が削られるので注意して下さい」
麗らかな晴れ模様ですが、午後からは通り雨に注意が必要です
程度の極つまらない話をするようにシロウは申告した。
「は?」
理解するのに数秒を要して、それからようやく顔に表した大西に、彼よりは察しの良いシロウが首を斜め四十五度に傾けた。
「寿命ですよ?」
「・・・寿命なの?」
『・・・・・・・・・・・・・・・』
「取り敢えず、謝れ」
「変わってますねぇ、君」
「謝れ。許さねえけど。謝れ」
シロウは察しが良いので、どうやら少年にとっての命はそれなりに高い価値があるらしいというのは知れたが、察しの代わりに良心を唾棄してきたので、口から零れるのは失笑ばかり。
風がごうごうと唸る。葉っぱよりもうんと軽い雪が、ひゅうひゅうと音を孕んで吹いている。
「あそこへ」
吹雪に埋もれる己の声よりも、少年の声はよほど正確に鼓膜を震わせた。
示された先は木々が開けていて、その向こうから薄らと煙が立ち上っている。
火事か、毒ガスか、警戒してマスクの下の目を細める。そうすると、煙の奥にゆらりと動く影が見えた。
「なにかいるのか?」
「ご自身の目で確認して下さい」
「・・・またゴミ回収?」
「鍵ですよ」
「あ、そう」
ぞんざいな応えを返しながら、慎重に歩みを進めた。
ゆっくりと煙のすぐそばにまでにじり寄ると、大西はようやくその姿を認め、ぱっかりと口を開いた。
猿が泉に浸かっている。湯気の立ち昇る泉に浸かり、気持ち良さげに目を閉じている。
こんな猛吹雪の中、呑気に温泉に浸かって微睡んでいる猿が一匹。
一向に動かない。背後を取られているのに。
(野生を忘れている)
信じ難い光景だ。大西にとっては。
「アホ猿一匹しかいねえ!!」
「ソレです」
背後に控えるシロウを振り向きどデカい声で呼び掛けると、彼は坦々とした調子で答える。
「温泉浸かってるぞ?!」
「諦めて頂いても結構ですが」
「バーーカ!!」
一声罵倒して現わした鎖鋸を構える。そりゃああどけない獣を徒に狩るのはそれなりに抵抗があるが、友人のためなら仕方ない。
駆動音は風に掻き消された。聞こえたところで反応したかは怪しいが。自身に背を向け微睡む猿に刃を降ろした。
瞬間、あれほど荒々しく吹いていた風がピタリと凪いだ。止まない雪は角度を真っ直ぐにして身体に降り注ぐ。
右から声がする。
「此奴、挨拶もなく背後を突きよったぞ」
右から声がする。
「礼儀知らずの小便小僧め」
左から声がする。
『猿にも劣る無作法者じゃ』
左右から声が響く。顔を上げると、左右の木に二匹の猿がぶら下がって大西を見下していた。
「は?」
柔らかい肉を裂き硬い骨を粉砕する振動を掌に、音にも確かに感じていたのに、湯気の立ち昇る泉には波紋が残るばかりで、血の一滴も見当たらない。
目前の温泉と二匹の猿とを交互に見比べていると、遠くに立つシロウが言葉を投げた。
「全てに物理が通用すると思いましたか。非常に安直でおめでたい思考回路ですね」
「お前は!!どっちの味方だよ!!?」
腹から叫ぶ。右の猿が笑う。左の猿が笑う。
小太鼓を打つような、軽快で良く響く笑い声の合唱が大西の耳朶を嬲った。
「うるっせえ!!!」
泉の上を駆け、二匹の猿が居座る木を横に薙ぐ。薙いだ木はぼろぼろと形を崩して雪粒に戻った。一匹は隣の木に飛び移り、一匹は、あろうことか果敢に大西の顔面へ飛び掛ってきた。
「うおっ」
「あ」
反射的に振り上げた鎖鋸は猿の胴を真っ二つに裂いた。感触がある。間違いなく骨まですっぱり斬れた気味の良い感触がした。
「・・・・・・ぅっわ」
裂けた断面から肉が生える。足りない手足を継ぎ足して、二匹の猿が大西の前後に飛び降りると、ついで勢い良く付近の木に飛び上がる。
猿が三匹になった。挟まれている。そして見下ろされている。
「た〜ん〜りょ〜」
「粗忽ぅ!」
「滑っ稽!!」
先よりもずっと盛大でずっと腹立たしい呵呵大笑が降り注ぐ。
「斬れば斬るほど無蔵に増えていきますよ。ミトコンドリアみたいに」
シロウは変わらずの能面顔だが、心なしか声に落胆が見える。
「遅せぇよ。言うタイミングいくらでもあったろが」
「聞かれませんでしたから」
「マジで案内向いてねーわ」
鎖鋸は最早猿量産機でしかない。脱力すると鎖鋸と共にマスクも消えてしまった。鬱陶しい雪が直に突き刺さる。
三匹の猿に見下されている。何がそんなに愉快なのか、調子の良い笑い声は一向に収まらない。
「どうすんだよこれ・・・・・・きったない三部合唱しやがって」
「無礼な」
「これだから無作法は」
「他を不快にすることしか知らんのだ」
『蠅にも増して不愉快目障り耳障りよ』
「うっせハモんな」
「ソレは物理では割れません」
声は割かし良くきこえたが、その姿を探すのは容易ではなかった。
「・・・・・遠くね?」
「うる・・・声が通る方はあんまり」
かなり遠くに離れたシロウは、大して声を張ってはいないのに、まるで隣で立っているかのように明確に届き、そしてどうやら大西の声もシロウには容易く聞こえているようだった。
(・・・・・・寿・命・が!!)
降り注ぐ雪が視界を邪魔する。三猿の大笑いが思考を阻む。眉間に不快を刻んで猿を睨みあげた。
「どうすんだよこれ?」
「質問に答えてやって下さい」
尋ねれば即答してくれるあたり。
一層腹立たしい。
「・・・しつもん?」
「の〜ぞ〜みぃ〜を〜い〜え〜い」
「巻きで頼むわ」
猿の間延びし過ぎた声に舌打ちしながらシロウを振り返ると、こくりと一つ頷きを返される。
(頷かれても・・・)
返事にすら手抜きを始めたシロウに並々ならぬ不満を抱きながら頭を捻るが、それは1+1よりも簡単な問題だった。『望みを言え』
「ユキを見つけたい」
答えた途端、端っこの猿がカチリと身体を硬くした。その身からどろどろと色が消えていく。見る間にすっかり雪のような白になった猿は、まるで不安定な場所に置いた置物のようにぐらりと傾き、ぐしゃり、
音を立てて真下に落ちた。そこらに視線を巡らせるが、猿の姿はない。破片も見つからない。代わりに草が長く厚く伸びていた。そうして気付いた。周囲の草や木が、さっきよりも随分伸びている。次第に穏やかになっていく雪に空を見上げれば、伸びた枝葉が降り注ぐ雪を阻んでいた。
「望みを言ええぃ」
消えた分身には頓着せず、猿は一言一句同じ問いを繰り返した。
「だから、人探してんだって」
いつの間にか、妙に伸び過ぎた草が足に絡み付いている。蹴散らそうと足に力を込めるが、動かない。すっかり固定されてしまったようで、ビクともしない。
ふと、背後を振り返ると、少年は変わらず能面のような顔で大西を監察していた。
「お前の、望みを、言ええぃ」
猿は質問を繰り返した。お気に召さなかったらしい。
風もないのに、木の葉や草が擦れ合う音がする。
「俺の望み?」
友達を見つけるのが望みだ。それは間違いない。
けれども、違う答えじゃないといけないらしい。
(何様だ、この猿)
態度の喧しい猿に苛立ちがつのる。主張の激しい草が腕に絡み付く。伸びた枝葉が光を遮っていく。急いだほうが良さそうだ。
「な、長生き」
ぐしゃり、音がする。見上げると、猿は目の前の一匹だけになっていた。
「貴様の望みを言え」
最後の猿が言った。
同じ質問。一言一句。多分同じ答えじゃ駄目なんだろう。
「金持ち」
答えると途端に喧しい笑い声。一匹だけでも十分に不快だ。
「本当の望みを言え」
億万長者は大西の望みではないらしい。不快な汗が流れる手のひらを強く握り締めた。
(なんで知ってるんだ)
「・・・不老不死」
猿は腹を抱えて大笑いしている。どんどん顔が歪んでいく。逆立った神経がべりべりと削れていくようだ。
(なんで)
自身の心の内を赤の他人に知られることほど不快でおぞましいことはない。友人にすら話していないようなことまで知られているのだとしたら、大西は絶対に原因を突き止め早急に処分しなくてはいけない。
誰しも知られなくないことってあるもんだ。それは案外瑣末な隠し事だったりするのだが、大西の隠し事は、こと友人に対してだけは決して知られたくないものだった。
木の葉の隙間から零れるか細い光に目を細めた。草が大西の自由を奪っていた。次第に空は覆われ光は届かなくなった。真っ暗闇だ。
「一緒が良い」
友人は夏休みのほんの数週間の間だけ訪れた。最後の日に笑って手を振る友人に大西はいまだ笑い返せた試しがない。
きっといつかは笑えるだろう。いつかは会わなくなるだろう。そうして静かに忘れ去られていくんだろう。
だからそれを知った時、笑みが綻んだ。嬉しかった。
決して口には出さないが、間違いなく友にとっても幸せな結果になったのだと安堵していた。
ぐしゃり、音がした。
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