第2話濁流

 

 自身を『シロウ』と名乗った少年は、外見こそ友達に似ていたが、中身は随分と違う。


 にこりとも笑わない、とっても退屈そうな無表情。

 口は真一文字の口。大西が尋ねても必要最低限のことすら言おうとしない。


 試しに雪玉をぶつけてみる。無表情のまま鳩尾に蹴りを入れられた。

 冗談が通じない奴と見た。



 ◆◇



 雪は、かなり深く積もっていた。

 頭上では白い雲が遥か高くを覆っている。時おり雪を零す。


 まるで外にいるみたいだ。

 落ちたはずの大西は、何故か深い雪の中を歩いていた。


「シロってさー」


「・・・シロウです」


「シロってあのオッサンの知り合い?ペット?」


「・・・・・・シロウです」


 一歩進むごとに膝まで埋まる足をうんざりしながら引っこ抜く。えっちらおっちら足を漕ぐ大西に対し、少年は足跡すら残さず歩く。

 まるでアスファルトの上を歩いてるみたいに悠々と歩く少年を、大西は急いで追いかけた。


 氷の花が咲いていた。

 星形の花や、ブドウを逆さにしたような花、ブーケのように密集している花、色んな花の形を象った氷が、点々と、あちらこちらに咲いている。


 到底現実ではない有り様だ。大西は何度もかぶりを振った。


「シロはユキの場所知ってんの?」


 葉が一枚もない花と、小さいのが穂のように集まって咲く花の間を抜けると、大きな河が広がっている。


「おお」


 大西は目をまん丸にして声を上げた。河はかちこちに凍てついている。こんだけ広けりゃ、スケートで競走だって出来そうだ。

 河の前で足を止めたシロは、追い越し氷面に足を乗せる大西を面倒くさげに一瞥した。


「落ちても助けませんよ」


「大丈夫、大丈夫」


 思い切って両足を乗っけてみる。氷面はパキリとも鳴らない。随分深くまで凍りついているようだ。

 表面を片足で擦ると、霜がとれて大西の姿が映りこんだ。


「進み方は知っている」


 聞かせる気のない独り言を拾う。


「知ってんのかよ」


 (ネズミのくせに)


「・・・君が望む限りは進まなきゃいけない」


 嫌そうな声だ。後ろを振り返る。

 ついさっきまではなかった白くて深い霧が、周囲を覆いはじめていた。


 ぱきり、ぱきぱき、亀裂音。


「うお」


 急ぎ足で岸に戻る。直後、ばきんと氷が破れる。それを皮切りに、ゆっくりと河が動き出した。


「落ちませんでしたか・・・」


「残念そうだな」


 驚いた。嫌われることには慣れっこだが、初対面でこんなに煙たがれるものか。

 風が次第に大きく、荒々しく大西の身を煽っていく。

 霧は晴れない。さらに増して周囲を隠してしまった。

 氷の揺蕩う川面が、大きく波を打つ。


「鍵が必要です」


「鍵?」


 轟音が響く。鼓膜がびりびりと痛みを訴えた。

 川面が盛り上がる。大小の氷を巻き込み空高く迸った。


 爆発したような音を立てて舞い上がった水が、礫となって降り注ぐ。咄嗟に腕で頭を庇う。大西の隣、シロは置き物みたいに突っ立っている。

 氷が方々に降り注ぎ砕け、破れ、散った。


 間もなく、低く太い爆音が全身を叩く。

 氷の花は皆砕け散る。

 立っていられないほどに地面が揺れる。


 それは水面から立ち昇り、空でとぐろを巻いた。

 黒い雫が滴り落ちる。雨のようにぼたぼた地上を汚した。

 空を隠す巨大なソレは、ぱっくり裂けた切れ目から棘のような黄ばんだ牙を覗かせて、再び、咆哮を上げた。


 気付けば、尻餅を着いていた。黒い雫は皮膚を溶かした。現実ではない有様だ。

 激痛さえ疎かだ。無意味に歯を打ち鳴らす。

 全身の皮が泡立っている。心臓が喧しい。


 黒いとぐろに、澱んだ金色の目ん玉が二つ、瞳の真ん中は真っ黒。まるでぽっかりと穴が空いてるようだ。忙しなくぐるぐると回っている。探している。


「あそこに」


 平読みの声。状況に全くそぐわない。咆哮に叩かれながら、シロは傷一つなく、怯えもせずつまらん顔してそこに立ち、天に向かって指を差した。

 思うよりも、人探しは遥かに厄介らしい。


「ダチより先にモンスター発見するとは思わなかったなあ・・・」


「一生の記念になりますね。場合によっては最期ですが」


 呼吸を繰り返す。一声大きく吐き出して、力の抜けた腰を持ち上げた。ふらふらと覚束無い膝を叩いて頭上を睨む。


 現実ではない光景だ。

 本能は現実だと喚き散らしている。奥歯がぎしりと軋む。


 大西にとって、探し人ってかなり貴重な存在だ。何せたった一人の友達だ。

 他につくる努力をしなかったわけではないが、みんな大抵嫌いになって去っていく。

 当たり前といえば当たり前な話だ。誰が自分の名前すらまともに覚えてくれない人間を友人と認めるだろう。


 舌打ちを強かに鳴らし、一先ず少年を盾にする。


「・・・・・・・・・・・・」


 バケモノを睨み上げた。

 ソイツはまるで泥に塗れた龍のようだ。


「鍵の入手方法は?」

 

 シロウはきょとんと眼を見開き、ついで疑うように何度も瞬きした。


「諦めないんですか?」


「諦めると思ってたの?」


 目を眇め、説教垂れる教師のように腕を組む。大西を注視する眼は語る。


 “やせ我慢”


(うるせえ)


「僕は方法を教えるだけですからね。協力はしない」


「別に、ネズミになんか頼らねえよ」


「・・・シロウです」


 震えなんか忘れて頷いちまった大西に、少年は同意するように、渋々同意するように目蓋を伏せた。


「壊して下さい」


 示す先にはどでかい龍。数回りとかいうレベルでない。


(やる気あんのかこのネズミ)


 うっかり殺意すら抱く大西に気付く風もなく、シロは飄々と述べる。


「アレは本物じゃない。翁がつくり出した幻影です」


 “翁”とは誰か。そんなことよりも


「・・・・・・ゲンエイ」


 轟く咆哮。いい加減鼓膜が粉になりそうだ。

 黒い液が滴っている。雪が次々蒸発していく。

 自身を見下ろせば、点々と爛れた皮膚に、忘れた痛覚が蘇った。


「・・・溶けてるけど」


「そういうものですから」


(どういうものだよ)


 シロウをじとりと睨む。何故だか少年だけがちっとも被害を受けていない。

 空気は益々冷えていく。泥水のような重みを得て大西の背を曲げようとのしかかってくる。


「君が望めば、今この瞬間もといた場所に帰ることができますよ」


 まるで期待するような声色だ。人探しがよっぽどお気に召さないらしい。


「ユキは?」


「諦めなさい」


「ばかやろう」


 真っ黒なとぐろの中、泥のように粘ついた金の双眸が大西を射抜いた。


「目が合ったぞ」


「降りて来ますよ」


「どこに?」


「ここに」


 金眼の下でぱくりと開いた口が太く黄ばんだ牙を剥いた。棘のように鋭利な牙の奥で、舌らしきものが蠢いているのが見えた。


「諦めませんか?」


「断る」


 一拍分の間ができた。相当お気に召さないらしい。それでもやがて決心したのか、シロウは淡々とした調子で話し始めた。


「君の望むように、ここは現実であって現実じゃない。望めばなんでも叶う世界です。素晴らしいでしょう?」


「うさんくせーよ」


 片眉を上げて胡散臭い説明を続ける。否定はしないらしい。


「君も望めば良いんです。あの龍が壊れる姿を」


 頭上を仰ぐ。馬鹿でかい龍がだらだらと黒い液を零しながらゆっくりととぐろを解いていく。


「無理」


「・・・・・・想像出来ないなら、壊すための道具でも」


 咆哮が轟く。鼓膜が悲鳴を上げ、全身にビリビリと痛みが走る。


「ねえよ」


「では諦めましょう」


「簡単に言いやがって」


 さっくりと告げるシロウが、心なしか安堵しているようで腹が立つ。大西には少年が何故こんなにも嫌がっているのかわからない。何故少年が案内役なのかもわからなかったが。


 黒い液を滴らせる龍が大西を金の目で射抜きながら首を伸ばしてくる。呑気に話している場合ではなさそうだ。今更だが。


「簡単ですよ。現実を否定するだけだ」


 腐った龍が舌を伸ばした。気付けば大西はシロウを突き飛ばしていた。蕩けたと舌が全身を這うと、じゅうじゅうとやかましい音と共にガンガンと響く激痛が肉を溶かされていることを御丁寧に伝えてくれた。


 否定なんかできない。本能が伝達する。

 生きる手段を考える。この期に及んで。


 “本当のワルになったら”


 (この期に及んで、幻聴か)


 友の声が聞こえた。懐かしい過去の台詞を再生しながら、かかる牙をわし掴む。溢れる液は一片に肉を溶かしやがったが、諦めるわけにはいかなかった。


 “なんかすっげえ武器が欲しいな。メチャクチャカッコ良いヤツ!”


(本当に、いなくなったら、俺は)


(いやだ)


 バキンッ、破れる音。

 無機物めいた轟音が、穏やかに鼓膜をノックする。





 ◆◇






 いつも夏の初めにやって来て、夏の終わりに帰っていく。


 毎年日焼けするのに、翌年になるとすっかり色落ちしている。年中小麦の大西は、コイツ密かに脱皮してんじゃないか、なんて考えたり。


 万事を些事と笑い万事を大事と囃す。隣にいると喧しくて目まぐるしくて大変疲れる。


 自分の事も他人の事も笑い話にしてしまうから、決して万人には好かれない。

 だが、誰よりも察しが良くって、誰よりも器用な奴だ。


 下らない話を幾つもいくつも持っている。人から上手いこと秘密を聞きだすクセに、自分の内緒はひとつも話さない。セコい奴だ。


 怒ったり悲しんだりしている大西が、あっちに行けよと怒鳴り散らし口悪く罵っても、飄々とした顔で居座る、変な奴だ。


 口が達者なお調子者だ。口よりも手や足が先に出る大西とは、毎年いっぺんは血を流すハメになる。なのに未だに友を名乗る。馬鹿な奴だ。



 ◆◇


 小さな家の小さな庭。沢山の種類の花が咲く。

 大西にわかるのはチューリップくらいなものだったが、どれも綺麗に咲いている。


 ぱきり、小さいタンクを抱えた少年が、それらに青い液を撒いていた。


 花壇、鉢植、プランター、花が折れぬよう、葉や茎に滴るように。


 タンクを重そうに抱えながら、けれども鼻唄交じりに呑気な様子で撒いている。


 大西は、それをぼんやり眺めている。


 焼け爛れた皮膚も剥き出しになった骨も夢のように元通り。


 五体満足の大西は、庭に面した地窓に腰をおろし、探し回っていた友が呑気な顔で花の世話を焼く様子を、ただ眺めていた。


 気がついたらここにいるわけだが、友はこちらをちらとも見ないので、大西は声をかける隙を見失って、結局こちらも呑気に腰掛けている。


 夢だったのかもしれない。

 突然、友がいなくなる夢を見た。

 恥ずかしながら、恐ろしい夢だった。


 見上げた空は雲一つない快晴だ。それは夏の空ほど目に痛くはなく、春真っ只中というほど陽気でもない。どこか寂しい空だった。


 タンク一つを丸々空にした友は、容器を雑にそこらへ放り投げ大西のほうへ振り返った。

 だが視線が合わない。瞬きひとつの反応もない。

 まるでそこには誰もいないみたいな顔をして、友はどさりと大西の隣に腰掛けた。


 己をすっかり無視して空に目を細める友に、さて、どうしてやろうか、頬杖着いて庭を吟味する。


「・・・おまえさ、アレ気に入ってなかったか?名前忘れたけど、あの端のヤツ」


 指差してやったのに、友は知らん顔して空を見上げている。いよいよ感じが悪い。


「・・・どうでもいいけどさ。なんで除草剤なんか撒いてたの?」


 友はずっと空を見上げている。

 いい加減が腹が立ってきて、眉を顰めて横っ面を睨みつけた。


「なんか言えよ」


 友人の肩に手をのばす。触れた手は友人を裂いていた。


「は?」


 赤い飛沫が空を舞い温かい液が頬を濡らした。



 ◆◇



 轟音に頭蓋が揺れる。

 友がいない。小さな庭も家もない。

 空は白々しい雲に覆われている。陽の光は彼方に隠れている。

 雪が溶かされた地上は、汚らしい黒に塗れていた。


(・・・夢だった?)


 気付けば、真っ黒で大きな鎖鋸《くさりのこ》をその手に握り締めていた。まるでつい今しがた使っていたかのように喧しく駆動音を掻き鳴らしている。


「・・・・・・ゆめだ」


 呟くと、応えるように駆動音が止んだ。突然の静寂に、耳鳴りが唸り始める。

 最低な夢を見ていた。見たこともない悪夢だった。初めて目の前に友がいないことに安堵していた。



「壊せとは、言いましたがね」


 友に似た声がする。似ているけれど似ていない平坦でつまらなそうな声。

 顔を上げるて首をめぐらせると、白髪の少年が黒い液や塊に塗れた地を見回していた。能面みたいな形相だが、心なしか汚らわしいものを見るような蔑んだ目だ。

 大西は、知らないうちに膝を着いていた。全身に気味の悪い汗をかいていた。


「すこし、いえ随分と派手にやりましたね」


 言外に大西があの龍を殺したのだというシロウを、大西は憔悴した面でゆっくりと見返した。


「一つだけ、わかった」


 僅かに目蓋を下げた眼は陰り、震える声色には諦観が見て取れる。


「はい」


「これは、きたない」


「成程」


 見るかぎり、千々に散った肉片はドライアイスのように煙とともに消えていっている。

 だが、散々浴びるに浴びた大西の身体には、未だ頭の先から靴の先まで、ソイツが残っていた。


「チェーンソーは、生ものにはあんまり不向きではないですか?」


「え、カッコ良いじゃん」


「・・・見た目重視ですか」


「カッコイイ。てか軽い。原動力なんだろう。電気?オイル?」


「気力でしょう」


「おまえ引くほど冗談ヘタな」


「・・・まあ、構いませんがね」


 かじかんだ手をようやっと開くと、手離された鎖鋸はずるりと手の中へと吸い込まれるように姿を消した。


「・・・出し入れ自由のようです」


「お、おお・・・便利」


「軽いですね」


 言いつつシロウも半信半疑の様子で、暫く二人で大西の手を眺め回した。何もわからなかったが。


「鍵、君のせいで向こうに飛んでいっちゃいました。望むなら、案内をしますが?」


 シロウの指先は川の向こうを示している。膝をついて立ち上がり空を仰いで大きく伸びをした。全身が激しい怠さに襲われている。


 雲は以前白々しく遥か向こうを覆っていたが、けれどもずっと先に、ごく僅かな切れ間が生じていた。

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