花と嵐と杯と
蜘蛛
夢
第1話時々異
二人は互いに友達だったが、彼らの思想や望みが重なることはなかった。
彼は死に救いを見出していたし、彼は生に喜びを抱いていた。
ただ一つの目で見れば、どちらが正しいかは明白なんだが、二人は友達なので、互いをちょっとだけ尊重し、ちょっとだけ軽蔑し、心の隅の「もしかしたら」をいつまでも消せないでいた。
もしかしたら、間違っているのは自分の方で、正しいのは相手の方なのかもしれない。
それはしばしば尊敬や憧れなんていう執着のかたちで現れ、また時々は嫌悪や蔑みといった恐れのかたちで現れたが、結局二人は友達なので。
家族にも仇敵にもなれない二人は、どこまでいってもいつまでたってもただの友達だ。
冷たい空気が皮膚を撫でる。
春の真夜中、少年が廃墟の中を彷徨い歩く。
肩には重たい荷物が下がる。なのにまるで散歩みたいな気楽な風で、鼻唄まじりに廃墟の中をぶらぶら歩いている。
大した目的もないようで、あっちこっちへふらふらと歩いていると、次第に月明かりに寄せられる。
辿り着いた場所、頭上にはどでかい月。
天井の一部が崩れて吹き抜けになっていた。
月明かりの下。地面で、淡い光が主張した。
それは小さな丸鏡。土や埃に塗れ、すっかり曇った小汚い鏡。
鏡を見下ろした少年は、重たい荷物を荷物をどさりと落とすと、そこから一本の酒瓶を取り出した。
酒好きの誰かさんのためにとっておいたそれを、ぱきり、アルミの蓋を捻ってしまう。
何を思ったか、開けたそいつを鏡の上で真っ逆さまにひっくり返した。
清い水が地面に降り注ぐ。あたりに酒気が漂う。足元はすっかり水浸し。たちまち瓶の中身は空っぽだ。
少年は瓶を粗雑にそこらへ放り捨てると、ずぶ濡れになった鏡を手に取り、服の袖で拭いはじめた。
汚れの落ちた鏡面に、大きな満月が光る。
瞬きをする。鏡面には、呆けた面した少年が映る。
寝惚けていたか、酒の匂いに酔っちまったか、少年は数度瞬きを繰り返す。
すると、鏡面に波紋が生まれる。映り込んでいた少年の顔がかき消された。
波紋の止んだそこには、にんまり笑みを浮かべたご老体。
金色眼の老人が、愉悦に皺を深くして笑っている。
「望みを言いな、なんでも叶えてやろう」
(これは夢だろうか)
少年が空を見上げると、不完全な月が、このおかしな夢を見下していた。
置いてけぼりの鏡が宙を落ちていく。
それは灰のようにぼろぼろ形を失って、地に着くことなく霧散した。
月明かりが射し込む廃墟の中に、たった一人の老人がいる。
地面に転がる空の瓶を見下ろして、ニタリと顔に笑みを刻んだ。
◆◇
朝方に家を飛び出した大西は、夕暮れ時、廃墟の中にいた。
忙しなくあっちこっちを見回しながら、半壊状態の中を歩き回る。男の声がした。
「探しものかね」
振り向くと、つい今しがた誰もいないのを認めたばかりの場所で、褐色の着物を纏った男性が、汚い地面に
「・・・なにやってんの、オッサン」
「望みがあるなら、叶えてやろう」
真っ当な大西の問いには
ほんの少し、うっかり目的忘れて睨み付けていた大西は、男の言葉に、探しものを思い出した。
「ダチを探してるんだ。俺と同じくらいの餓鬼だ。ここに居るかもしんない。オッサン、何か知らねえか?」
「おや、コイツは驚いた」
ちゃかすように肩を竦める男に、馬鹿にされたと思って声を低くする。
「質問に答えろよ」
「
(笑ってんじゃねえか)
舌を打った大西に頓着せず、男は空になった袋をそこらへ放ると、着物の袂に手を突っ込んだ。暫しして小さな何かを取り出し、大西に向かって放り投げる。
「・・・あぁ?」
反射的に受け止ってしまった大西は、それを見て一層不機嫌な声をもらした。
「んだよこれ」
手のひらの中には、真っ白なネズミ。
結構雑に放り投げられ、わりと強く掴んだのに、身体を丸めたソレは、すやすやと呑気に眠りこけている。
「お前さんへのお届けもんだ」
「はあ?」
(コイツ、純粋に頭がおかしいのか)
男は尚も飄々と
「安心しなぁ、ソイツが案内してくれる」
「はああ?」
警戒に苛立ちも過分に混ぜて唸る。直後、地面が無くなった。
大西が立っていた地面が突然そっくり綺麗に無くなって、後には真っ暗の大きな穴が広がっていた。
「はあああああああ?!」
ぽっかりと空いちまった穴の中に、なすすべもなく落ちていく大西を、男はにんまり顔で眺めている。
白いネズミはこの後に及んで未だ寝こけている。一人と一匹は穴の中へ落ちていった。
多分、おそらく、落下している。
なんせ、どこもかしこも真っ暗闇。落ちてるっていうのに、風の抵抗すらわからない。
なんだかふわふわと漂っている気すらする。
どうしたもんか、大西は小さく息を吐いた。
友達の次は平衡感覚が迷子だ。
光るものに気が付いた。目線で追うと、手元が薄ら光っている。
握り締めた白ネズミが、ぼんやりと弱く光を放っていた。
「え、きっも」
蛍光塗料でも塗ったくっているのかと、ネズミをしげしげ眺めまわし、なおもぐっすり眠るネズミに目を細める。
(コイツ、アホなんだろうな)
それにしても、灯りというにはお粗末が過ぎる微弱な光。
「おまえ、ほんと役立たねえな・・・」
顔を上げても、あたりは依然真っ暗闇。
何にも見えない視界に、自らを見送ったあのにんまり笑みが浮かび上がる。無意識に舌を打つ。
「案内とか、ネズミができるワケねーだろ。バッカじゃねーの」
「失礼な」
それは、探していた声だ。
再び視線を落とすと、ネズミを掴んでいたはずの手の内に、腕があった。
息を止まる。眼を凝らす。
淡い光を放つ大西と同じ年格好の少年が、淡い光を放ち大西の手からぶら下がっていた。
「・・・ユキ?」
大西よりも幾分か線の細いその少年は、小さく目蓋を震わせて、ゆっくりと、淡い色の瞳をあらわにした。
「違います」
(たしかに)
コレは別人に違いない。
友はなんでもかんでも面白がる奴なのだ。
いまだかつて大西は、友のこれほど冷めた眼を見たことがない。
よく見ると髪も真っ白で、雰囲気も表情も、大西のよく知る腑抜けた友とはかなり違う。
(大体、アイツ発光しねえし)
「・・・お前、さっきのネズミか?」
「僕は、」
言い切らぬ間に、突如眩い光が目を刺した。
痛いほどの刺激。堪らず眼を閉ざす。
直後、冷たい衝撃が全身を襲う。
柔らかくって冷たい何かに沈む。混乱のまま無我夢中で手を伸ばす。
強い力で引っ張り上げられる。
おもいきり頭を叩かれた。
「イッタッ」
「目を開けなさい」
皮膚が切れそうなほどカラッカラに乾いた声だ。恐る恐る眼を開く。光に焼かれた視界が、徐々に明瞭になっていく。
白、白、白。一面に広がる白。
眩しいほどの白に囲まれた場所で、友によく似た、けれどもかなり別人の少年が、座り込む大西を酷く冷めた眼で見下ろしていた。
「お前、マジでさっきのとぼけたネズミか?キャラの引継ぎミスってね?」
「もう一度埋まりますか?」
ひらひらと、とっても小さな白い粒が、二人の間を通り抜けた。
なんの気なしに伸ばした手の上に、それはたちまち解けて皮膚に沈んだ。
「雪だ」
二人の少年が、だだっ広い雪原の最中にいた。
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