第25話 城下町にて

「あれが王城だ」


正方形を三段、大きい順に積み重ね、蝋燭のように七本の塔が建つ、まるでウェディングケーキのような形の建物をファルが指さす。

彼が歩兵隊隊長として守護するこの国は、名をアンデトワール大国と呼ぶらしい。隊士団のマントに刺繍された双頭の獅子と一本の大剣という図柄はこの国の印章と同じもの。建国した時の伝承から由来するものらしいが、詳しいことは聞いていない。遠くにみえる七つの物見塔のなか、一際高い尖り屋根の塔の上に張られた大旗は、隊士らのマントと同じものなだろう。えんじ色の織と金の刺繍がぼんやりと目に映る。


「こんなことになって、すまない…」


私のすぐ横を歩きながら、俯きがちに謝罪する大柄の男。ファルだけしか人間を知らなかった時は、ここの人達はみんな大柄なのかと思っていたけれど。ファルは隊の中でも一番大きいようだ。私の全長と比べても謙遜ない大きさなのだから、当たり前なのかもしれないが…ファルを見慣れた私には他の人間たちが少しばかり小さく見える。逆に私が大きく感じたのは、お迎えに来てくれたらしい隊士達が乗ってきた軍馬なのだが…。虎の私を怖がってしまって一緒に並走することはできなかった。馬は先に戻らせることになったので、私たちは今歩いて移動している。

兵士たちの不安を少しでも抑えるために…特に一般の民たちを怯えさせない為に、私には口枷がはめられている。と言っても、口枷なる器具の用意がしてあったわけでは無いので、革製の鞭を巻き付けただけなのだが…。そんな物を誰が持っていたか――もちろん“調教用です”と言ってのけた銀髪の御方である。


「(気にしないで)」


心配をさせないように、くぐもった短い鳴き声をファルに返す。私自身も鞭のことを気にしないように心掛けないと、縛られている自分と、鞭の持ち主さんで真っ青な妄想をしてしまう。


ファルが私を連れ帰るための交渉をしていた美丈夫は、名を“シュナウド・ランカスト”と言うらしい。公爵家の長男で皇太子補佐をしているというのだから、本当に見た目通りの貴公子であった。…見た目だけは。

今は彼の提案で、隊の半分を連れて王城に向かっている。最初はファルが隊士達だけ先に軍馬で戻るように指示したが、シュナウド様が却下した。「ファルと虎だけで城下を突っ切るなんて、面倒ごとの予感しかありません」とは全くその通りだと私も思う。ファルのストッパー役に私は不適任だ。


カシュカシュと自爪が地面に敷かれた煉瓦と擦れ合う。耳慣れない音を少し面白く思いながら、赤く舗装された道を歩く。

この舗装された道は王城を中心に八方へと伸びているらしい。私たちが歩く道は“南西の赤道”と呼ばれているらしいので、先ほどまでいた森はお城から見て西から南に広がっているというわけだ。なぜ赤道なのかと言うと、おそらく敷き詰められた煉瓦が赤色だからだろう。煉瓦が名産の一つなのか、家屋の壁面も赤煉瓦が多いようだ。

床面に壁面と赤銅色に満ちたどこか重たい色合いの街。そんな風景の中、私の前を歩くのは五名の兵士だ。一人は私が砂かけをしたアレン…は無理矢理に前方を任命されていた。後の四人はコイントスをして外してしまった者に押し付け…決めていたが。前方五名に対して、後続は十名の兵士とシュナウド様が殿を務めている。

正直、シュナウド様には後ろから襲いかかられそうで怖い。実際に、この布陣が私を確実に仕留められる隊列なのであろう。私の前に配置した兵はおとり兼、民たちへの配慮である。かたかたと揺れている隊士達の後ろ姿から、心臓を打つ早鐘まで聞こえてきそうだ。…私も心の中はぶるぶる震えているけども。


私が人してこの街に来たのなら、見たこともない景色を楽しみながら歩くのだろうが……脇見をすれば、不幸にも虎の姿を捉えてしまった民間人たち。ある物は驚きに腰を抜かして連れに引き連られてゆき、ある者は家の中に引っ込み、ある者は恐怖の中に少しばかりの好奇心を隠せずに物陰に隠れてこちらを見る。通りを歩いていた民は一目散にいなくなって、歩きやすくはなったのだけれど。恐慌状態になる彼らの事を思えば、わたしはただ前を真っすぐ見据えて、余計な者とは目を合わさないようにする他ない。心の内で合わせた掌は民への同情か自分への慰めか…。


「どうしたら皆に分かってもらえるのか…」

「(分かっているからこそ、なんだよ)」


民たちと遭遇するようになってからというもの、ずっと背を撫でてくれているファル。止まっては撫で、撫でては思わず手が止まり、力が入りすぎて私の毛並みを乱してしまう掌に…私よりも彼の方が憤っているのを感じる。その分だけ、私は悲観に暮れずにすんでいる。

せっかくの見慣れない煉瓦造りの街並みをゆっくり見物できないことを残念に思いながら、足早に通り過ぎて行く。やがて本格的に商売が繰り広げられる、王城の近い街の通りに入った、その時。


ゴツっと。

ファルが並び立っていない方の私の脇腹に“なにか”がめり込んだ。その当たった何かを私が確認するよりも早くファルが私の反対側に回り込み、先ほどまで溜め込んでしまっていたであろう怒りを露わにした。

「誰だっ!?」

「「ひいっ!」」

普段ニコニコとしていることが多いファルの地が蠢くような怒声と、虎が暴れだすのではないかと言う不安感に、人々は絶叫をあげて逃げ惑う。その阿鼻叫喚し出しそうな雰囲気を感じ取りながら、何かが飛んできた方向に身体を反転させれば…人垣の中から飛び出した一人の小さな少年の姿があった。


「父さんを返せっ!」


隠しきらない恐怖を抱きながらも懸命に立ち向かおうとする十歳くらいの男の子。続けて投げようとした拳大の石を、慌てた周りの大人たちに抑えられている。


「お前が俺の父さんを――――っ‼」


飲み込みきれなかった嗚咽で言葉を詰まらせる少年の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。悔しさと怒りと悲しみで真っ赤になった全身で、止めに入った無数の腕の中から抜け出そうと暴れている。

怪我が癒えきっていなかった腹に石をぶつけられて、私は心底痛くてたまらない。…だけど。少年の顔を見たら、地に臥せって痛がることも牙を剥きだしにして怒ることも出来なかった。

わたしはこの少年に石をぶつけられるまで、虎だから怯えられるだろうということしか頭になかった。でもそうではなくて…私は人喰い虎として恨みを向けられている。


「おい坊主。」


隊列から抜け出して一人、少年のもとに歩み寄るファル。シュナウド様はこの騒ぎに静観を決め込んでいるのか、後方で腕を組んだまま口をはさむ様子はない。


「人喰い虎は、俺の背中にいるヤツだ」

「…え?」


ファルは少年にどうだと言わんばかりに背負った虎の毛皮を見せる。毛皮ゆえに重量があるため、ファルが軽くターンをしようともマントのように翻りはしない。だがその重厚そうな毛皮がもとの虎がどれだ強者だったのかを讃えているようだった。


「お前の親父の仇を取ったのは俺じゃない。こいつが…この真っ白な虎が人喰い虎を倒したんだ。…お前の親父は、早く助けてやれなかった俺のせいだ。…すまない。」


街の民たちに聞こえる声で。「だからコイツは悪者にしないでやってくれ…」そう懇願をこめて頭を下げるファルに泣くことも出来ないのに涙が出そうになる。

救えなかった後悔と己の責務を果たせなかった無念に、隊長に続けて隊士達も頭を下げる。人的災害でない以上、街の民達も隊士達に非があると責めるわけにもいかない。一向に面を上げようとしない隊士らから、みな気まずそうに視線を逸らした。


隊士達への態度とは反対に、私にむけて痛いほどの視線を送ってくる少年と民達。私は項垂れたまま顔を上げられない。

私は気づいている。この少年の父親を失った憎悪は簡単に消せるものではない。家族や知人を喰われた人々の悲しみがそう簡単に癒えるわけがわけがない、理解してもらえるわけが無いと。


「…だけどソイツは虎だろっ⁉」

「そいつも人喰いするんだ!」

「そうだ!いくら隊長さんの言うことでも虎は信じられねえ!」


民衆から容赦なく飛んでくる野次の嵐に、私はただ無言でファルの背中を押した。

私が人喰いをしていないということには意味がない。人喰い虎を倒した存在であろうとも、虎である私は英雄にはなりえない。この街に住む人々にとっては、虎は人間を食べる生き物なのだ。

私は分かっていなかった。人間の中にはいる意味を、本当の意味で分かっていなかったのだ。


これからこんな出来事が幾度起こるのだろうか。やりきれない思いに、私は思わず天を仰いだ。


私が虎である限り、私は人間の敵である。

この世は弱肉強食なのだから…

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