第24話 シュウという男
腰まで伸びた男の髪が風に攫われて宙に浮く。木漏れ日を浴びて控えめに輝く銀色とすっと筋の通った高い鼻立ちに、私は異国の公子様を思い浮かべた。だがその貴公子たる姿とは相なって、表情は氷のような冷やかさを含んでおり、モノクルの奥の目は神経質に鋭くこちらを観察しているようだ。大柄でどちらかというと強面の部類だが、常に人好きのする愛嬌の張りついたファルとはまるで正反対。
気難しそうに見える男だが、世の女性はこの美丈夫の前には少しくらいの性格難は問題にならないだろう。私は眼光だけで尻尾が股の間に入ってしまうけども。
「シュウじゃねえか!久しぶりだな」
「貴方という人は……こちらがどれだけ…」
失踪していたはずなのに、何事もなかったように能天気なファル。美丈夫の言葉尻から大事になっていたことは想像するに容易い。ずれ落ちそうになったモノクルを指で押し上げながら冷静さを取り戻そうとしている彼に同情の眼差しを送っておく。
「どれだけ大騒ぎになっていると思っているんですか」
片手に持った分厚い紙の束を丸めて、木製の案内板にトントンと叩きつける美丈夫は判決を下す裁判官のよう。
「それに…なんですか、その虎は」
「雪みてぇに白いから、スノーって名前つけたんだ。可愛いだろ?」
「…森に返してきなさい」
ファルの悪気のない物言いには、親しそうな間柄の美丈夫でさえも手をやいているらしい。「ランカスト様っ!頑張ってください」と小さな声で美丈夫に声援を送る隊士達に、お前らはファルの部下ではないのかと言いたくなる。期待を一身に背負わされている彼はどうやらファルの保護者的な立ち位置なのだろうと、勝手にランク付けをしたところで。ガクッと落ちた頭と一緒に額にかかった横髪を後ろに払いのけ、深く寄った皺を揉み解す“ランカスト様”なるお人に、私もこの場を預けることにした。
「猫みたいなもんだろう?」
「…冗談でしょう?何人も喰われてるんですよ」
「スノーは人は喰わない。見てみろよ、おとなしいじゃねえか」
ファルが話せば話すほど、美丈夫のこめかみに稲妻がはしる。
「人喰いしない保証がどこにありますか?」
「…俺がちゃんと腹減らないように面倒をみる」
「城下で暴れられた時に被害がどれほど出ると思いますか?…その責任の所在は貴方だけでは済みませんよ」
「…ただの虎一匹くらいで大事にならねえよ」
「ただの虎…」
エメラルドを囲った長い銀の睫毛が震える。美丈夫のあまりの剣幕に隊士達は我関せずと空気に徹している。辺りを埋め尽くすように広がる冷気で、思わずファルに身を寄せてしまったが、私も当事者じゃなければそちらに居たかった。
「虎を愛玩動物にする前例なんてありませんよ」
「愛玩動物じゃねえ!」
「…貴方が連れてる限り、その虎が起こした問題は許可したとされる者の…“殿下”の責任ににもなると言っているのです!」
“責任”という単語が私の頭の中に重く圧し掛かる。私とてファルと人里で暮らすということがどういうことか考えていなかったわけではない。私のせいでファルが責任を取らされる可能性は考えていた。だから責任という形になる前に、我慢できることは我慢して、どうしようも無くなれば森に逃げ帰ればいい…と。そう考えていた。
だけれども…第三者に“問題を起こす”と言われてしまうと、私は反論する術を持っていない。私は知性も理性もない獣だ、…そう思われている。実際に、虎の私には迷惑をかけないように努力するという私の意思表示が出来ない。理性があることを…証明できない。
「スノーの責任はちゃんととる」
「殿下に迷惑をかけても、ですか?」
「責任取るのは俺一人だ」
どう見ても理詰めが得意そうな美丈夫に、脳筋なファルが弁論で歯が立つわけもない。何とか助太刀しようと私の意思が伝わらないか考えあぐねた末に、ファルの片脚に尾を絡ませて、猫撫で声で鳴いてみた。間髪入れずに、自分の額をファルの脇腹にぐりぐりと擦り付ける。二人きりだった時もこんな甘え方をしたことは無い。猫みたいに甘えた態度を見せるのは虎の矜持に係わるが、今は少しでも他人に認めてほしかった。
「…スノー」
「まぁ…あなたには懐いているようですね」
空気になっている隊士達は、ファルに尊敬と羨望の眼差しを向けている。アレンが「クマ殺しから改名っスね!」とか言って他の隊士に口を塞がれているが、そのまま水を差さないでいてくれ。話がややこしくなる。
「調教できて及第点と言いたところですけど…猛獣ですから被害を考えるとやはり…難しいですよ」
「…調教は必要ない。スノーは…言葉が分かる…たぶん」
人語の分かる動物なんてあり得ないのだから、ファルの今の言葉は完全に親の欲目だなんだと言われる其れだ。さすがの美丈夫さんもそんな戯言には騙されないだろう。恐る恐る、私は顔をあげて伺いみる。と
錆色の鈍い光が反射して、一瞬目が眩んだ。
「打つな!」と怒鳴るファルの言葉に、その光の正体が鉄の塊…短銃だと理解した。モノクルの奥の眼差しは曇って見えないが、反対の目は照準を外さないように細められている。トリガーにかけられた指が半分に絞られ、脳天を狙って真っすぐ私に近づいてくる。
私が攻撃をしようと試みたなら、この美丈夫は迷わず私を打つだろう。私は一歩も動けない。誰もが黙って息をのむ中、銃を持つ手とは反対の手で…先ほどまでファルを制していた手を、美丈夫は私に突き出した。
「お手をなさい」
白皮の手袋に覆われた掌を上に、男は空いた左手を差し出してくる。
銃に撃たれるのは絶対に嫌だけど、初対面の男に従いたくはない。そもそも簡単にファル以外の人間に尻尾を振る虎を、彼は危険のない虎と考えるだろうか。――否だ。もしも、ファルの不在の隙に私を手名付けようとする者が現れたら…そんな者に懐いてしまう猛獣は害悪でしかないだろう。だからと言って、その者に攻撃をしてしまうようではこれも問題だろう。それなら無難な答えは――…
私は顔を背けて男の指示を無視することにした。
「ほお?」
それまで無表情か憤怒しか面に出さなかった男の口端が僅かに持ち上がる。美丈夫の初めて見せる笑みに、普通の女性ならうっとりと頬を染めたのだろうが…。生憎、野生の感が働いてしまった私は本能的に背筋が凍りついたのだった。
「頭は悪くないようですね。ファルよりも良いかもしれませんよ?…言葉が分かるというのも、あり得るかもしれませんね」
くすっ、と。唇に手を当てて笑みを隠そうとする姿は、新しいおもちゃを手に入れた子供というよりも。新しい研究対象を入手したマッドサイエンティストのように見えた私の感は外れていてほしい。
「私の一存では決められません。殿下に相談しましょう」
「…おう!」
難関を突破したとばかりに満面の笑顔を浮かべて美丈夫の肩を無理矢理に組むファルに。私はどうしようもなく、大きく息を吐きだした。もう少し周りの空気が読めるようになってくれれば、冷や冷やすることも無いのだが…たぶんこれは隊士達も同じ気持ちだろう。一様にみな強張った肩をゆっくり下ろす様子をみて、どうせなら虎じゃなくて隊士の一員になりたかった、とそう思った。
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