第22話 再会

「布団で寝てぇな…」


凝り固まった筋肉を解すように身体を伸ばして、深く吸い込んだ息を短く吐き出した男の目下には、薄らと濃い紫のクマが出来ている。寝込みを襲われないか警戒しながらでは良質な睡眠はとれなかったのだろう。人間、一週間も野宿が続けば疲労もたまるし布団も恋しくなる。


ファルは普段、軍の宿舎に寝泊まりしているらしい。自分の家が所有する屋敷もあるらしいのだが、訓練所から離れているため面倒なのだそう。

屋敷という単語が出てくるあたり、見た目に似合わずボンボンなのだろうか…。荒っぽい喋り方はもちろん、普段の素行…人間的生理現象を隠す態度を見せないとか、からはちょっと想像ができない。…私を人間だと思っていないから堂々とズボンを下ろしたりするんだよな、きっと。うん、そうに違いない。



「行くぞ、スノー」


こちらが最短ルートだと腰の高さまで伸び切った草根を掻き分けて行くファルの後を追う。一緒に行くと決めたあの夜から今日で二日目。つまり、計画通りに進んでいるとすれば、日暮れまでには森を抜けられる。


これから私はどのように過ごすことになるだろう。猛獣を放し飼いにすることは考えられないし、かと言ってファルは私を檻には入れたがりはしないだろう。放し飼いも檻も無いとなれば、ファルが目の届く範囲に連れ歩くより他はない。けれども、ファルは軍人だから毎日が決められた生活の中で生きているはずだ。自然と私も自由のない生活を強いられることになるだろう。休みの日くらいは狩りをしに森に連れてきてほしいものだが…簡単にはいかないかもしれない。

そう思えば、マイナスイオン漂う爽やかな空気と、青々と生い茂る熱帯植物に囲まれた景色が惜しく感じる。傷口に塗ると良いことで有名なアロエに、保湿としてオイルになるホホバの木。人喰い虎のこともあって、人間が森に立ち入ることは無かったようだが、植物の有用さを知っていればここは天然の宝庫だ。虎の私の手ではその効用を引き出すことは出来ないのだけれども。それでも…ハチミツの場所だけでも見つけておけば良かった。随分前に捕食したクマが持っていたハチの巣を思い出す。今から新しい地に行くとういうのに、手荷物の一つもないことが寂しかった。



「あっちに着いたら、俺の友達を紹介してやるからな!…アイツら絶対喜ぶぞ。スノーもきっと仲良くできる。…みんなで狩りにいきたいな」

「(…卒倒するよ)」


朗らかに脳内お花畑な友情物語を夢見ているファルはきっと何も考えていない。

私、ファルと同じくらい身長があるんだけど。体重なんて倍以上。鋭い鍵爪に大きなお口と牙まであるよ?狩りに行く前に、狩られる心配しちゃうんじゃないの?猛獣と人間が仲良しこよしなんて…ここはどんな世界だ?

いつかファルと会話ができるようになったら、きっとボケと突っ込み役で漫才ができるに違いない。



「森を出る前に身綺麗にしていこうぜ」


ファルの提案に同意した私は、少し進路は逸れてしまうものの水の臭いを辿ることにした。大人二人分ほどの高さの坂道を下っていくと、雨音に似た川のせせらぎが聞こえてくる。冷たい空気が頬に当たって火照った体に染み渡るのを感じて、私は一気に川の中に飛び込んだ。そうそうと流れる小川は私の半身を浸すほどの深さしかないが、体を休ませるには丁度いい。連日の暑さで獣臭さが際立っていた私の身体も少しはよくなるだろう。

ボロボロになった軍服を木に引っかけて、全裸で水浴びをするファルの方はできるだけ見ないようにした。筋肉隆々の鍛え抜かれた体躯は芸術品と見紛うほどに美しいものだが、私の心はまだ乙女なのである。刺激が強い。

 

人里が近くなってきたせいだろう。昨日、一昨日に比べると、目にする獣の数は減っている。ファルは獣が森から出てくるようになったとは言っていたが、この付近は人が街から日帰りできるくらいの場所なので、獣にとっては危険地帯だ。人里に下りてしまった獣はよほど知性がなかったのか、追い詰められている状況だったのではないだろうか?…私だったら猟銃が怖くて出ていけない。他の獣よりも力を持つ虎の私でも、人間の英知の結晶には歯が立たない。人間であった私だから誰よりも人間の怖さが分かるのだ。


あまり長く休んでしまうと動きたくなくなるので、早々に私達は水から体を引き上げて、元の経路を辿りなおした。水浴びが出来たおかげで、体がさっぱりしていて気分が良い。



森の中を歩き続けて、太陽が西の空に傾きかけた頃。


「もうすぐのはずなんだが…」


ファルの言葉とともに風にのって香ってきた微かな煤煙の臭い。動物からは匂ってくることのない、その独特な生活臭に人間の街が近づいていることを知る。


これからどうするか、ファルに大まかには聞いている。まずは、吊り橋から落ちて遭難する羽目になったことを報告をする為に仕事場に行く予定らしいのだが…波乱の予感しかない。その後で自宅に連れ帰るという予定の前に…と言うよりも、このまま一緒に街に下りただけでパニックになる気がする。…彼と一緒にいると、私は自分が心配性が過ぎるように思えてならないな…と考えていたら。


「…お、おい。…あ、あれって…」


自然界には異質な、ガチャガチャと金属音が擦れあう音が耳を触る。羽休めをしていた鳥たちが一斉に木々から飛び去ってゆく。多人数で押し寄せてきた人間達の気配に、私はファルの後ろに隠れるように回り込んだ。

「ん?…アイツら、か…?」

背中から微かに聞こえた呟きに、知り合いらしいことを察する。目を細めてファルと彼らを見比べてみれば確かに、同じ釦のついた真っ黒な軍服を着ている。だけれども不思議と、しっかりと長剣や盾を携えた彼らよりもズタボロを着ているファルの方が軍人らしく見える。これが隊長の風格というものなのかと感心している私の耳を劈く勢いで。


「た、隊長だああああああ!!」

「「「わああああ!!」」」


ファルの姿に感極まった隊士達の叫び声が木霊した。

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