第20話 愛玩動物とは言いたくない
木陰で本格的な昼寝を始めてしまったスノーを置いて、俺は吊り橋の周りを散策することにした。夜行性の猫にとっては昼寝というより睡眠かもしれない。日中の活動はやはり疲れるのだろう。だが、真っ暗闇の中を歩くわけにはいかないから、もう少しスノーには我慢してもらわなければ――この森を早くは出られない。
湿度の高い環境下のせいで、底板のところどころが朽ちかけている吊り橋を見れば、あの時の薄汚い連中が思い出される。吊り紐に付着した血痕は、背中を斬りつけられた時のものだろう。
握りしめた掌に爪が食い込んだ感触で、滲み出す怒りを落ち着けようと長い息を吐き出した。あまり長居したい場所ではない。だけれども、きっと。城下に戻ったその時は……我先に探し出して処分する。
吊り橋から飛び降りる羽目になった、狼の群れは見当たらない。獣に襲われた地点というだけあって、生き物がいる痕跡は至る所に残っている。幹につけられたひっかき傷、地面に残る新しい足跡や掘った穴。虫や木の実も豊富にあるこの辺りなら、スノーにとっても良い狩場になりそうだ。
「…ついてきてくれるよな?」
スピスピと鼻水を垂れながら眠る猫に問いかけた。答えは返ってこない。
理由は分からないが、森から脱出しようとしている俺にスノーは当たり前のようについてきている。
焼いた鶏肉を与えたことで味をしめたのかとも考えたが、餌付けする前からスノーは俺に好意的だった。そして当然のように吊り橋までの道案内と護衛をしてくれた。
人間の言葉を話すことこそないが、俺の望むように行動している節があることを考えると、おそらく言葉が分かるのではないだろうか。非現実的な考えではあるが、そう思えば自分の中で何かがピタッと当てはまる。だからこの道程の間、人間と話すように与太話をしてしまう時もあった。相槌を打つようにスノーが鳴き声をあげることが当たり前になっている。
一緒にいた時間は六日ほどしか経っていないが、俺はこの猫を大いに気に入っている。命の恩人ではあるのだが、それよりもただ純粋に“スキ”という気持ちだ。
アンデトワール大国では大勢とはいえないものの、愛玩動物を飼っている者はいる。
一番の人気は美しい色合いの鳥。今の流行は空色から藍色へとグラデーションで色づいた尾が特徴のライラック。尾羽が長ければ長いほど価値が高いらしい。おそらく羽飾りになるからだろう。二番目は犬。こちらはかなりの犬種が存在するが、より門番として役に立ちそうなものが人気。番犬という言葉の通り、庭で飼っているだけで空き巣の被害に合わない。
そのような中で、猫はあまり人気がない。何にもならないからだ。兎などの防寒に優れた毛皮になる物ならばそこそこの人気があるのだが…。最終的にも利用目的がない動物を飼っている者はあまりいない。
そもそも、愛玩動物を飼っている者は富裕層に限定される。それもそのはず、明日の食べるものに困る者も多いのに、家畜でない動物に与える餌などないからだ。
ふと。自分の背中に背負っている虎の毛皮をみた。
時間もなかったので軽く洗って背負い干ししながら持ってきたが…随分と立派な毛皮である。虎の毛皮は強者の風格を表現しやすいから高額取引されるとシュウが言っていた気がする。この毛皮が人気なら、スノーの毛皮はどのように他人にみられるのだろう。
「いかん。スノーを奪われる」
長くはない毛足は、指通りを邪魔することなく滑らかで肌触りが良い。新雪のように真っ白で、それでもって薄らと墨色で縞模様がひかれている様が高貴さと優美さを感じさせる。
猫は一般的に人気がない、が。
毛皮に価値ありとみなして、スノーを飼いたいと言ってくる輩が後を絶たなくなりそうではないか!しかも、番犬代わりに門番としても役に立ちそうだ。そしてなによりも…愛らしい!
俺は苦悶した。スノーを飼うこと自体は非現実的なことでは無いからだ。食費はかさみそうだが、たまに森に放ってやればいいし、野生なのだから庭や外でも飼えるだろう。知性の無さそうな他の動物と違って、躾の必要も無さそうだし…考えれば考えるほど戦慄する。金と権力に物を言わせて強引に売買に持ち込まれそうだ。
連れて帰ったらまずは殿下だ。シュウでもかまわない。二人なら俺より良い考えを出してくれる――はず。なんとかしてくれ。
近辺の散策も一息ついたファルは、寝ころぶスノーの腹側に座り込んだ。この数日で男の定置となった場所だ。
なるべく優しい手つきになるようにそっと、乱れた白い毛並みを手櫛で整えてやる。虎との戦闘からスノーに無理をさせているのは分かっている。否、出会ってから今までずっと、だ。
分かっているのだ。スノーの体調を考えれば、本当は無理矢理連れていくようなことはせず、縄張りに置いて来れば良いことは。
だけど。
離したくない。
ここで別れたら次に会えるとは限らないから。
「…すまねぇな」
また会おうと言って、還らぬ人となった人間はいくらでも見てきた。軍人という立場であるからこそ、今ある“生”があっけなく終えることを知っている。大事なものは自分の手で守らないと、簡単に無くなってしまうのだ。
だからここで、スノーと別れることなんてできない……
「…グゴッ」
右前脚が俺の身体に当たった瞬間、おいでおいでとスノーが地面を叩く。いつも後ろから抱きかかえられる形で寝ているから、癖になっているのだろう。鼾とともに、だらしなく涎まで垂らしている。むにゃむにゃと動く口が、気が緩みきっていて、見ているだけで癒される。
濡れた口の端を拭ってやりながら、ファルは漏れ出る笑いを抑えることもせず、スノーの前に横たわった。
程なくして。周されてきた前脚が自分の腹に乗っかる心地に安心感を得る。抱き枕にされているようだが、それも悪くはないと思う自分がいた。
スノーを愛玩動物とは、言いたくない。
ファルガ・ドミナートスは辺境伯家の次男である。厳しい自然環境と他の三つの国との境を持つ中に在るアンデトワール大国では問題が絶えず。それらの理由から辺境伯家とは、筆頭となる王家の次に連なる公爵家と並ぶ権力がある。簡単に言ってしまえば、貴族の中でも位の高い人間だ。ゆえに、各種のパーティーに招待されるのだが。その中でも少々変わり種の、愛玩動物のお披露目会なる物にファルは参加させられたことがある。
愛玩動物と呼ばれるそれらの生物に、数多の宝石を着飾らせては他人に披露し。何処からいくらの値打ちで取り寄せたのだと自慢する。財力と自分のもつ伝手を詳らかにするための、謂わば道具のような存在だ。世話は召使に任せて、自分は気が向いた時にだけ可愛がる。そして興味が失せたその時は自分を飾る装飾品に…
そんな貴族の一般的な愛玩動物とは、スノーは違う。スノーはそういうのではなくて。
水中から引き揚げてくれた。体温が下がらないように傍にいてくれた。荷物を拾ってきてくれた。背に乗せてくれた。危ないところを助けてくれた。ともに歩んできてくれた…
背中を預け、共に闘うことができる――俺の相棒。
愛玩動物なんかじゃない。
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