第19話 狩場を目指して


私とファルは湧き水の流れ落ちている岩崖の横、洞穴の中で一晩の雨宿りをすることにした。鍾乳洞というには奥行きがなく、小さい洞窟のようなものだ。地上から漏れ出た地下水で形成された洞窟だと考えれば、吊り橋のあった地までの高さに至るにはまだ遠そうだ。

厚い暗雲に覆われた空模様を見れば、しばらく晴れる様子はない。太陽は中天を少し越えたくらいの位置。人間的にはまだまだ寝るには早い時間だが、この雨では先に進むことは難しいし、お互いに疲労していることを考えれば、今日はこの辺で休息をとるべきだろう。探索した結果、奥は行き止まりになっていて、他に生物の気配はない。入口にだけ注意を払っていればいい。


ファルは倒した雄虎の死体を証拠として持ち帰る必要があるらしく、背負って運び込んできていた。疲労と種族的特性で微睡みながら座り込むわたしの横で、血抜きをして皮を剥ぐ。以前の私にとっては不快感を与える気味の悪いものだが、踊り食いを余儀なくされてしまったいま、全然見ていても平気だった。それどころか剥ぎ終えた後の生肉に唾液があふれる。もちろん、一通りの作業を終えたファルに焼いてもらって、一緒に仲良く胃袋におさめた。


「血肉の臭いに誘われてこなければいいが」

「(不吉な…)」


ファルは血の臭いに誘われて、他の獣がやってこないか危惧しているが、虎と力負けしなかった彼と一緒ならなんとかなりそうな気がする。入口が一か所しかないということは逃げ場がないわけだが、挟み撃ちをされる心配もない。よほどの強者が来ない限りは…。

今のところ、私にとって見覚えのない生物は発見していない。

サバンナやアマゾンと同じ環境下だと仮定して、存在しているとすれば…百獣の王であるライオンとか。二人がかりなら追い払うくらいは出来るだろうか。

ファンタジー的な要素があると仮定すると…いわゆるゾンビなどのアンデットの類。

――あ、だめだ。怖くて尻尾を後足の間に挟んでしまった。

幽霊とか目に見えないものを信じる質ではなかったが、現在進行形で不思議体験をしている身ではとても信じないなんて言えない。


「…どうしたスノー?身震いなんかして。」

「(いや、ちょっとゾンビが…)」

「冷えたのか?」


私の内心とは異なるところで心配してくれるファルは、「燃えにくいな」と呟きながら肉を焼いていた焚火に木々を追加してくれる。雨や空気中の水分を含んだ生木では中々燃えてくれないのだろう。乾燥した小枝の量は少ない。あまりに燃え上がりすぎても、洞窟内が煙で満たされてしまうから丁度いいのかもしれない。


雨に打たれたおかげで汚れの大半は落ちたものの、その分、毛並みは水分を含んで重い。損傷しているであろう内臓の痛みが増してきている気がする。欲に負けて肉を食べたのが悪かったのか…。少しでも身体を休ませねばならないと寝ころべば、冷たくて固い岩肌が体を芯から冷やしていく心地がした。



「(ファルも横になりなよ)」


そう遠くも離れていない壁際に寄り掛かるファルに向かって喉を鳴らす。声をかけたところで伝わりはしないだろうとは思ったけど、胡坐をかいたままの姿勢で寝るようでは疲れもとれないだろう。生憎、わたしも濡れ鼠ならぬ濡れ猫なので、暖かくはないかもしれないが…固い床や壁よりは真面な筈だ。おせっかいついでに自分の腹部分を顎で指す。


「…腹、痛いだろう。今日はやめとく。」


出会ってからずっと、暖をとる為に寄り添って寝ていたから物寂しいけれども。確かに寝返りを打たれて腹に衝撃を喰らいたくはない。私の事を気遣って遠慮をするファルに髭が上下した。ファルに倣って私も目を閉じれば、冷えた胸部が少しだけ温まった気がした。明日も先を進まなければならない。





一日、二日、三日とかけて熱帯雨林の中を進む。

出会った当初は疲労の見えたファルも、今では日中分まるまる行動できるまでに回復している。起き上がれなかったり、午前中までしか歩けなかった時を考えると、元気になったと言える。驚異の生命力だ。そんなファルは私の十メートル先を歩んでおり、頻繁に振り返っては「スノー」と意味もなく私につけた名前を呼ぶ。


あれから大型の獣は見ていない。そのことが私にとっては何よりも幸運だったと言える。軽快に先を行くファルに比べて、わたしの足取りは重かった。理由はもちろん、雄虎との戦闘のせいだ。あの時に幾度も潰された胸部から腹部がひどく痛む。いま、もしも猛獣などに出くわしたならば…考えたくもない。

汗や顔色が表に出ないおかげでファルには気づかれずに済んでいる…と思う。



「お!見えてきたな」


ファルの言葉に目を凝らしてみれば、それはファルが落下してきた吊り橋。流されてきたのはアッという間だったはずだ。多少の遠回りをしたとは言え、元の場所まで戻るのに四日もかかるとは思わなかっただろう。それだけ、消耗していたとも言えるし、私の縄張りが森深くの位置だったとも言える。


「(休憩しよう)」


私は吊り橋の脇に生えた木々の根元に転がった。ちょうど二人分の身体がはいる木陰は、お昼寝するにはもってこいの場所だ。


「…もう寝るのか?」

「(ちょっとだけ。)」


先を進みたそうにしているファルも、動く気のない私に観念して、隣に腰を落ち着ける。武骨な右手が私の頭を撫でるのと同時に、爽やかな風が鼻先を通り抜けた。


実は、この朽ちかけた吊り橋、私が初めて目を覚ました場所でもある。

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