第18話 人喰い虎(後編)


嫁入り前に腹上死されるという経験を経たわたしは、なんとも言い難い気分で雄虎を見下ろしていた。よく見れば、他の獣に食われたのか、雄虎の右耳は欠け、左目の下には鋭利な刃物で縦に切り裂かれた痕がある。


「んん。猫にしてはデカいな…」

「(虎だよ!)」


相も変わらず猫扱いするファルにわたしは唖然とする。結果的に、先ほどの戦闘でも傷一つ負っていない男からすれば、猫と戯れたようなものなのだろうか…否、そんな馬鹿な。あれは命の奪い合いだった。あの雄虎の猛攻を踏ん張り一つで耐えきり、咄嗟の事態にも対応してみせた胆力には平服するが…


「スノーよりも随分デカいし、見た目も違うな。猫の亜種か?」


皮一枚でつながっていた虎の首を完全に切り離し、頭を持ち上げては繁々と観察するファル。カッと目を見開いた血まみれの骸はハッキリ言って不気味なのに、なんの忌避も不快も感じてないその様子にゾッとした。


「(私は猫じゃないし、こいつは亜種でもない!)」


ファルの中では私は猫、大きい雄虎は亜種ということに片付いたのだろうか。本当にアホな子かもしれない。どう見たって私もこいつも猛獣だ。襲われておいて猫はないだろう。

しかし亜種かと言われれば、体毛が白い私の方が亜種と言えるだろう。いわゆるホワイトタイガーとやらは虎の劣性遺伝の掛け合わせ。アルビノである。


「…おデブだな」

一瞬、レディーである私に向かって言ったのかと思ってジト目になるも、ファルの足は雄虎の横腹をつついている。

言われてみれば確かに不思議だ。私はどちらかと言えば飢えていたために、骨皮とはいかないまでも体は痩せている。それなのに目下の虎はどっしりと肥えているのだ。私の縄張りとしているこの地に現れたからには、そう遠くない地を縄張りとしていた筈だ。つまりこの獲物が少なくなってしまっている地で何を捕食して生きてきたのか――その答えをファルは持っていた。


「片耳の欠損に目下の傷…ちっ。こいつが噂の人喰い虎か」

「(人喰い…?)」


その単語に私は初めてファルと出会った時の言葉を思い出す。足元で眠っていたわたしを人喰い虎と勘違いしたのだったか…。だが私は人間を“まだ”捕食していない。

近距離にいた私を無視して迷わずファルに飛び掛かった目下の雄虎ならば人喰いをしていても可笑しくはない、か。


…ふむ。やはりこの雄虎が人喰い虎だろう。

こんなサバンナと言っても過言でない環境に人間がそうそう居るはずもないから、きっと人里にでも降りて食べたのだろう。右耳の欠損は猟銃に撃たれた痕かもしれない。


「あぁ。橙色に縞模様…欠損部位。色と風貌から察するに、コイツが以前に噂になった人喰い虎に間違いねぇ。間違いないんだが…こいつが虎、ねえ。」

「(見た通りだよ!)」

「…猫みたいだな」


ようやく、虎という生き物がどんな生き物か理解したようである。虎はネコ科なのだよ。大型の、獰猛な。


「んんん…」

「(…なに?)」


雄虎と私を交互にチラ見するファルに首を傾げる。


「…汚れたお前はコイツに似てるなと思って。」

「(…当然。)」


私の身体に付着した血液が乾きだして、茶色く変色してきているのだろう。私とこの雄虎の違いは色だけなのだから、体色が近づけば同じように見えてしまうのも当たり前だ。


ファルは私の眉間についた血の塊を親指で拭うと眉尻を下げて、ボロボロの隊服で私の顔を拭く。隊服の袖口に辛うじて残った釦が頬に当たり、拭う手つきが乱暴なのも重なって、抗議の声を上げるとファルが申し訳なさそうに言った。


「…似てるなんて言って悪かったな。お前はこんなに可愛いのに。」


そうじゃない、だから私は虎なんだって、いろいろと違う。虎が可愛いはずもない、とか。何から突っ込めばいいのか、言いたいことがまとまらない。

どんな顔をしていいのか分からなくて。表情も出ない癖に、わたしは顔を背けて地面を見た。憤怒か羞恥か、どちらが強い感情か分からない。でもこの時ばかりは虎でよかったと思った。


だけども。猫かわいがりするのはやめて欲しい……



とにもかくにも、人喰い虎と同じにされなかったことに私は安堵していた。飢餓に侵されていたあの時、ワニが現れなかったら私はファルを捕食していたはずだし、今だって私の新天地を見つけるまでの非常食だと言って連れまわしているのだから。ここで人喰いモンスターだと警戒されるわけにはいかない。


「となると、罠をしかけて生活をしていた人間もこいつの餌になっていそうだな。」

「(ここにいるよ。)」

「戦ってみたかったんだがなぁ…。」

「(…食べちゃうよ?)」


あの罠を仕掛けたのは私だから人間などこの森にはいないし、こんな猛獣だらけの場所で人間が生きていけるわけがない。そんなに戦いたいなら、本人である私が相手してあげようか…その結果、私の腹に収まっても文句は言えないぞ、と。未だ血でぬれたままの顔をファルの脇に擦りつけてやった。


「おいっ、体当たりするな!」

「(戦ってみたいんでしょ?)」


一々考えることがずれてしまっているファルを論破する術を私は持っていないのだ。ボディーランゲージにも限界がある。このタイミングでタックルをかます意味を読み取ってくれ。ついでに、直に振り出しそうな雨の臭いよりも鼻につく強烈な鉄の臭いを軽減したい一心で、ファルに鼻を擦りつける。断じて、じゃれているわけではない。


「あははっ、やめろ、背中はまだ痛ェんだよっ」

「(私だって内蔵が痛いよ!)」


ポツポツと地に吸い込まれていく水滴はやがて蛇口から放水したような大雨に代わり。二人分の汚れを洗い流すとともに昼下がりの空を暗く染めていく。


「ありがとな。」

小さく呟くファルの声には聞こえなかったふりをした。


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