第16話 熱帯雨林
食事を終えた私たちは予定通りの迂回路を歩き進む。心配していたファルも幾分か気力を取り戻してきているようだし、今日はちょっと先まで歩を進められるかもしれない。引き続き、歩きやすいルートを選んで行く。
吊り橋までの道のりは縄張りにしている一帯ではあるけれども、実は滅多に見回ることがない。というのも、普段は背の高い草がたくさん生い茂るところに隠れて狩りの機会を伺っているので、いまファルと歩いているような視界の開けた場所ではうろついたりしないからだ。
「…ズボンが破けなかったのは幸いだったな」
なるべく障害物のない道を選んでいるとはいえ、ここは人の手入れが届いていない、言わば熱帯雨林。私が図鑑では見たことのないような植物が生えそろっている。葉がギザギザしていたりべたつくものも多いので、人間の肌には直接触れないほうがいいのだろう。草まけしたら痒いだろうし、ズボンが破けなかったのも彼の運だろう。
だがここまでの旅路のせいで、ファルの軍服も結構ボロボロだ。とくに上着のほうは背中が二つに割れてしまっているわ、腹から下の裾が無くなってしまっているわで、残念極まりない。破れた裾からチラリと見える、綺麗に割れた腹筋が男らしさを醸し出していることだけが救いだ。
「(なにしてるの?)」
ふと、後ろをだいぶ遅れて歩くファルを返りみれば、持ち前の革袋の中に拾った小ぶりのの粒の塊をしまっている。近寄って手元をのぞき込んでみると、小さいとげとげが無数についた赤褐色の実のようだ。なんとなく見覚えがある。
「これはライチだ」
私の見知った果実と同じソレは熱帯雨林の果物であるらしい。鼻をすんすんと鳴らして、細い茎にたくさん実ったライチに近づいてみるが、なんとなく嫌な匂いに感じる。人間の頃は好きでも嫌いでもなかったのだが。
「これ、大好物なんだよ…スノーもどうだ?」
手持ちのナイフで皮をむき「うめえ」と言いながらライチを頬張るファルのほっぺがハムスターみたいになっている。病み上がりで食べすぎじゃないかと注意しようかと思ったが、この男の体はちょっと常識では測れない。果実は貴重な糖分であり、水分補給にも適しているから悪くないかと受け入れることにした。この森にも私がまだまだ知らないことがたくさんあるらしい。
ライチに見向きもせずに、歩みを進めるようとする私の後ろで「猫だもんな」としみじみ考えこんでいるような声が聞こえた。この期に及んで私を猫だと思い込んでいるらしいファルは、本気で虎という生き物を見たことがないのかもしれない。
道はだんだんと天に向かって傾斜を描いてゆき、時折、ゆるめの岩段をよじ登らなければならなくなってくる。虎の私では岩登りの手伝いをすることはできないが、軍人であるファルは意外にも身軽のようで私の心配はいらなかった。筋肉だるまで重そうだと思っていたのに…
ファルと出会ってからは天気が良い日が続いているが、この森林は雨が降ることも多いので、足場は少しぬかるんだままの箇所もあって歩きにくい。昨晩からかすかに感じていた雨の匂いが少し濃くなってきたところで空を見上げる。小高い丘のむこうには薄い灰色に染まった積乱雲が見えているので、雨が降り出すのも時間の問題かもしれない。
「(先を急ごう)」
天気のことを伝えようと、今度は空を見上げてみるように、しっかり立ち止まって振り返ると…ファルがいない。
「(ふぁーるー!!)」
あまりにも焦った私は、獲物もびっくり遠ざかってしまうような大声で吠え立ててしまう。非常食に逃げられたか!?と慌てるわたしのことなど察しない
「いま戻るぞー」
という呑気な返事が返ってきて、なんだか全身で脱力した。
道端でちょうどよい棒が落ちているのが見えたらしい。まっすぐに伸びた太い枝の先をナイフで懸命に削りながらこっちに向かってくる。確かに槍の代わりになりそうだけど…離れるときは一言声をかけてくれればいいのに。ファルは落ち着きがないというか、本当に自由な男である。
「機嫌なおせよ」
尻尾の毛を逆立てて太くしている私に、ファルが申し訳なさそうに誤ってきた。勝手にいなくなったことは悪かったと思っているらしい。
最近は獣が随分と減っているが、危ない森であることに変わりはないのだから、注意して欲しいものだ。今度は目を離さないようにしようと、わたしはファルの一歩だけ前を意識して歩く。
「女は怒らせたらすぐに謝れってアルが言ってた」
「(雌だよ)」
女は人間の性別であって、獣の性別ではないが、どうやら私が雌だということは知っていたらしい。
…寝てた時か?…見たのか。
だとしたら、知ってて私の胸囲を弄ったのか…?
「そんな目でみるな…」
「(エッチ)」
いや、裸体で練り歩いている私が言えたことではないけど。服着てる虎っていうのも変だよね。虎柄のパンツなんて履いちゃったら、鬼にでもなれるんじゃない?
悪戯が見つかってしまった子供みたいにしょぼくれているファルが面白くて、わたしはくすくすと笑ってしまった。ファルから見たら、尻尾が垂直に立っているくらいの変化しか分からないかもしれないけども。
こんな、気やすい掛け合いがすごく楽しくて。
だから私はソイツの狩猟距離にいれられていることに気がつかなかったのだ。
茂みの奥から獲物を狩るタイミングを計っている、そいつの熱い視線に…
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