第15話 一匹とひとり
「あ、起きたか」
瞼の向こうがチカチカしてきたから、朝になったのだと目をあけた。猫の目には明るすぎて、真っ白な世界はなかなか晴れてはくれない。目を擦りながら、世界に色が戻ってくるのを待つ。軍服姿がはっきり見えてきたころ、大きく吸い込んだ朝の空気に鼻がムズムズしてきた。ファルは夕方前からぐっすりと眠れたからだろう。今朝は早起きのようだ。
「傷の手当てをするからな」
鼻の周りをふわふわと小さく舞う黄色の粒子に堪らず、くしゃみがでる。何事かと、ファルの右手に握られたものを見つめる。長い茎の先端に円柱状の穂綿がついた植物に既視感を抱くが思い出せない。ファルはその植物をわたしの首回り、両脇、胴廻りにはたきつけていく。
「キャテルの花粉は傷薬になる。」
昨日、ファルを背負うためにキツめに蔓を縛ったため、私の体は擦り傷だらけになっていた。手当てをするために薬草となるものを探してきてくれたようだ。
自分の方が大怪我をしているというのに、軽傷のわたしを先に手当てしているファルに胸の内がぎゅっとなった。
「まだ朝が来たばかりだ。疲れているようだし、もう少し寝てろ」
重力に逆らうように押し上げようとしていた瞼を閉じるようにそっと撫でられては、足掻くことも出来ずにわたしの視界は閉ざされる…
心地よい微睡みの中に身を委ねていると、今度はパチパチと何かが爆ぜる音。ついで鼻腔をくすぐられる香ばしい匂い。空腹など感じているはずもないのに目が覚めた。
「野鳥くらいしかいなくて悪かったな」
たくさんの枝木を組んだ火の中に、肌色の肉の塊。毟られたも羽毛の山から察するに、鳥であることには違いない。火を起こすことが出来たのかという感動とともに、鳥を狩ることができたことに驚く。
虎になってしまって間もないころ、どうしても鶏肉が食べたくなって、どうにか捕まえようと木登りをしたことがあった。だがこの身体は見た目通りに重く、自慢のかぎ爪だけでは長い時間、体重を支えることは叶わなくて断念した。
どうやって鳥を仕留めたのだろうと、ファルの傍らを見れば、自作らしい武器が。しなりのよい木の棒に、キツく張られた糸で作られたそれは簡易の弓のようだ。糸は軍服の裾を引きちぎって用意したものだろう。矢はナイフで溝と先端を削っただけの枝だが、射落すくらいなら可能なのだろう。器用なものだ。
狐色にこんがり焼かれた野鳥から視線が離せない私には気にも留めず、ファルは当然のように仕留めたそのままの野鳥をわたしに渡してくる。
「礼には足りないが、食べてくれ」
悪気なく羽をもいだだけの生肉を私に渡してきたファル。ジト目で見つめ返すも「遠慮はするな」と満面の笑みが返ってくるのみ。
「(焼いたのがいい)」
必死に悲しそうな鳴き声で訴えてみるも、遠慮をしているとでも思ったのか「スノーは良い子だな」と頭を撫でてくるので、仕方なしに前足で焚火にむかって鶏肉を転がす。今度はそんな私を遊んでいると思ったのか、あろうことか鶏肉を取り上げられてしまった。
「(あっ)」
「食べないなら俺が食うぞ」
ファルは私から取り上げた肉につるつるとした木の棒を刺して火中に放り込むと、代わりに焼けた肉を取り出した。ふうふうと息を吹きかけて冷ましている肉からは温かな湯気と焼き立ての香り。視覚と嗅覚を刺激されては、わたしの狩猟本能が刺激されてしまう。
「うぐっ!」
「(あ、あつっ!)」
たまらず、次の瞬間にはファルの持つ焼けた肉にかぶりついていた。噛んだところから染み出た肉汁で舌が焼けるように熱い。今まで気がつかなかったけれど、ネコ科だから猫舌なのだ。
「(で、でも…おいしい…)」
はぐはぐと地面に落としながらもゆっくりと咀嚼する。生肉と違って火を通した肉はうま味が凝縮していて最高においしい。噛めば噛むほどにじみ出てくる肉汁に、尻尾がばたばたと左右に大きく振れてしまった。
「焼いたのが良かったのか」
腰掛けるのにちょうど良い岩に座って、肉に夢中になっている私を見守るファル。掌に顎をつけてはにかむ姿がさまになっている。その包容力にあふれた慈しみの笑みに、きっと良い父親をやっているんだろうなと思ったら少し申し訳なくなった。私の食料保証が叶うまでは、まだまだ非常食は手放せない。
だがこうなってしまうと、ファルと一緒にいる限り、当面の食糧の問題は解決したも同然だった。わたしは自分の事だけしか計算に入れていなかったので、ファルが私が狩れない食糧を手に入れて来られるとは思ってもいなかったのだ。ファルの食料は森の木の実でも果物でもどうにでもなると思っていたが、肉食の私は獲物を狩らないと飢え死にしてしまう。でも、ファルが鳥を射落とせるなら、無理に狩りに力をいれる必要も、道を急ぐ必要もない。
これはわたしにとっての大きな利になる。
昨日は無理をして歩いたが、虎の私はそこまで体力があるわけでは無いのだ。獲物を狩るためのダッシュも短い距離しかできないから、ギリギリまで茂みに隠れて獲物を追う。虎とは本来、獲物を狩るその一瞬のために、普段は体を休めてばかりいるのだ。
ひとりだった。
ずっと、虎になってから一人きりだった。
子育てしてくれる虎の母親がいるわけでもない。突然、成体の虎として目覚めてしまったわたし。
虎であるからには単独生活が当たり前なのかもしれない。しかしながら獲物を狩るのも食事するのもすべて初めてのことばかりで、悪戦苦闘の連続だ。狩りになれないうちは罠だって用意した。創意工夫してお腹を満たして生きてきた。自分の力しか頼りにできなかった。
だからこうして、傷の手当をしてもらったり、食事の用意をしてもらったり。一人で何でもしなければならない、そんなことが無くなってしまう日がくるなんて…思いもしていなかった。
にかっと子供みたいな顔で笑んだファルの顔が眩しい。
彼のころころと変わる笑顔はやっぱり苦手だ。一緒にいることに慣れてしまえば私はいきていけなくなってしまう…
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