第13話 保存食は熟成が大事

縄張りでの狩りが難しいという情報を得た私は、最初の頃に猟師に攻撃されたとされるエリアまで帰ることにした。きっと今わたしがいる位置は森の中でもかなり奥が深い場所。人間に銃を向けられるのは御免だが、人里近くに行くメリットは餌場の確保というだけで充分だ。それにファルが一緒にいればいきなり撃たれることもないかもしれない。


自分の縄張りとしている範囲外の地形は私の頭にはないが、ここまで来たファルなら、あの吊り橋まで戻れば人里近くまでの道筋が分かるだろう。勝算を持ってわたしは縄張りの移動を決める。


ちらりと横目で見たファルは、午後になって少し疲れが見えてきている。よく見れば目の下には貧血による濃いクマが出来ているではないか。ファルがいくら頑丈そうだと言っても、わたしの付けた咬み傷は人間によっては致命傷になっていてもおかしくない。体内から流れでた血だって少なくはないはずだし、これ以上無理をさせれば後の旅路に響くかもしれない。


私は歩くファルの前に回りこみ、その動きを止めた。


「ん?どうした、スノー」


四つ足を少し曲げて、胴体を地に近づけた私は背中を顎で二度指した。


「(乗って。)」


困惑顔のファルは私の背を凝視するあたり、意味が分かっていないわけではないと思う。だがやはり、自分と二十センチほどしか背丈の変わらない獣に乗るのは気が進まないのだろう。


「大丈夫だ、心配するな」


歩き出そうとするファルの進路を塞いで、“拒否するな”と言わんばかりにバシバシと縞模様の長い尾でファルの背を叩けば、眉がハの字を描く。


わたしの寝床まで一度運んでいるのだ。意識がある分、あの時よりは容易い。それに全長はそんなに変わらなくても、体重は私のほうが随分と重いのだ。力はある。ファルが気を遣うことはない。非常食、なんだし。


「…わかった。だが無理そうならすぐに降りるからな」


鞍もない獣の背中に乗るのは簡単なことでは無い。私はその辺に生えている長い蔓を噛みちぎってくると、ファルの両手に向かって投げる。


「ベトベトしてるんだが…」


私の唾液に濡れた蔓を嫌そうに握りしめているが、散々舐め回されているので今更だと思う。ファルは熟睡していて気がついていないかもしれないが。



ファルは渡された蔓を、私の両手足と腰にたすき掛けをするように上手に巻いていく。続いて私の背中に跨ると、自分の腰にも蔓を結んで固定した。


「苦しくないか?」

「(大丈夫。)」


固定を終えると、バランスを取りやすいようにする為か、体を前屈みに倒してくる。首に回された両腕が少し息苦しい気もするが、しがみついてくれた方が私も楽だし、捕まっているのはたすき掛けがクロスしたところの蔓なので多めにみよう。


川辺から運んだ時のように、今度はファルを振り落としてしまわないように気をつけなくては。

わたしは背中にかかる重みを意識してゆっくりと歩き出した。




あの吊り橋に行くためには、崖を上がるのが最短距離だが、ファルの体力と跳躍力では登ることなどできないだろう。人間が崖を登るための道具だってない。

つまりあの地に行くためには大きく迂回する必要がある。私の知っている中で一番傾斜の緩やかなルートは、緩やかなばかりに一番遠回りだ。

ファルにはまだ携帯食料の残りがあるが、私の腹はもって五日…いや、ファルを背負いながらの行動を考えれば、三日というところか。


「スノーには、助けられてばかりだな」


私の体温でうとうとしてきたらしい。眠気を帯びた声でファルは私の頭をなでる。

揺れる私の背で眠くなる余裕があるなら、私の背に騎乗することが負担にはなっていないようだと安堵の息を吐いた。自分で歩くよりも負担になってしまうなら、背負う意味もない。


「(吊り橋を超えた後は頼むからね)」


言いたいことが伝わったわけではないだろうが、ファルはまた小さく、私に感謝の言葉をくれた。律儀な男だ。



人間が歩くような速度で背を揺らしてしまわないようにゆっくりと歩けば、ファルの規則正しい寝息が聞こえてきた。

私は夜目もきくし、行けるところまで進もう。ファルが一緒にいる今、縄張り内でなければ安心して眠れないが、あの吊り橋の付近までは幸いにも私のエリアだ。


ファルも今回は軍服にしまわれていたフードを被っているし、多少は草木が当たっても大丈夫かもしれないが、当たって起こしてしまわないように気をつけねばならない。

この状態はおんぶ紐で子育てをしている母のような気持ちになるが、これはそう、保存食が美味しくなるように熟成しているのだ。




太陽が沈み、森中が常闇にのまれていく。少し空気に湿り気が帯びてきている気がするので、明日は雨が降るかもしれない。


私はなるべく草木の短い茂みを探しながら先を進んだ。


ホウホウと野鳥の鳴き声が森の中に木霊し、ざわざわと高い木々の間を小動物が飛び移る気配が、この森を不気味に映していた。






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