第10話 運の強い男

辺りが真っ暗闇に包まれて、また太陽が昇りだしてくる頃、わたしは軍服から顔を覗かせているファルの手や首筋を舐め始めた。夜行性の私は度々、真夜中に目が覚めていたのだが、引っ付いて寝ているファルのせいで狩りに行くことが出来なかったのだ。まあ、布団替わりにした私の体温で薄っすらと汗をかいてくれているので、食べるのは我慢してやろう。


「(ファル、起きろ)」


昨日より幾分か顔色の良くなった頬を舐めながら、ファルを起こしにかかる。寝かせてやりたい気持ちはあるが、獣である私はそろそろ次の獲物のことも考えねばならないし、ファルだってこのまま獲物の少ないこの地にいられはしないだろう。それに彼の今後の計画も分からない。


「馬鹿野郎。外周行ってこい。」


寝ぼけているのか、ファルは部活顧問のようなことを言っている。生死を彷徨っていてもおかしくはないというのに、なんて暢気な夢をみているのだ。


傷口から雑菌でもはいって感染症でもおこしたら大変だと思っていたが、思い返してみれば、ファルもワニの返り血を浴びている。確か、病原菌だらけの環境で生活しているワニの血液には免疫力を高めたり、感染症を防いだりする力が期待されているとかなんとか…。人間には強すぎるらしいが、塩分欲しさに私が綺麗に舐めとったこともあって良い具合に効いたのかもしれない。虎になってしまうと分かっていれば、動物園オタクの友人の話をちゃんと聞いていたのに。


「(起きないと食べてしまうぞ)」


ファルの顎の下から鼻にむけて、ザラザラとした自慢の舌を押し付けるように舐めあげてやれば、ゾゾゾと体を身震いさせて飛び起きる。ファルも一応は軍人らしく、窮地にはちゃんと起きるようである。


「…まだ夜も明けきってないじゃないか。」

「(私は夜行性なんだ)」


不満そうに眼を擦りながらも大きく伸びをするファルは、もう体を動かせるようだ。本当にこいつは人間かと疑いたくもなる。敵対した相手に命まで刈り取られなかったことも、私に拾われたことも、傷口から感染症を引き起こさなかったことも、携帯食料のはいった荷を見つけられたことも、全部この男の生に繋がっている。本当に運の良い男だ。


「分かったら、もうひと眠りするぞ」


私が吠えたのを肯定と受け取ったらしく、私の背中に腕を回して座りこもうとしたファルに、猫パンチを食らわせる。続けてファルの髪に噛みつこうとしたら、ファルは観念したのか、両手掌を突き出して私との距離をあけた。


「わかったわかった!起きるって」

「(うむ。)」


獣の生に余暇時間はないのだ。私の腹が空く前に次の獲物が見つからなければ、次は本当に私の胃袋におさまるのはファルになるのだから。少しは危機感を持ってほしい。





ファルを連れて、自分の縄張りとしているエリアを歩き進める。途中で見つけた小川で一緒に水を浴び、私は食事になりそうな獲物を、ファルは武器になりそうな太い枝を探しながら歩いている。


「どこに向かって歩いてるんだ?」


ファルが聞いてくるが答えられるわけがない。この男は私と会話ができると思っているのだろうか。


「まあ、喋れるわけないよな」

「(当たり前だ)」

「でもなんか、会話できているような気がするんだよな」

「(ファルは分かってないけどね)」


相槌を打つように吠える私に気をよくしたファルは、随分と口が滑らかになっているらしい。この状況に至るまでの経緯を話しだす。



「この森には異変を調べに来たんだ。最近、人里に獣が出るようになってな。」


人里に獣が降りてくるということは、食糧が尽きてきたか、何か凶悪な獣に住処を追われてきたか。森の生態系が狂ってきていることも考えられる。現に最近は小動物が見当たらなくなってきている。


「家畜に被害も出ているし、以前には人喰い虎も現れたから、その調査だ。」


家畜に被害か。そういえば日本でもよくクマなんかが森から出てきて被害が出ていたな。森林伐採なんかで住処を追われたり…この森は豊かそうだから環境問題では無さそう。わたしは肉食なので食べないが、高い木の上には美味しそうな果実なんかも生っている。


「(…ん?)」


…人喰い虎?


「獣の中には人間を食べてしまうような獰猛な獣がいくつかいる。この森で最近、変わったことが分かればいいんだけどなぁ」


あれ?もしかしてそれって、私のせいなのでは…?生態系が変わってしまうような、最近変わったことなんて、わたし以外考えられないんだけども。

まだ人間は食べてないけどね、まだ。


原因の一端を担っているであろう私にぐうぜん遭遇するなんて、ファルは本当に運のいい男だ。


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