第9話 天から降る花

「お前、真っ白だな」


水を飲み、生成色の粉を固めた携帯食料を食べ終えた男は、枯草の布団に寝転がる私に言った。


泥と返り血で汚れきってしまったこの身は、荷を探しに川にはいったことで洗われ、本来の白さを取り戻している。それに引き換え男の顔は、演習にでた軍人がわざと肌色を目立たなくさせるめに土を塗りつけたように薄汚れている。


軍服と同じように真っ黒な髪は、見慣れた日本人の色と同じだから気にもしていなかったが、よくよく見れば、瞳はアメジスト色の深い紫だし、顔の造形だって西洋人のように掘りが深い。ただ、美青年というよりはどちらか言うと精悍な顔つきで、武骨そうというか、まあ男らしい人だ。真っ白な私とは反対の真っ黒な出で立ちは、純日本人でないことが明らかである。



「…スノー、なんてどうだ?」


男の吸い込まれそうな紫の瞳の中を繁々と見ていたせいか、かけてきた言葉が聞き取れなかった。唐突な男の言葉にわたしは思わず首を傾げる。


「お前の名前、スノーってどうだ?」


情況理解が出来ていない今、異質な獣だと悟られるべきではないので、あんまり人間らしい仕草は避けた方がいい。首を縦にも横にも振れずに硬直する私が彼にどう映ったのかはわからない。だけれども「お前、雪みたいに真っ白だから」と続く言葉に一瞬、私の思考が飛ぶ。




「ん、お前は今日からスノーだ!」


何も返さない私のことなどお構いなく。満足そうに屈託なく笑う男は目の前の獣が猛獣だと分かっているのだろうか? 護身用の武器もないくせに、わたしは猫みたいな大人しいペットじゃないんだぞ!っと言いたいが、伝わりはしないだろう。


それに真っ白だから雪みたいでスノーだなんて、なんと安直な名前だろうか。他の第三者がいたらきっと、ネーミングセンスを馬鹿にされている。



「(好きに呼びなよ)」


まだ日が落ちていないせいか、ほんのり眠気もあった私は、欠伸をしながら瞳を閉じて、男の笑顔を視界から消した。

なんとなく、この男を真っ正面から相手するには眩しすぎたからだ。



確かに安直だ。

だけど雪は嫌いじゃない。


天から降る花、『天花』とは紛れもなく『雪』のことで、私の名前の由来。


母が私に残してくれた、私の大事な宝もの…





「俺はファルガだ」


遠い昔の記憶に思いを巡らせそうになる私を引き戻すかのごとく、男がぽんと私の頭に手を置いた。



「ファルでいい」


ひと際強い風がわたしの毛を撫ぜる。湿度の高い湿った空気の中を吹き抜ける、一陣の柔らかい風、肌に気持ちの良い風だ。



「(ファル…。)」


何か得体のしれないものにでも魅入られてしまったかのように、私は言われるがままに、彼の愛称を返した。彼の名前が鍾乳洞の中に流れ落ちる一滴の湧き水のように反響して仕方がなかった。



思えば、ファルという名のこの人間は最初から不思議な男だった。猛獣相手に怯む様子もないし、気力が戻ってきたと思ったら虎の私に名前をつけて、自己紹介まで始めるし。非常食と思われているとも知らないで、暢気に風で乱れた私の毛並みを撫でている。


「スノーは猫なのに、変な猫だな。」


…猫扱いするのはやめてもらいたいが。



「シュウが猫好きでな、よく撫でてやっているのが羨ましかったんだ。俺は…動物とは相性が悪いからな」


雌の虎である私と大きく体長が変わらないことを考えると、ファルの身長は二メートル弱はある。人間の中でも大柄の部類にはいる彼は、その骨格の大きさもあって小動物には怖がられそうだ。

だから普段触れ合えない動物とコミュニケーションは彼にとって至福の時間となっているのかもしれない。わたしがあまり嫌がらないと分かると、遠慮もなく触れてきた。


「ここがいいんだったか?」


腹の上、ちょうど胸囲のあたりをくすぐられた私は思わず身をよじる。


「(あ、ちょっと待て。そこはくすぐったいっていうか、なんか…)」


「…こっちか?」


今度は人間でいうところの鎖骨のあたりを弄られる。


「(ん、んむ…)」


手はさらに上、顎の下のあたりをとらえられたあたりで耳が垂れる。


「がははっ、気持ちいいか?…スノーは体も人間より大きいし、俺の言葉も分かるみたいだし、荷物まで拾ってきちまうし…伝説の神獣みたいだな」


「(もう少し優しく…うんうん、苦しゅうない、苦しゅう…ない。)」



あまりの気持ちよさにファルの言葉は耳にはいってきていない。体験したこともない気持ちよさに素直になってしまった私が喉をゴロゴロと鳴らすと、頭上から機嫌良さそうな笑い声が。図に乗ったファルは悪さをする少年のような顔で腋の下をくすぐってきた。


「ふはっ、やっぱただの猫だよな。」

「(わたしは虎だ!)」

「そうだよな、悪かったから、噛むなって!」


反撃開始とばかりに男の短い髪の毛に噛みついてやると、ギブアップと言わんばかりに私の腹を軽く叩く。反省したならいいと言うように、私は再びに寝床に伏せた。


ファルは体は起こせたものの、まだ立ち上がるまでには回復していないのだろう。一頻り私の毛並みを堪能したかと思ったら、私の腕を枕にするように寄りかかってくる気配がした。


離れていった掌に肌寒さを感じたが、私は虎であり立派な淑女なのである。猫のように甘えたりなどしない。だが獣のように恩知らずというわけでもないので、仕方がないから、マッサージと甘噛みのお返しに頬をべろべろと舐めてやる。


「っ‼」


塩の味はしない。男は不意打ちに声も出なかったようだが、まだ食べないから安心しろ。




日はだいぶ落ちてきており、ほんの少しだけ空気に冷たさが混じってきた。


「こんなとこで動けなくなっちまうし、丸腰で猛獣に遭遇しちまうしで、今回ばかりはマズいと思ったが…お前が無害な猫で助かったよ。」


体長差があまりないせいか、身を寄せてくる男はけっこう邪魔だ。まあ、人間に地面の布団は寝心地が悪いだろうと思って好きなようにさせる。逃げられても困るから一緒に寝るのだ。私は逃がさないぞという意味で男の胴体に腕を回した。短い腕だが虎の私は重いので、腕だけでも息苦しくなるかもしれないが、勘弁してくれ。邪魔ならそのうち自分で退けるだろう。


「スノーはあったけえな。」

「(うむ。あったまるがよい)」


そしたら朝には熱帯の暑さと私の体温で、良質な塩分が取れるに違いないから。しばらく君を私だけの岩塩にしてあげよう。





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