第8話 非常食は保存が大事

思わず猫パンチで男を沈めてしまったわたしは、再び寝てしまった男をそのままに、鰐と戦った川辺にきていた。しきりに剣帯を気にする彼のことが気になっていたのだ。軍人らしい彼はおそらく、武器をどこかに落としてしまったに違いない。可能性としては川底か、落ちてしまった場所か。


上を見上げれば随分と高い崖の上につり橋が見える。斜面は急すぎるほどに絶壁ではないが、人間の跳躍力では登るのも至難の業であろう。ただ、そんなに心許なさそうでもない造りのつり橋から落ちるような間抜けな職業には見えないから、故意に誰かに落とされたのだろう。それもきっと、背中を斬りつけた人間に。



岩崖を上るには労力がいると判断した私はまずは川底を調べることにした。ただし、昨日の鰐の仲間がいる可能性もある。新たな食料という少しの期待を胸に、周囲に気を配りながら川の流れに足をつけた。


深さを確かめるように、ゆっくりと警戒しながら後足より体を沈めていけば、川の水にこびりついた汚れと血が広がっていく。昨日のワニ狩りと男の運搬作業でこの身体は随分と汚れていたらしい。

川の中腹に進むほどに底は深くなっていて、虎の私では底に足がつかない。魚のようにエラがあるわけでもないから自然と頭だけを出して泳ぐ。一般的な武器の重さを考えれば、沈んでいるに違いないと判断した私は、時折、水の中に頭を突っ込んでは川底を探し見る。けれども、川底は汚れていて見辛いうえに、人間が持つような鮮やかな色をまとった物は影も形も見当たらない。


彼が落ちてきたあたりを一通り探索した私は諦めて陸にあがった。もとより武器が見つかる期待はしてはいなかったし、川の中にいるのは腹の足しにもならないような小さな魚のみ。


男が起きる様子はないし、腹が満ちていたわたしは積極的に狩りに出かける気分でもなかったから、暇つぶしに荷でも探してきてやろうと思って出てきたのだ。そう、これは暇つぶしなのだ。鰐がいるようなら次の狩場として考えればいいと思って下見をしに、だからこれは本当に、わたしの生活の為の“ついで”なのだ。



せっかく来たのだから他に獲物でもいないかと川下に向かって歩いていた私は枝垂れ木に引っかかる革袋を見つけた。流されてしまわないように慎重に咥え取ると、革袋にはなにやら文字のようなものが焼き付けられている。日本語でも英語でもない、見たことのない造形文字に眉を顰める。男は日本語で話しているように聞こえたのに、文字は違うのだろうか。

他に目ぼしいものも見つかりそうにないし、わたしは男のところに戻ることにした。革袋は水に濡れているせいもあってずっしりと重い。







のそのそと寝床に戻ってきた私は変わらず寝転がっている男の前に腰をおろす。私の巨体に大きな気配を感じたのか男が薄っすらと目を開けた。


「お、まえ…」


男の声は昨日よりも掠れている。目の前に咥え持ってきた革袋を下ろすと、男は目を見開いてゆっくりと上半身を起こした。痛みを抑え込むように腹に手を当てているあたり、私のたててしまった牙が一番重症のようだ。


男は手を伸ばして地面におちた革袋を拾い上げると、

「…俺のだ」

と信じられないような面持ちで私を見た。なんとなくいたたまれなくなった私は男の視線から逃れるようにそっぽを向く。


人間の落とし物には間違いないとは思っていたが、男の持ち物でよかった。…これで少しは消費期限も伸びるかもしれないからね!なんて誰に対しての言い訳なのか分からないことを考えているうちに、なんとなくむず痒くなったので後足で右耳をかく。自分でも猫みたいな仕草だとは思ったが、これも種族の習性だと思う。男から視線を外していた私には男の頬が緩んだことには気が付かない。



「お前、変なやつだが…助かった。ありがとうな」


感謝の言葉にわたしの耳がピクリと動く。昨日まで食べるつもりでいた男に礼を言われた私は、さらに何とも言えない感情が積もってしまって、誤魔化すように鼻先で革袋を押す。


「…濡れちまってるが、大丈夫だろ」


巾着上に閉じられていた紐をほどいて広げたその中に入っていたのは小型のナイフと水筒、密閉式の袋に入った携帯食料のようだった。


男はこれ幸いと喉に水を流し込む。ごくごくと動く男の咽喉仏に私の口内が唾液に満ちる。実は男が寝ている間に、散々に露出した部分を中心に舐め回してしまったので、ほとんど塩分は無くなっているのだが。やっぱり、わたしにとってのこの男は“美味しそう”なのである。


「ぷはーっ」

狩りをする獣の目になっていくわたしのことなど気が付かないように、男はアメジスト色の目を細めて言う。


「すまない。生き返った」と。


だから私も髭をだらしなく垂らして応えてやる。


「(大事な非常食だからね)」と。


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