第二話 佐藤伊予の一日(4)


 食事を終え部屋に戻った彼。下着と部屋着を持って階下に降る。風呂場へ行けば武器子の使ったであろう甘いシャンプーの香りが漂ってくる。構わず軽く汗を流し、歯を磨きながら髪と肌を洗い短い入浴を終える。下着と部屋着に腕を通し、また部屋へと戻る。下着でうろつくのは好きではない。それからワイシャツに袖を通しスーツで身を固める。

 時刻は七時少し前。仕事用の鞄の中身を確かめ、携帯をチェックし、玄関へと向かう。腕時計に目を落とすときっかり七時。革靴を履いた伊予の後に遅れて武器子が姿を現す。


「兄ちゃんの勝ちだな、武器子」


 伊予がそう言って微笑みを浮かべると、武器子は肩を竦めた。紺のワンピースセーラーに赤いリボン、二人で駅まで行くのも日課だ。


 駅の改札で別れたふたり。向かう方向は正反対だ。通勤ラッシュで賑わう改札を抜けながら、伊予は一人溜め息をついた。別に仕事に行くのが嫌な訳では無い。今夜はインサイドに行けないことが残念で仕方なかった。タルトには謝りのメールを入れたが、断りにくい相手から食事に誘われてしまったのだ。

 さて、それでも気を取り直して働かねばなるまい。ぎゅうぎゅうの電車に押し込まれながらいつもの通勤が始まった。


 伊予の勤める会社についてはまた後ほど語る、程でもないのだが、彼の仕事は主にデスクワークだ。夕時、今日も特にクレームも無く、完璧に仕事は終わらせた。定時のチャイムが鳴ると同時に伊予は帰り支度を始める。


「あの、佐藤くん?」

「はい?」


 帰りがけに声を掛けてきたのは一年か二年先輩の女性社員だった。垂れ目を流すように目をやると、女性社員はにっこりと微笑んだ。


「明日の夜、合コンがあるんだけど。参加しない?男性が一人欠けちゃったのよ」

「あー…すみません、明日は用事が入っていて。夜は大体予定が入ってるんです。誰か紹介しましょうか?」

「やった!ありがとう!それにしても夜まで忙しいなんて大変ね」

「趣味でやってる事なんで。それじゃまたメールします」

「よろしくねー!」


 合コンとはまためでたいな。なんの感情の機微もなく伊予は思う。今の彼は異性にかまけているよりもジャンキーを観察することに心血を注ぎたい。アウトサイドならではの交流だがそんなものに興味はない。帰宅がてら携帯を取り出し幾人かの男友達に適当なメールを送る。

 アウトサイドで生きるにはこの友人とかいうジャンル分けの人間が多い方がいいらしい。幸い伊予は良い友人に恵まれていた。タルトも同級生だが未だに一番仲がいい。彼はほぼ害の無い甘味ジャンキーだ。友人達もそれを良く知っていて、伊予によく様子を聞いてくる。

 そんなに気になるのなら自分で確認すれば良いものを。そう思うが、物心つく前からインサイドへの偏見と侮蔑を子守唄替わりに聞かされてきた連中にそれは難しいかもしれない。

 まるで洗脳だ。ガタゴトと音を立て走る電車の中で伊予は思った。



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