第二話 佐藤伊予の一日(3)


「おはよう、伊予」

「おはよ、父さん。今日の朝も豪華だよ。俺は『調理ジャンキー』の息子で幸せだ」

「おいおい、朝からジャンキーの話か。母さんは単に料理をするのが好きなだけだよ」


 眼鏡をずり上げながら父は欠伸を噛み殺す。家事が済んだら一日中料理を作っている母。そののめりこみようは半端ではないし、どれたけ手のかかる料理でも当たり前のように出してくる。彼女はレシピを考えるのが好きなのではない、異常なほど調理するのが好きなのだ。愛用のキッチン器具には家族とて触れられない、伊予の中では立派なジャンキーである。


「柚華ちゃん、おはよう」

「あら予壱さん、おはよう」

「ビールは?」

「冷蔵庫に冷やしてあるわ。ウイスキーも」

「ありがとう、愛してるよ」

「私もよ、ふふ」


 耳を塞ぎたくなりそうな万年新婚夫婦っぷりにももう慣れた。と言うかこれが当たり前なのだと中学あたりまで信じていたなぁと伊予は他人事のように思う。キッチンで母、柚華ゆずかに愛を囁いた父、予壱よいちは母から離れると冷蔵庫からビールを三本取り出し伊予の向かいの席に戻ってきた。朝からビール。これも当たり前だと思っていた。


「酔わない飲酒ジャンキー…」


 伊予がポツリと呟く。目の前の父はビールのプルタブを起こし、さっさと朝酒をあおっている。

 父は昔から大酒飲みで朝も夜も伊予が見てきた限りずっと酒から手を離すことは無かった気がする。もしかしたら仕事中も呑んでいるのもしれない。いや、それは無いと思いたい。しかし父は酔っ払うと言う事象からは遥か離れた人であった。父が酔っ払って怒ったり、くだを巻いたり、記憶を飛ばすところなど一度たりとて見たことがない。つまり彼の父は極度のアルコール中毒、伊予が名付けるところの飲酒ジャンキーの中でも最高クラスに酒に強い人間なのだ。


「うちの家族はジャンキーばかりなのに、どうして俺はジャンキーになれなかったのか…」

「伊予、家族をジャンキー扱いしてはだめだよ」

「どう考えてもジャンキーだ。やはり俺はただの凡人以上にはなれないのか…」


 サラダをつつきながらついいつも考える言葉を吐露してしまった。父は否定はしがたい事実に苦笑しながらまたビールをあおる。

 そのうちに武器子か風呂場から戻ってきた。ほかほかと上気する頬の隣で髪はもうくるくると巻かれている。それを見計らったように母の手料理もテーブルに運ばれた。予想通り卵がとろけるようなエッグベネディクト。伊予の鼻に間違いは無かったらしい。残っていたサラダと共に卵を崩し、マフィンとともに口に運ぶ。ポーチドエッグの舌触りは胡椒の効いたソースと合わさって、鼻に抜ける香りが香ばしい。カリカリのベーコンと薄切りのサーモンは口の中で喧嘩するでもなく、纏われた燻製の香りが折り重なって喉元へと落ちていく。

 母の料理はやはり一級品だ。店を出しても通じる、いや店を出すべきほどの腕前。伊予はその美味に黙って小さく頷いた。


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