第一話 『彼』の称号

第一話 『彼』の称号(1)


 目の前の青年は嬉しそうに口を開いた。言葉が出るのではなく、控えめに開いた口にはエクレアがひと口おさまる。んぅー、と堪能するような声が漏れ、青年は嬉しそうに頬を綻ばせる。


「美味しいー、さすがル・デ・シュクルのエクレアは最高!」

「食っただけで店がわかるのか、さすがだな」

「当然だよ、俺が店を間違えるなんて百万に一つも無いね」

「じゃあそっちのシュークリームは?」

「見ればわかるよ、ラマンドでしょ?シュー生地と特徴的なクリームの絞り方。わからない方がどうかしてるね」


 見れば普通のシュークリームだが。これがジャンキーと常人の違いか。伊予は感心したように大きく頷いた。目の前の男、タルトはいわゆる中毒者である。甘いもの中毒。この界隈では『甘味ジャンキー』と呼ばれる害の少ない中毒者に分類される。

 この都市では中毒者の事をそのまま『ジャンキー』と呼ぶ。何に置いても行き過ぎた愛情を持ってしまった人間、それが無ければ生活に支障をきたす人間、何かしらのものへ重度の依存性を持つ人間、その他もだが、全てまとめてジャンキーと言う分類で括られる。甘味ジャンキーに例えるならば、今のタルトの発言のように常人では到底判別のつかない事を判別したり、四六時中甘いものを口にしている。タルトは両方を兼ね備えているかなり重度の甘味ジャンキーだ。

 甘いものがなければ生きていけない、甘味を得るためならば幾らはたいても構わない。この男は子供の頃からその片鱗を見せていたらしい。それは同じクラスになった高二の頃には見事に開花していた。


「でもさ、伊予くん。観察と言っても俺が甘いもの食べてるところを見てるだけだよね。何か意味あるの?」

「またその質問か。どんな圧縮率で毎日これだけの甘いものがお前の胃袋に入って行くのか、それを見ているだけでも面白い」

「やっぱり変な伊予くん」

「俺はインサイドの住人にもなれなかった普通の人だ」


 伊予はそう言ってコーヒーを口に運ぶ。目の前のタルトは自前のポットから砂糖飽和状態の紅茶を注いでエクレアを流し込んでいる。それでも土産とあって食べるスピードはゆっくりだ。クリーム一つ残さず胃に収まったエクレアに大層満足したらしく、嬉しそうな息をつく。それからぽつりと呟いた。


「伊予くんは、色んな意味でインサイドの住人にはなれなかったんだよね」

「そうだ。俺は自分が普通の人と言うことを恥じている。そしてお前達ジャンキーを素晴らしいと思っている」

「社会のゴミが素晴らしいってねー、やっぱり伊予くんは変わってるよ」


 伊予が変人なのは今に始まったことではない。それはこうして危険区域扱いのインサイド区画へ気軽に出入りしている事実もそうだ。伊予の住むアウトサイド区画の人間はインサイド区画を控えめに言って嫌悪している。詳しくは後に述べるがこの都市は普通の人が暮らすアウトサイドと、ジャンキーを中心に社会不適合者の住まうインサイドに分かれているのだ。本来ならばアウトサイドの人間はインサイドへなど行きたがらない。それを覆しているだけでも変人だと言うのに、彼には厄介な趣味と嗜好物が存在する。

 本人はそれ故になんと呼ばれているか認識は無いのだが。

 とりあえず口を閉じると同じく閉口したタルトがシュークリームを食す様をじっと見つめる。伊予の趣味の一つは観察だ。観察対象は誰でもいいと言う訳では無い。タルトのような人間だけが彼のお眼鏡にかなう。三口目のコーヒーを口に運ぼうとした瞬間だった。伊予の鼻梁の通った鼻がすんと動く。


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