ジャンキー・ジャンキー
戮藤イツル
序章
序章
「
「………………」
仕事から帰った兄は既にスーツからジーンズ、パーカーと言ういつもの外出着に着替えていた。声を掛けられた少女はこくんと頷く。白襟に紺のセーラー。ワンピース状の珍しいセーラーだ。膝丈までのスカートを靡かせ彼女はリビングから二階へと駆け上がる。
自分の部屋に飛び込んだ彼女は数分して出てきた。双肩にハンドガンの入ったガンホルスター、腰と足首には収納されたダガーナイフ。背には日本刀、太刀を背負い黒革の手袋が嵌められた手にはマシンガンが握られている。スパッツを履いた足にはぐるりとマガジンが装備されているがスカートがそれを隠していた。その姿で玄関まで駆け下りると、兄は呆れたように呟いた。
「武器子、今日は『観察』の日だ。『探索』の日の装備はやめなさい」
「………………」
兄の言葉に武器子と呼ばれた少女は再びこくりと頷いた。そして玄関にハンドガンとナイフ以外の装備をそっと並べ置く。
「母さん、帰ってきたら片付けるから。しばらく置かせてくれ」
「はいはい、どれくらいで帰るの?」
「二時間くらいかな。食前の散歩だと思って」
「気をつけていってらっしゃい」
「いってきます」
「…………………」
「美華も気をつけるのよー」
少女は返事の代わりにローファーの踵を二度鳴らす。玄関扉を開く兄に従って二人は家から飛び出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「タルト、甘いものを持って来たぞ。開けてくれ」
インサイドサウス地区。ゴミ溜めのようなちぐはぐな建築様式の建物が並ぶ暗い路地裏。頭上を仰げば建物の間に渡された紐が行き交い、夜だと言うのに洗濯物が無数に干されている。きっともう取り込む人間は仕事に行ってしまったのだろう。インサイド。その名がつくだけで青年と武器子の住むアウトサイドとは大いに異なる。
ゴシックなのかロココなのか、建築には明るくない青年は建物に興味を抱く様子もなく大きな玄関扉をノックした。この界隈でノックは必需だ。自分が『敵』でない事を示さなければならない。ドアノッカーから手を離してすぐ、間延びしたような男の声が聞こえた。
「伊予くん、お久しぶりー」
「お前はいつ来てもお久しぶりだな。ほいほい甘いものに釣られているといつか弾丸を食う日が来るかも知れないぞ」
「弾も飴で出来てるなら大歓迎だけどね。ところで甘いものは?」
「見ろ、俺と武器子の両手いっぱいだ」
「わーい、伊予くんも武器子ちゃんも大好き!」
「お前が好きなのは俺達が持ってる甘いものだろ」
玄関扉の解錠の音が八回響いた後だった。姿を現したのはひょろりとした細身の優男だ。額より上に填めたヘッドバンドから前髪と後れ毛がしっかり漏れている。髪色は黄緑で腰まである長髪は大雑把に三つ編みにされていた。眠そうな男の声は青年、伊予に常套句の挨拶をする。その口元は生クリームだらけで所々にスポンジの欠片も付着していた。当然扉を開いた左手とは反対の手には半分ほどかじられたショートケーキが乗っている。伊予は見せつけるように抱え込んだ様々な箱を男に突き出す。彼の名はタルト。タルティリオ=ブロッサム。伊予の趣味、観察を快く引き受けてくれている高校時代の同級生だ。インサイドの方が美味い甘味の店がある、それだけで高校卒業とともにインサイドに住むことを決めた男である。
タルトは土産に満足そうににっこり笑うと二人を宅内へと通してくれた。中はこの区画にしては小奇麗な普通の住宅の内装をしている。所々に様々な甘味処のロゴが入った箱が積み上げられている以外。
「今日は武器子ちゃん、軽装だね?俺の観察だけだから?」
「………………」
兄同様両手いっぱいにケーキやクッキーの包み、マドレーヌやチョコレート、イングリッシュスコーン、マフィン、マカロン、その他の甘味を抱えたまま武器子はまた二度踵を鳴らした。それだけでタルトは嬉しそうに綺麗な手で彼女の頭を撫でてくれた。
「家の武器庫、また見る?観察の間は武器子ちゃん暇だもんね」
「……!」
タルトの言葉に無表情の武器子の顔に喜色が浮かぶ。それからこくこくと頷く。その様子に微笑んだまま目を細めたタルトは手にしたショートケーキをひとくち口に運ぶ。
「武器子、ストックは山程あるみたいだから荷物はその辺りに積んでおけばいい。愛しのルガーさんに会いに行っておいで」
「はい、武器庫の鍵」
武器子の前に宝の山の鍵がぶら下がる。武器子は慌てて荷物を丁寧に降ろすとタルトに一礼してから鍵を受け取り、脇目も振らずに家の奥へと駆けて行った。
「武器子ちゃんは十七かぁ。ありゃあ、伊予くんの家の子じゃなきゃインサイド決定だね」
「マニアの域などとうに超えているからな」
「形は違えど俺と同じ『ジャンキー』か。インサイドを選びそうな辺り、伊予くん的には複雑な所?」
「ジャンキー以前に武器子は可愛い妹だ。どこに行こうとな。そら、メールでリクエストしてたシュークリームとエクレアだぞ。さっさと観察を始める」
「愛しのシュークリームちゃんとエクレアちゃん!いいよいいよー、早く始めよう!」
二人はそんな言葉を交わしながらタルトが普段生活の拠点にしているリビングへと入る。部屋の中は真っ二つに分かれていた。そう、甘味処のロゴがまだ生きている箱の山と、中身がからになりロゴの死んだ…潰されたゴミの山で。これでもこの男は三日に一度ゴミ出しをしている方なのだ。今日は恐らくゴミ出しの前日なのだろう、異様な光景はいよいよ異常だ。部屋の真ん中に置かれたソファ兼ベッドと大きなテーブル。そこには所狭しと綺麗に六等分されたホールケーキが並んでいる。
「今夜も食ったな、お前は」
「実際には食べてる最中だけどね。ショートケーキちゃんはおやつだよ」
「主食は?」
「伊予くんの腕の中にあるシュークリームちゃんとエクレアちゃん」
「そうか。茶は自分で入れてくる。おやつは食ってていいぞ。主食の場所を空けろ」
「いつもありがとうねー、伊予くんが来る日は『外』の店の甘いものが食えて俺は満足だよ」
「『甘味ジャンキー』の名は伊達じゃあないな」
伊予にそう言われたタルトはけらけらと笑いながら定位置であるソファに腰掛けた。キッチンへ向かう伊予を尻目に、ホールケーキの山の前に鎮座したタルトは大口を開けてそれを頬張り始めた。
伊予がコーヒーを入れて戻ってくる頃には、テーブルは更地と化していた。伊予の目がきらりと光る。手に付着した生クリームを舐め取りながらタルトはにやりと笑う。
「悪いね。片付けちゃったよ」
そう言った彼の瞳が、運んで来たコーヒーに注いだミルクが広がっていくように濁っているのを見たのは伊予ただ一人だった。
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