第14話 海岸の砦
三人は建物の中に入り、暗い階段を上る。三階の部屋の扉の鍵を開け、中に入り電気を点ける。その部屋はカーテンが閉まり、左隅に長椅子が置いてある。中央には大きな机があり、その上には電話機、通信機と私の作った集音マイクが置かれていた。
「ここでも使われていたんですね」何か遠い所で友達に出会った気持ちになる。
「ああ、役に立っていると聞いている。もっと君がびっくりするものがあるぞ」
向井中佐は、部屋の奥の小さな机の上にある何かの物体を白い布で覆われている所へ歩いて行くと、その白い布を勢いよく剥ぎ取った。
「あああ、これはマグネトフォンじゃないですか!」
前から欲しくてたまらなかった磁気テープ式の録音機だ、一九三九年製造のK四型、ドイツAEG社製である。箱型ケースに収められた黒くて四角い筐体の上部に、薄くて白い円盤が左右に並んでいる。その左側の円盤の中心軸から磁気が塗られたテープが幾重にも巻かれ、円盤の上に載っている。テープはそこから左の手前にある回転筒を巻き、黒くて細長い蓋の下を潜り抜ける。そこを出ると右手前にある回転筒を巻きながら右の円盤の中心軸に巻きつけられていた。
実に機能美を備えた装置だ、中央にある音量計や手前に並べた押し釦などの配置も美しい。私は興奮してその録音機の前に立ち、細長い蓋を開けたり、ケースから取り出して中を覗いたりした。もう誰にも止められない時間が二十分は続いただろう。
「おい、旗島君。まだ見てるのか」山本少佐がしびれを切らしたようだ。
「すみません、この機械の仕掛けをどうしても知りたくて。このテープ録音機ならオペラの一幕を丸ごと録音できるんです」
「この機械は音楽を聴く為に、ここに置いてあるのではない。日本やドイツとの連絡用に使うのだ、さあどいてくれ」
山本少佐はマイクを用意して録音の準備をする。すると、向井中佐が紙と鉛筆を持って来て私に手渡した。
「これから話すことをドイツ語に訳してくれ」
「分かりました」
「シャックマン大佐殿、向井は只今ストックホルムに到着いたしました。ドイツへ入国する手順をお教え願います」
私は翻訳したドイツ語を紙に書くと、山本少佐がマイクを差し出した。
「そのドイツ語をしゃべってくれ、録音するぞ」
「は、はい分かりました」
山本少佐はテープ録音機を始動する。
「Oberst Schackmann, Herr Mukai, kam im Moment in Stockholm an. Bitte lehren Sie das Verfahren für die Einreise nach Deutschland」
「良し、録音できたようだな。山本少佐、巻き戻して再生の準備をしてくれ、私はドイツに電話を掛ける」
向井中佐は電話機をテープ録音機の傍に置いて、ダイヤルを回す。電話が掛かると山本少佐に手で合図を送り、受話器をテープ録音機に近づけた。
「O &k※r§m$tSl B※ln&sV※e $d§&h ※d」
山本少佐は早送りで再生したのだ! 向井中佐は電話を切る。
「良し、送話完了だ。相手からの返事を待とう」
「この様な連絡方法があるのですね」私は呆気に取られた。向井中佐は答える。
「あまり良い方法ではないが、盗聴者が録音の準備をしていないと解読できないので、時々使用しているんだ」
「この部屋は盗聴されてないんですか?」
「偽情報を通話したが、その情報に反応しなかったと聞いている」
「しかしこのテープ録音機は良く出来ているなあ、さすがドイツは科学技術が発達していますね」山本少佐が向井中佐に聞く、
「ヒトラー総統は科学技術の発展に熱心だからな、この国は技術者天国の国らしいぞ。軍事用の機械だけで無く、こういった放送機器も積極的に開発するんだ。彼の長い演説を録音して、自国と進出した国でラジオ放送をしているそうだ」
「私もニュース映画を作っている時に総統の演説を見ましたが、演説はうまいし、拍手が鳴りやむまで待つ仕草などの演出も傑出していますね」
「宣伝活動は重要だ、指導者は常に国民を引き付けておかねばならないからな」
そこで電話のベルが鳴り、山本少佐は再び録音機を操作して今度は早送り録音にする。向井中佐が受話器を取ると、録音マイクに近づける。通話が終わると受話器を置き、録音を停止した。
「巻き戻して、通常の早さで再生してくれ」
山本少佐が録音機を操作すると、ドイツ語が聞こえてきた。
「おお、ホルストの声だ! 懐かしい」
「ホルストってシャックマン大佐の事か?」
「そうです、彼の名前です」
「彼は何て言ってきたんだ」
「明日の朝五時に、港の桟橋に停泊しているKONRADという漁船に乗れと言ってます」
「良し、分かった。明日は早いぞ、食事が終わったらなるべく早く寝てくれ」
「何処かへ食べに行くんですか?」
「いや、ここで食べる。レストランなどに行くと、敵に察知されるからな。隣の部屋に食事が用意してある筈だ」
「ところで向井中佐殿、今回の任務を聞かせて下さい」
「そうだった、今回の我々の任務はドイツ陸軍兵器実験場の視察だ。特別に誘導ミサイルとロケット技術について説明と見学をさせてくれるそうだ」
「第一級の軍事機密だぞ、旗島君!」山本少佐は私の肩を叩く。
この話を聞いた時、私はとんでもない所に来てしまったと思った。そんなものを見てしまったら、無事に日本に帰れるのだろうか?
次の朝早く三人は建物を出て、暗い夜道を懐中電灯を頼りに港まで歩く。桟橋に着くと、電気を点けた一艘の漁船が見つかる。その漁船に近づくと、船尾にKONRADと書いてあった。船長らしき人物が下りて来て三人は旅券を見せる。その人物が懐中電灯を照らして旅券を確認すると、直ぐに船の中へ案内された。
間もなくして船はエンジンを掛けて出航し、海岸沿いを南下する。ここはバルト海だ、バルト三国からの難民船やドイツの艦船などが航行する、海の下には潜水艦がたくさん潜んでいるだろう。イギリス軍はノルウェー沖に沢山の機雷を埋設しているらしい、ここにも何処かに機雷が設置されているかも知れない。冷たい海風にあたりながら私は震えていた。
暫く航行して灯台が見えた所で、船は沖合に進路を変えた。夜が明けた頃に対岸が遠くに見える様になる。船は岸に近づくいて行くと、石垣でできた小さな砦が見えてきた。砦のてっぺんに、赤の下地に白い丸と黒い鍵十字の旗がたなびく。
船は波に揺れながら、砦の石垣の下の階段付近に着岸する。すると、薄緑色の軍服に黒くて太いベルトを巻き、黒くて長い革靴を履き、軍帽を被った、一人のドイツ軍兵士が階段から下りて来た。船長がロープを投げると、兵士はそのロープを階段の手すりに括り付ける。
私たちは、日本と同盟国のドイツに上陸した。
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