第5話 教壇の蛙

 ダルムシュタットはヘッセン大公が統治する田舎町だ。今のエルンスト・ルードリッヒ大公は政治に興味が無くて芸術好きらしいよ、マチルダの丘って所に芸術家を集めているんだって。そのせいか知らないけどヘッセン大公国は財政難なんだってさ。


 ここのダルムシュタット工科大学だって閉鎖されるところだったけど、世界初の電気工学部を設置したら生徒数が増加したお陰で今でも存続してるんだ。紙工学の学部もあるけど、電気工学部の方が将来性があると思ってここを選んだんだ。


 諸君、ここからは独逸語で話してるけど、この日記には日本語に直しておくよ。

「ダンケ!」


 今、僕は九月から新学期が始まったダルムシュタット工科大学の教室で電気基礎の講義を受けるんだ。ここの教室は電気工学部の建物の二階にある。正面にでっかい黒板と教壇、僕と約五十人程の生徒たちは階段状の床に設置された長い机と椅子に身を置いて教授が来るのを待っている。僕は少し緊張していた。


 教授が入って来た。

 教授は二メートル近くもある長身で銅色ブロンズの髪の毛は長めで後ろに流している。白い襯衣シャツにえんじ色の蝶ネクタイに布製の袋を肩に担いで教室に入って来た。

「わしの名前はベルンハルト・ドリラーだ、バーナードと呼んでいいぞ」


 教授は袋の中から蛙を取り出し、背中を上に向けたまま教壇の机の上に置くと、蛙の背中と右足に手術用のメスを刺したんだ、それから先の尖った二つの銀色の金属棒を持って蛙の背中と右足にそれぞれ差し込む。そして金属棒を接触させるが、


 ――何も起こらなかった。今度は先の尖った銅色の金属棒を蛙の右足に差し込んでから、銀色と銅色の金属棒を接触させる……蛙の足はピクンと動いた。


 教授は説明を始めた。

「この様に同じ金属同士では電気が流れないが、違う金属同士を接触させると電気が流れるんだよ。これを実験した伊太利人のガルバーニは蛙が電気を持っていると勘違いしたんだが、後になって同じ伊太利人のヴォルタが違う金属を接触させると電気が起こることを実験で証明して、彼は電池を発明したんだ」


「今の電流計がガルバノメーターと言うのはガルバーニから採ったんだ。世界最初の電流計は蛙の足だったんだぞ、わっはっは」


「さて、この実験の蛙役、誰かやらないか?」

 教授は生徒たちを見渡してから、「おい、そこの亜細亜人ちょっとここへ来い」教授は僕を指差したのだ。


 やばい、僕の背中と足を手術用のメスで刺されるぞ! この欧州ではハッキリと自分の意見を述べる様にとお父上様に言われてきたんだ、堂々と答えようじゃないか。

「嫌です、絶対拒否します。人種差別じゃないですか、こんな事」

「いやいや間違えた、蛙役じゃなくて金属棒の役だ。いいからこっちに来なさい」

 教授は右手を下から手前に何度も振る。生徒たちは手拍子を始めたのだ。


 パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン。


 皆は僕の顔をじろじろ見ている。僕は渋々教壇の前へ降りて来た。すると教授は「もう一人必要なんだが」と言って教壇を降りて一番前に座っていた独逸人学生の腕を掴み無理やり彼を引っ張り出した。その独逸人は銀髪で鼻が高く利口そうな顔をしていた。


 教授は二人を教壇の上に上がらせる。

「君たちの名前は?」

「ホルストです」

「マコトです」

「マコト君、君の国は何処だね?」

「日本です」

「あの浮世絵を描いている国か、遠くから良く来たな。どうやってここに来たんだ」

「横浜港から船に乗って中華民国の大連港に行き、そこから哈爾浜を経由してシベリア鉄道に乗りました。延々と続く草原と森林地帯を経てモスコーに着き、そこで一泊してからベルリンに到着しました。約二十日程掛りました」

「それは大変な旅だったな、何か面白いことはあったのかい?」

「酒と美人かな」

「中々やるじゃないか、君、若いのに」


「それでは二人共この棒を持ちなさい」教授は僕たち二人に銀色の金属棒を持たせた。

「ホルスト君は蛙の右足を、マコト君は蛙の背中を刺しなさい」

 僕たちは教授の指示に従って蛙の切り口に棒を刺した。

「よし、手を繋いでくれ」

 僕とホルストは目を合わせ、手を握るのを躊躇ちゅうちょした。二人共嫌な予感がしたのだ。


「ほらほら手を繋ぐんだ」教授は二人の手を取って強引に握らせた。

「なんでもないだろ、君たちは電気的に同質ということだ」

 教授はニコニコしながら今度はゴム手袋を手にはめている。

「手を離していいぞ」僕とホルストは金属棒を机の上に置いて教授の両脇に立つ。教授は布製の袋から樹脂の板を取り出し、僕の頭を擦りだした。


「君たち、今わしはマコトの髪の毛と樹脂の板という電気を通さない違う絶縁物体同士を擦りつけて機械摩擦を起こす。するとマコトの電子が樹脂に剥ぎ取られるのだ」そう言うと教授は樹脂の板を少し持ち上げた。僕の髪の毛は逆立った。

「電界はこの様に放射状に広がる。今、マコトは剥ぎ取られた電子分の電荷が不足し、プラスに帯電している状態だぞ」


「そりゃ~」教授は僕とホルストの手を取って再び触らせる――バチッ!

「痛て~っ」

 僕とホルストは余りの痛さに手を振って飛び上がった。

「わっはっはっは、実験成功じゃ、席に戻っていいぞ」

「教授、やっぱり僕たちは蛙役だったじゃないですか」

「そうですよ教授、ひどい事するなあ」

 僕とホルストは文句を言いながら席に戻った。

「そうだったか、すまん。しかし毎年新入生にこれをやるのが楽しみなんだよ、わっはっは」


「とにかく電気工学は今、最先端の学問だぞ、昔からちょっとした現象も見逃さず実験を繰り返して電気工学は発展して来たんだ。君たちも好奇心を最大にして講義を受けてくれたまえ、これからどんどん世の中に新しいものが発明されて来るぞ。だが皆、楽しく学ぼうじゃないか」


 その後教授は電気の基本的な性質、電荷の動きや電界と電気力、磁界と磁力の講義を行った。


 さて諸君、どうでした僕の勉学の様子。

「ボケが少なくね~か?」

 当然です、教室内ですから。あなたは僕を退学に追い込みたいんですか?


 ドリラー教授の講義はとても解り易く面白かった。講義が終わるとホルストが僕の所へやって来た。


「いやあ、散々な目に合ったな俺たち」

「でも、あの教授、面白いね」

「ここの名物教授だからな、あれは君が仏頂面をして座ってたから指名されたんだぞ」

「何で?」

「教授はよそから来た人が、縮こまって皆から除け者にされないよう気を使ってるんだ」

「そうだったんだ!」

「ところで何処か珈琲でも飲みに行かないか」

「うん、行きたいな」

「綺麗な娘が働いてる珈琲店カフェがあるんだ、そこへ行こうぜ」


 僕とホルストは学校を出て近くの珈琲店へ向かった。

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