第2話 桟橋の風

 船首船尾に構える兼六園の雪吊りの様な帆柱と、中央に一本の太い煙突が "どん" とそびえ立つ客船。その黒い船体が横付けされた桟橋に、黒い鉄の握りこぶしが "にょき" っと生えている。そこに繋がれた捩綱ロープは船が波に揺れる度、離すまいと張りと弛みを繰り返す。


 僕はたった一人、全身が脱力状態で桟橋に取り残されてしまったのだ。


 「ああ、腹減ったなあ~」


 桟橋に波しぶき、少し重油の混じった匂いのする海風も吹く。船の荷物置き場から放り投げられた重くて持てない革の鞄を、置いていく訳にもいかず思案する。

 すると、つがいの白い海鳥が飛んで来た! 僕の直ぐ傍まで寄って来る。ゆったりと羽ばたいて、二羽は入れ替わり上下動を繰り返す。海鳥の頭の不敵な眼球が見えるまで近寄って来た。


 ――僕は餌を上げるふりをして、運良くその一匹を捕まえたんだ! すると連れの海鳥が沖の方へ急いで帰る……逃げてった? ばさばさもがく海鳥の首根っこを掴む僕、どうやって食べようかな? しばらくくすると、百羽以上の大群の海鳥たちが僕に襲って来た~! ばさばさ・キーキー・ばさばさ・キーキー、空がだんだん暗くなる。僕は桟橋を行ったり来たり逃げ回るが、直ぐに追い着かれたぞ~! 大群の口ばしが僕の頭を目掛けて突っ込んで来る……あああ、食べられる!


 ——ってなるから海鳥を捕まえるのはや~めた。

 この場面、活動写真に出てきそうだな「おまえ知ってんのか?」


 それから小一時間は経ったかな、大八車を引っ張る自転車発見! 甚平を着て坊主頭で目の吊り上がった小僧が、僕の前を通り過ぎたぞ! この小僧は三角鞍サドルに座れず尻を前にずらして自転車をいでいる。「おい小僧待ってくれ~」


 日本語は全く通じない。僕は走って大八車を踏んづけた。すると、自転車の前の車輪が浮き上がり、小僧は把手ハンドルにお腹をぶつけてつんのめって止まった。

我受傷了ウォーショウシャンワ給我錢フェイウォーチェン!」小僧は何か怒ってわめいてる。ど、どうしよう?


 僕は紙に【大連列車】と書いて小僧に渡し、革の鞄を大八車に載せる仕草をした。


 さて諸君、ここで問題です。僕はどうやってこの小僧を説得して、一キロメートル離れた大連駅まで彼の大八車に鞄を載せてもらったでしょうか? 今日は三択です。


 の一、お父上様から頂いた大切な大切な懐中時計をあげた。

 其の二、お母上様から頂いた大切な山部欄の万年筆をあげた。

 其の三、汚れたふんどしくるんでいた風呂敷と折り紙をあげた。


「其の三だろ、この問題設定じゃあ」


 正解です。僕は先ず、折り紙を半分に切ってそれぞれを縦に折る。長四角になった折り紙の角を何回か折ると菱形になる。出来上がった菱形の紙二つを組み合わせると手裏剣が出来るんだ。今度は風呂敷、これを広げて三角に畳む。そのまま小僧の頭に被せて目の所だけ開けて風呂敷を後ろで結ぶと、忍者巻きが出来るんだ。


 小僧は大層喜んで、片膝を付いて忍者構えで手裏剣を投げ飛ばす。小僧はこっちを向いて忍者巻きの風呂敷の隙間からまん丸な目を僕に見せると、手裏剣を拾いに行った。帰って来たら僕の革の鞄を大八車に載せてくれました。交渉成立!


 ただ、諸君! あの風呂敷が僕の汚れた褌を包んでいた事は内緒にしてね。風呂敷が小僧の顔を覆ってる……くっせ~かな? どうかな?


 小僧は自転車にまたがり漕ぎ出した、僕は早歩きしながら寄り添って付いて行く。小汚い屋台の立ち並ぶ埠頭沿いの路、吊り下げられた蛙や蛇、得体の知れない丸焦げの物体。食える物がねえぞここ! 肉饅頭まんじゅうが食べたいな、僕は小僧に【肉饅頭】と書いた紙を渡したが、「……?」通じ無いぞ! 仕方がないおかゆにしよう、今度は【粥】と書いた紙を渡す。小僧は「我知道ウォーチーター」と言いながら頷いた。やった~通じたぞ!


 やっとご飯にありつけた。僕は貪るようにお粥を食べた。あ~美味しかった。この "こりこり" した具はなんだったんだろう? 僕は残ったお粥の具を指差して小僧に聞いた。小僧は紙に【壁虎】と書く。壁虎? 壁の虎? 怪しいぞこの名前。もしかして壁を這う生き物? 僕は絵を描くような仕草をして紙を小僧に返す。小僧が描いた絵を見ると……やっぱり『ヤモリ』だ~!


 この後の事は諸君らに想像して貰います、二択問題も出しませんよ。


 確か中国人は『背中に太陽が当たる生き物は全て食べるんだ』と聞いた事がある……もっと早く思い出すべきだった。


 大連の駅に直ぐ着いた。僕は小僧に【自作】と書き、残りの折り紙を全部あげる。小僧は握った拳の背を見せて、片眼をぱちっと閉じる。そして自転車に跨って帰って行きました。


 背の高い蒲鉾かまぼこ天井の大連駅の大広間、正面の壁に張り付くでっかい時計が一二時一五分を指していた。ここはとにかく、人がうじゃうじゃ居るぞ。中国服を着た男性女性、軍服を着た日本人と着物を着た女性、山高帽を被った白人と装飾服の婦人。ここは色んな人達が集まる場所だった。


 ここ大連から南満州鉄道で奉天を経由して新京へ行く。そこから東清鉄道に乗り継いで露西亜ロシア領の哈爾浜ハルビンへ行く。哈爾浜からは満州里を経てシベリア鉄道に乗るのだ。


 僕は革の鞄を引きずりながら、日本から持ってきた切符を携え改札処へ並ぶ。新京行きの蒸気機関車の客車には、日本人が多く乗っていて車内も陽気な雰囲気で快適な旅だった。


 東清鉄道に乗り換えるとガラリと車内の雰囲気が変わった。哈爾浜に行く途中で列車は停止し、露西亜の役人が乗り込んで来て一人一人旅券を調べるのだ。日露戦争で日本が勝利したが、露西亜は哈爾浜を手放さなかった。哈爾浜に着くと、その町並みは洋風な建物が並んでいる。ここは東洋のモスコーと呼ばれていて露西亜人も多く住んでいるのだ。ここは四年前の十月に露西亜の蔵相と会談する為に訪れた伊藤博文公が暗殺された場所だ。明治政府の立役者がこんな所で外国人に殺されるとは……。


 哈爾浜から満州里を経由してモスコー行きのシベリア鉄道に乗る。


 あれから何日経ったかな?

 車窓から見る景色はずっと、 "だ だ っ ぴ ろ ~ い 平 原" だけだぞ! 来る日も来る日も、何もな~~~~~い。


 ある日僕が座って本を読んでいるところへ顔を真っ赤にして腕に入れ墨をした大男がやって来た。こいつは酒臭いぞ! 僕は無視を決め込んで、お尻を少し窓側に捻って本を顔に近づけた。

 奴は僕の向かいの座席に座る。


Пейте этоピジェタ


 何か言ってきたぞ! 判んね~?

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